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夏は合宿⑥

 漠然とだが、もしも均衡を破る事があるとしたら、俺の方からだろうと思っていた。とはいえ、そんなつもりはなかったのだが。差し当たっては通学を共にする友達同士という関係性で満足だった。それを増田くんの方から変えてこようとするとは思いもしなかった。俺は増田くんを侮っていたのかもしれない。  増田くんはしばらく俺にしがみついていたが、やがて何事もなかったかのように顔を上げると、いつもどおり喋り始めた。電車を降り、学校へと向かう道すがらも、いつも通り横並びで話すだけで、普通。普通、普通、普通……。一体、あれは何だったのだろうか。ただの気分? 俺の気にし過ぎなのだろうか。  昼休み、購買でパンを買って教室に戻ると、出入り口の所で増田くんがうちのクラスの奴らに絡まれていた。 「あのさぁ、上のヤツがウチに何の用なわけ?」 「あ、あ、あのあのあの……」  増田くんは弁当袋を抱え、半泣きで小刻みに震えていた。下のクラスの奴らは大抵、上のクラスの連中を良くも悪くも特別視しているから、上のクラスの奴がたまに何かの用事で一階(ここ)に降りてくると、こんな風に厳しい対応をしがちだ。だが、 「俺に用なんだよね」  と、見かねて口を挟めば、 「なんだー、堀越のダチ? 早く言ってよー」 「ってゆーか、何つながりー?」  途端に態度は軟化する。一度顔見知りになってしまえば、あとは普通に交流できるはずだ。それが上のクラスの人間にとって良い事かどうかは、分からないけれど。 「ありがとう堀越くん」 「ううん。っていうか、こっちこそ、なんかごめんね」 「いやいやいや、ぼくが不甲斐ないせいで、ご心配おかけしました」 「大丈夫。……なあ、どっか別のとこ行く?」 「うん!」  増田くんは表情をパッと明るくして、俺に着いて来た。増田くんのこういうとこ、すごく可愛いよな。  南校舎と北校舎を繋ぐ、渡り廊下を共に歩く。久しぶりの良い陽気だからか、紫陽花の咲き揃う中庭には、何組かのカップルの姿が見える。俺たちは体育館に向かった。昼休みは部活禁止だから、そこは早い時間なら、わりあい静かなはずだ。渡り廊下の端にある自販機で飲み物を買う。俺はレモン牛乳。増田くんはただの牛乳。  体育館の南側の扉を開け、陽だまりの中に俺たちは腰を落ち着けて、昼飯をひろげた。増田くんの弁当は、増田くんの小柄さからは想像もつかないほどデカかった。大きな弁当箱の中には隙間なくご飯が詰められ、その上に肉野菜炒めが載っていて、隅には漬物が添えられている。 「すごいな。野球部や柔道部並に食うんだね」 「まあねぇ……。なんか最近、お腹空いちゃって。でも、今日はちょっと作り過ぎちゃったかも。よかったら、堀越くんも食べる?」 「じゃあ、少しもらおうかな」  すると増田くんはごく自然な動作で箸で肉野菜炒めをつまみ、俺の目の前に「はい、あーん」と差し出した。俺は思わずつられて口を開け、それを食べた。 「どう?」 「うん、美味しい。これ、増田くんが作ったの?」 「焼肉のタレで炒めただけだけどね」 「それでもすごいよ」  増田くんは弁当を半分くらい俺にくれた。だから俺も、お礼に購買の焼きそばパンをあげた。手作りの弁当半分と安いパンとでは釣り合いが悪いから、全部食べちゃっていいよと言ったが、増田くんは固辞した。だから、半分こ。ラップを半分外して、 「はい、どーぞ」  と増田くんの鼻先に焼きそばパンを差し出すと、増田くんは、まるでパン食い競走で吊り下げられたパンの下で飛び跳ねる人のように、わたわたとした。 「ちょ、これ、こぼしちゃいそう」 「ガブッといけ、ガブッと」  かじり取ったパンの割れ目から焼きそばがぱらぱら落ちるのを、増田くんは「んーんー」と呻りながら手で受け止めた。 「こういうの、あまり食ったことないの?」  増田くんは口いっぱいに焼きそばパンを入れたまま頷いた。そして牛乳でそれを流し込み、ふーっと溜め息を吐いてからやっと話し出した。 「ぼく、購買で何か買って食べた事ないんだ。進学クラスって四階じゃん? それに授業もチャイムが鳴っても終わらない事が多いし、だからどうしても出遅れちゃうんだ。運動部の男子なんかはそれでも猛ダッシュで買いに行くけど、何も残ってなかったって手ぶらで帰って来る事が多くって。それで、みんな弁当を持って来るか、朝、コンビニで何か買って来るんだよね」 「おー」 「それでー、男子も女子も半分くらいは弁当持ちなんだけどさぁ。この間ね、女子が話してるの聞いちゃって。男子で弁当持って来る奴はマザコンっぽいとかって。そんで、ぼくがそのマザコンっぽい男のうちに入れられてて。なんかやだなーって思ってさ」 「これは自分で作ったやつだって、反論しなかったの?」  俺の問いに、増田くんは早口でまくし立てた。 「言い訳が苦しいって、余計馬鹿にされるだけだよ! だって、そんなのただのイメージで言ってるだけなんだもん。ぼくがチビでひ弱に見えるからって。……実際、軟弱者ですけどねー、ぼく。でも、良樹君だってお昼は弁当だし、しかもお母さんに作らせといて毎日入ってるおかずが同じだって文句言い言い食べてるけど、なのに彼は女子に馬鹿にされたりはしないんだ。良樹君はマザコンには見えないからね。成績が良くて運動部で強くって、足が速いから購買にサッと行って何か買ってパッと戻って来れるから、親の作った弁当を文句言い言い食っててもマザコンとは言われないの」 「なるほどな」  聴きながら、俺は自分が何で昼飯に誘われたのかがわからなくなっていた。そもそも、俺は増田くんから誘われたのか? 何故だか弁当を抱えて三組までやってきた増田くんを、俺が勝手にここまで連れて来ただけのような気もする……。 「増田くんは偉いよな。ちゃんと自分で朝早起きして弁当作って」 「いやいや、全然偉くなんかないって。自分で自分のことやるようになったのって春休みからだし。小中の頃は、普通にお母さんに全部丸投げだったし」 「市内の学校は中学まで全部給食だから、どこん家もそういうもんじゃね?」 「そっかなー。……あ、長々とつまんない愚痴なんか言ってごめんね。で、本題なんですけど」  増田くんは崩していた足を正座にし、居住まいを正した。

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