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夏は合宿⑨
増田くんは早口で語った。その週は妹さんが毎日部活だし、友達の家でのお泊り会もあるとか。お母さんは毎日パートで朝から夕方まで家にいないとか。夏休みに入ってから始める予定のバイトは、お盆に連勤するかわりにその週は休みにしてもらえるとか。
「そんな訳で、豪華なおもてなしとかが出来るわけじゃないんだけど、その……一緒に勉強やゲームしたりとか、料理作って食べたりとか色々出来たらなって」
もちろん、二つ返事でオーケーした。
俺の方の関係者に、八月の頭は増田くん家に泊まりに行くと話した。思った通り、おやっさんは賛成してくれた。ただ、初日におやっさんも着いてきて、増田くんのお母さんに挨拶したいという。
「普段、リュウくんになんも親らしい事をしてあげられてないから、たまにはちゃんとさせて」
だそうだ。もう子どもじゃないんだからそんなのいいよって思ったけど、おやっさんが是非そうしたいというのだから、俺も否とは言えない。
エミさんには案の定、難色を示された。
「ああん、もうーっ。丸一週間も逢えないって何ー? せっかく色々教えてあげたり、あちこち連れ回したりして、鍛えてあげようとしたのにさぁー」
店を閉めた後、エミさんの部屋で「お勉強会」をしている。といっても、エミさんはべろべろに酔っていて、教師役が務まらない。俺は仕方なく、カクテルブックを本棚から引っ張り出してきてベッドに寝転び、自習をしていた。
「だから、丸々一週間入り浸る訳じゃないって。火曜に行って木曜には帰るってば。ていうか、鍛えようとしたって……。エミさんはいったい俺をどうする気なんだよ」
「もちろん、このあたしの手で理想のオトコに育て上げるに決まってるじゃない」
「……うわっ」
「なによ。人生の師匠が通りすがりにふらっと現れた幸運に、もっと感謝しなさいよ。普通、自分から門戸を叩いて、弟子にして下さいってお願いしなくちゃいけないのよ。お月謝だって払わなきゃいけないのよ。それをあんたは逆にあたしからうんと知識を与えられているばかりか、貢がせてまでいるんだから」
「貢がせてるとか、人聞きの悪い事言うなよ」
「いいじゃない。別に誰も聴いてる人なんかいやしないんだから」
「金太郎が聴いてるじゃん。そんな事聴かされたら耳が腐るよ、なぁ?」
エミさんのシーズー犬が尻尾を振った。大きな口を開け舌を出している顔が、まるでいい笑顔で笑っているかのように見える。
「勝手に変な名前をつけないでちょうだい。その子の名前はキャンディーちゃんよ」
「ガラじゃないよな、金ちゃん」
カーテンの向こうが白みはじめ、雀やカラスの鳴き声も聴こえてきた。夏の夜明けは早い。だが、夏至を過ぎ、日の出の時刻は日々遅くなっていく。小学生の頃は夏の始まりだと感じていたこの時期は、実は夏の終わりだということに、十六年生きてはじめて気づいた。
突然、くだを巻いたエミさんがのし掛かってきた。俺の肩口に顔を埋めて、咽び泣く。息が、死ぬほど酒臭い。
「ねーえ、あたしみたいな天涯孤独でモテないおかまには、未来がないのよぅ。あんたみたいな前途有望な若者を見守るくらいしか、楽しみがないのぉー」
「重い。どけよ酔っ払い」
「合宿とか言ってたけど、どぉーせ恋人とやらとヤるんでしょ、ヤるのよね? それとももうヤったの!?」
まったく、大人はすぐそうやって、何でもかんでも下の話に結びつけようとする。
「朝っぱらからうざってーなーもぉー。ヤらないってば」
「なんでよ」
「だって、泣かせたくないし、傷つけたくない」
「は?」
エミさんは顔を上げ、「馬鹿じゃないの?」と言いたげな目で俺を見た。
「あんた、そんな事言ってるとフラれるわよ」
「なんで?」
「リュウちゃんといても退屈でつまんな~い、とか言ってー」
悪魔のような顔でエミさんはほくそ笑んだ。
「つまんないって……。しょうがないだろ、相手はまだ小さいんだし」
「あんた小学生と付き合ってるんだっけ」
「いや、同級生だよ」
「じゃあずーっと小柄なままかもしれないじゃない。……ねぇ、リュウちゃん。もしも恋人さんの方からしたいってサインを送ってきたら、あんたどうするつもりなの。無視?」
「そ、そんなこと……」
「ぎゃは、赤くなってるー! 大人びていても、やっぱり中身は子供なのねー」
「老け顔で悪かったな。ていうか、指でツンツンするな。ひとの胸に肘をつくなよ、痛いからっ」
「きゃあ!」
なんとかエミさんを押し退け脱出した俺の足下に、金太郎が近寄ってきた。口にリードを咥えて得意そうだ。散歩に連れて行けってことなんだろうが、散歩に連れてってやるよと言っているような、偉そうなふんぞり返りっぷりだ。
「あたし、今日はもう眠くてダメー。代わりに散歩連れてったげて」
「はいはい」
早くも室温がじりじりと上がり始めている。このまま寝たら、室内なのに熱射病で死にかねない。エアコンのスイッチを入れると、背後からエミさんの忍び笑いが聴こえた。
「なんだよ」
「紳士なのはいいけど、寝床の中ではそんなんじゃダメよ。もっと野蛮にならなきゃ」
エアコン切ったろか。
金太郎にせがまれて外に出た。目が痛くなるほど、日差しが眩しい。もう既に、アブラゼミの鳴き声がうるさい。増田くんから誘って来るとか、そんなことは考えたこともなかった。まさか、あの増田くんが? いまだにキスをする時に顔が「くちぱっち」になる癖だって治らないのに……? でも、告白してきたのは増田くんの方からだった。
……いや。こんなこと、朝っぱらから考えるようなことじゃないよな。
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