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夏は合宿⑩

***  勇気を振り絞って告白した事に後悔がないとは言えない。言ってしまえば気分がせいせいとして晴れ渡るだろうっていう期待を無意識に持っていたっていうことに、告白してしばらく経ってからやっと気付いた。以前の悩みはいまだ悩みのまま残っている。  正直言うと、抑えきれない想いが遂に溢れ出して止まらなくなってした告白ではなかった。これまでの人生の中で最も打算を極めた選択だったように思う。歴代好きな人達にうっかり告白してしまった時はこんなんじゃなかった。いつも何かの拍子に想いが溢れて口からゲロっと出てしまった結果の空気の読めない告白により相手に嫌われてしまうのがこれまでのぼくの告白の定石だったというのに、どうして堀越くんに対してはあんなに計画的に告白出来たんだろう? 盛大なやらかしからの嫌われ体験の積み重ねが遂に実を結んだとも言えるような気もするし、とうとう心が擦り切れて性格がひん曲がってしまった結果なのではないかという気もする。  告白しようと決意するきっかけとなったのは、中間テストが終わってすぐのある日の放課後の出来事だった。 「はい、これ」  帰り支度をしていたぼくの目の前に、一通の空色の封筒が差し出された。(おもて)面には「堀越くんへ」と書かれていた。顔を上げれば、八組の高橋さんがぼくを見下ろしていた。目を細めて笑う、その笑顔は一見ひとが良さそうに見えるんだけれども、ぼくはなぜだか嫌な感じがして好きじゃない。 「増田君って三組の堀越君と仲良いんでしょ? これ、彼への伝言なの。渡しといてくれる?」  ぼくが「うん」とも「やだ」とも言わないうちに高橋さんは行ってしまった。背後でゴトッと椅子か机の動く音がしたので、ぼくは振り返った。 「ごめんね、ぶつかっちゃった」  そう言った高橋さんを、藤井さんが右肩を左手で抑えつつ睨んだ。高橋さんが教室を出て行った後、藤井さんは椅子から立ち上がり、斜めにずれていた机の位置を直した。そして顔を上げた藤井さんと、ぼくは目が合った。藤井さんは通学鞄を肩に掛けてぼくの所にやってきた。 「今日も堀越君と待ち合わせ?」 「そうだけど」 「悪いけどちょっといい? 増田君には面白くない話だと思うけど、手短に話すから」 「うん、いいけど……」  ぼくと藤井さんは小学校から同じ学校で、何度も同じクラスになった事がある。けれど別に仲が良いというほどではなく、必要があれば喋るっていう程度の間柄だ。そんな人がぼくに何の用があるんだろう。訝しがるぼくの前で、藤井さんは表情を変えることもなく机の上から空色の封筒を取り上げると、 「これはヤツと私の問題だから、増田君は気にしなくていい」  とキッパリ言って、それを雑巾絞りの要領でグシャッっとひねり潰した。 「えぇ……、どういうこと?」  藤井さんはぼくの前の席の椅子に腰を下ろした。教室にはもうぼくたちの他には誰もいない。 「私と堀越君が図書委員の当番で何度か一緒になったのを、ヤツは気に入らないってだけ。さっきだって、わざと私に鞄をぶつけてきた。ヤツと同じM中出身の智美ちゃんに聞いたら、堀越君もM中だったんだってね。それが関係あるのかどうか知らないし、ヤツが堀越君を本気で好きなのかどうかは知らない。けど、ともかくあいつは私の事が気に入らなくて嫌がらせしてくるのは確か。私が堀越君の事を好きなんだと思ってるみたい。別に違うから。ただ、当番中に話すことがあるってだけ。堀越くんは誰にでも分け隔てないでしょ? 喋ってたって別に、相手に特別な感情がある訳じゃない。相手がどの女子だって同じ。だから、ヤツが私にだけ突っかかって来るのは、ただの悪意でしかない」  悪意といえば、藤井さんからも高橋さんへの並々ならぬ悪意が感じられる。ぼくは何と答えたらいいのかわからず、 「いったい何で、高橋さんは藤井さんの事をむやみに嫌うんだろうねぇ」  なんて胡乱(うろん)な事を言ってしまった。 「私みたいなブスが恋愛しようとしている……かのように見える、ってだけで、気に入らないんでしょうよ」  細められた一重の目は眼光鋭く、その瞳の奥には激しい怒りの炎がぐらぐらと燃えているように見えた。藤井さんは自らひねり潰した封筒を取り上げると、ねじれを解いて机の上に押し当て、丁寧に伸ばしつつ言った。 「ま、そういうこと。増田君には関係のない事だから、心配しないでね。……あ、それでも疑われたら嫌だから言うけど、私の好きなのは日本史の馬籠(まごめ)先生。でも、こんなブスが教師に岡惚れしてるなんてひとに知られたら何言われるか分からないから、絶対口外しないように。もしも喋ったら、増田君が小学校時代に衆人環視のなかで柳瀬(やなせ)君に告った事、堀越君にバラしてやるから。それじゃあね」  藤井さんは教室を出る前に、ヨレヨレになった封筒をわざわざゴミ箱の蓋のところに挟んで行った。明日の朝にそれを誰かが発見することにより、高橋さんに恥をかかせようというのだろうけど、そのやり方ではぼくがやったと疑われかねない。ぼくはそれを抜き出してリュックの中に入れた。  家に帰ってから、ぼくは悪いなと思いつつ例の封筒を開けて手紙を盗み読んだ。その内容には好きの「す」の字もなかった。愛の告白でもなければ伝言でもない。他愛のない出来事の報告のような物。これじゃただの日記だ。高橋さんは何が目的でこんなものを堀越くんに送ろうと考えたのだろう。  高橋さんの手紙と、藤井さんの言葉。それらがぼくに危機感を抱かせた。世は恋愛戦国時代……今もどこがで誰かが愛する人を独り占めにしようとしてライバルと戦っている。そして恋するには資格がいると世間では思われている。恋をするに値しないと決めつけられたら最後、フィールドから追い出してやろうと徹底的に叩かれるのだ。  ぼくには圧倒的にその資格がない。見た目はショボいしチビだし、ヒエラルキーの中の下の下の存在。庭の片隅にある石をひっくり返したら出てきた節足動物のような、気持ちの悪い、人ならざる存在だから……。  でも、そんなぼくのことでも堀越くんは好意のこもった目で見てくれる。堀越くんがぼくのことをかなり好きでいてくれているという確信がぼくにはある。ぼくも堀越くんのことがすごく好きだ。けれど、お互いの気持ちが何となく通じている……ような気がする、だけじゃ、ダメなんじゃないだろうか?  せめて、安心が欲しい。ぼくと堀越くんが本当に好き合っているということくらいは確認して、絆を確かなものにしてしまいたい。世界中の誰もが認めてくれなかったとしても、お互いの間では好き合っている者同士だと認め合っていたい。  高橋さんの手紙は、うちの畑の隅にある焼却炉代わりのドラム缶に、燃えるゴミと一緒に入れて焼いた。

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