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夏は合宿⑦

「うん」  増田くんにつられて、俺も背筋を伸ばした。やっぱり、ただ一緒に昼飯を食おうってだけで俺を訪ねて来た訳じゃなかったんだな。もしかしなくても、今朝のあれ関連だろうか……。 「あのさあ、入学してすぐに『いじめ防止アンケート』って配られたの、覚えてる?」 「あぁ、うん」  予想外のネタだ。増田くんの話が遠回りなのはいつものことだが、これは終着点がどこなのか、全く読めないぞ。 「で、アンケートの一番上が、友達の名前を全部書けっていうやつだったじゃない? それをぼくは空欄で提出したんだけど」 「えっ、そうなの?」  マジで!? 俺は勝手に増田くんの名前を書いてしまった。ヤバい。まさか、下のクラスの奴なんかから一方的に友人視されている事を、担任から何か言われたんじゃないだろうな。まいったな。俺は考え無しに余計な事をしてしまったらしい。にわかに脇の下と足の裏に嫌な汗が滲んできた。  増田くんは視線を膝に落とし、話を続けた。 「そう……。だって、一方的に友達だと思ってても、相手はそうは思っていなかったら嫌じゃん? だから念の為に空欄にしておいたんだ。ぼく、誰とも友達だよね? って確認し合ったことなんかないし」 「あぁ」  確かに、俺も増田くんに「友達だよな」なんて言った覚えがない。何となく一緒に登下校し始めて、待ち合わせの時間と場所を決めはしたけれど、この関係に名前をつけようと思った事はなかった。名付けなくても既に友達だと思いこんでいたということもあるが、出来る事なら、それとは別の名前をつけたかったから。 「最近はそうでもないんだけど、その頃は良樹君がよくぼくに絡んできてて。たぶん同じ中学出身の男子がクラスにぼくだけで、しかも席が同じ列の前と後ろだったからそうするんだろうって、理解はしてた。でもさ、毎日毎日親しげに話しかけられて、昼休みに一緒に弁当を食べる仲間に誘われたりしてると、これって友達なのかなって、期待……っていうか、錯覚するじゃん?」 「……そうだな」  幼稚園時代を思い出す。増田くんは柳瀬の事が異常に好きで、いつもあいつのあとを着いてまわっていた。だが、仲間には決して入れて貰えず、近づいて行っては柳瀬の子分に突き飛ばされて、泣いていた。増田くんはすぐに泣くが、そういう時は、教室の隅でひっそりと声を殺して泣いていたものだ。柳瀬は弱い者には徹底的に冷たかった。それでも増田くんは柳瀬が好きだった。……それは、今でも……なのか? 「でもそんな期待をするのは虚しいって思ったから、アンケートは白紙で出した。それで、用紙が回収される時に、後ろの席から前に回すし、ぼくの後ろの席は良樹君だったから、良樹君の書いた紙が回される時に見えちゃった訳。ほんとは見えても見ないで前に回さなきゃいけないんだろうけど、つい見ちゃった。それには沢山の友達の名前が書いてあったけど、案の定、ぼくの名前はなかった。でも、悲しいっていうよりは安堵したってのが正直な気持ちで。こんなこと言うと性格悪い奴だなって思われるかもしれないけど、それが本音。ぼくだって、どうせそんな事だろうと思って、誰の名前も書かないで出した訳だし」  そう一息に言うと、増田くんは急に押し黙った。俯き、前髪に隠された表情は、俺からは見えない。泣いてしまったのだろうか。かける言葉が見つからず、俺もつられて黙るしかない。  どれくらい経っただろう。ほんの数秒だったかもしれないし、何分も経ったかもしれない。体育館の外で何人かの男達が騒いでいるのが聴こえた。ここに遊びに来ようとしているのかもしれない。  増田くんが不意に顔を上げた。 「あのね!」 「うん」 「さっき言った通り、ぼくには卑怯なところがあって、もしかすると嫌な奴だと思われたかもしれないし、更に嫌なところもあったりするんだけど」 「いや、そんな事で嫌いになったりしないよ」  俺は心からそう答えた。だが、それでも増田くんは不安そうだ。泣いてはいない、けれど、今にも泣き出しそうに、唇の端を震わせている。 「本当に?」 「本当だよ」 「じゃ……じゃあ、今からぼくがいうこと、黙って聴いて。それで、ぼくのことやっぱり嫌な奴だなとかキショいとか思ったら後でそう言ってくれてくれていいから。そしたらぼく、すっぱり気持ちを切り替えるから」 「わかった」 「あと、返事ははいかいいえかイエスかノーでお願いします」 「うん」 「ではいきます!」 「おう、ばっちこい!」 「昨日さ帰りの電車で良樹君が割り込んで来てから堀越くんかなり機嫌悪かったよね? それで確信したんだけど堀越くんってぼくの事かなりっていうかけっこうすごくそうとう好きだよね? 前々から薄々勘付いてたけどその好きって友達としての好きを軽く超えてると思うんだ。それで、それでそれでそれはぼ、ぼぼぼぼくも同じっていうかぼくが感じてる堀越くんへの好きって気持ちときっと完全に一致しているとおもうのでだからつまり、つまりつまりつまりそのっ……………ぼくと付き合ってくれませんか? 恋人同士という意味で……」  潤んだ目が真っ直ぐに俺を見つめてくる。俺は頭が真っ白になった。 「……え、あ、はい」  やっとのことで絞り出したひとことは、ひどく間抜けだった。増田くんは業を煮やして俺に飛びつくと、両肩を掴んでガクガクと揺さぶった。 「え!? 聴こえないから! そんな曖昧な返事じゃわかんないから! もっとハッキリ言って!!」 「イエス! 俺も増田くんのこと好……愛してるから付き合います喜んで!!」 「あ゛ーーーー!!」  景色がぐるりと回転し、体育館の高い天井と水銀灯が見えた。背中と後頭部が床に当たる鈍い音が辺りに響く。増田くんは俺の胸に顔を埋めている。ひくひくとしゃくり上げる背中に手を置き、そっと撫でた。 「マジだから。俺、本当に増田くんのこと好きだよ」 「うん……。身勝手でごめん。いけるかどうか探ったりしてごめんね。でも、このままズルズルと機を窺い続けるのはもっと卑怯でダメなやつだと思ったんだ。うっすらと好かれているのずっと分かってたから……でも、自分を好きでいてくれる人を試しちゃダメだと思って。早くケジメをつけなきゃって。でも、ぼくが告白することで堀越くんに嫌な思いをさせるかと思ったら、なかなか勇気がでなかった」 「うん、」  それを言ったら、俺の方こそかなりダメダメだろう。こちらから何か言ったことで気まずくなるなら、ずっとこのまま、なあなあの関係でいいなと内心思っていた。それを、狡いとか、卑怯とかって言うんだな。 「俺の方こそ、先に言えばよかったな」 「いいんだよ、」  増田くんは身体を起こして、額の方にずれていた眼鏡を掛け直した。ほんの一瞬見えた素顔が、すぐ元通りに隠れてしまう。目、大きいんだな、眼鏡を取ると。 「ぼくが言いたかったから言ったんだもん」  俺も起きて座り直し、増田くんの方に両手を広げた。増田くんは素直に俺の腕の中に入ってきた。ズルズルと機を窺い続けるのは卑怯、か。だったら俺の欲求もストレートに言っちゃった方がいいのだろうか。 「なあ、増田くん」 「なに?」 「キスしてもいい?」 「えっ」 「愛してるっていう印に。告白は増田くんからしたから、今度は俺からお願いしようと思って」  増田くんの顔がみるみる赤くなり、汗ばんでいく。これはマズったかなと思ったが、 「いいよ」  と、増田くんは唇を突き出した。だが、ヤバい……これはヤバいぞ、増田くん。タコみたいに真っ赤な顔で、ギュッと目をつぶって唇を突き出してる、この顔の感じ……なんか、たまごっちにこんな奴いたな? って感じの……。こんなブサかわいいキス待ち顔なんて、前代未聞ではないのか。少なくとも、俺は初遭遇だ。 「大丈夫?」 「うん」  言い出した俺の方が躊躇ってしまう。幼稚園時代、増田くんと過ごした最後の日。いつものようにピアノのところに座って二人で本を読んでいたときだ。ふとこっちを見た増田くんに、俺は魔が差してキスをした。次の瞬間、増田くんは俺を突き飛ばそうとし、その弾みで俺たちは椅子ごと倒れた。俺は上手く転がって無傷だったが、増田くんは額を床にぶつけた。一瞬きょとんとした増田くんの顔が、みるみる赤くなり、皺くちゃになった。唇を震わせ、そしてこの世の終わりでも来たかのように泣き叫んだ。担任の先生が駆けつけて増田くんを抱き起こし、「痛かったね」と額を撫でた。だが、増田くんはぶつけたところが痛くて泣いたんじゃない。増田くんは号泣しながら、俺にキスされた唇を懸命に手で拭っていた。 「本当に、無理してない?」 「うん、無理してないっ」  嘴みたいに尖らされた唇の先に、そっと触れるくらいのキスをした。おそるおそる顔を離してみると、増田くんは泣いてはいなかった。口を手で抑え、はぁと溜め息を吐いて、増田くんは呟いた。 「ヤバい、ファーストキスが肉野菜炒め味になってしまった……」  なにそれ。緊張していた背中から、一気に力が抜ける。 「じゃ、レモン牛乳でも飲んで、もう一回する?」

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