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夏は合宿⑪
告ることで堀越くんに与える影響についてはぶっちゃけろくに考えもしなかったことや、高橋さんから堀越くんに渡すように言われた手紙を勝手に処分したことなど、後ろ暗いことを押し隠したままで、ぼくは一世一代の大勝負に出た。堀越くんを呼びに行った際に三組の不良のような人達に囲まれた時にはどうなるかと冷や冷やした。告白している間に自分が何を言っているのかわからなくなった時はすわ失敗かと危ぶんだ。けれど、予想通り堀越くんはぼくの告白を受け入れてくれた! 勝算八割くらいと踏んではいたけれど、まさか本当に成功するなんて!
堀越くんの頬が赤く染まり、口元が嬉しそうに緩んだのを見た時には天にも昇るような気持ちになった。堀越くんがぼくに愛してるという証明にキスをしてくれた時には今死んでも悔いはないとまで思った。でも家に帰ってから考えた。そういう、死んでもいいとか軽率に思っちゃうようなとこがぼくの悪い所なんだって。死んでもいいだなんて、ぼくが死んだ後に遺された人の気持ちにもなってみろというのだ。
はぁ……。なんか、急にテンションが下がっちゃったな。欲しいものが手に入るとその時は大変満足をするんだけれども、寝て起きると急に虚しさに苛まれる。そんな、人生にはよくあるパターンに嵌ってしまったのだろう。……と思うじゃん?
ところが翌朝、いつも通りに電車の一両目に乗車して堀越くんを見るとそんな寂寥感は瞬時にどこかに吹っ飛んでいき、ふわっふわの幸せに包まれた! そうだった、ぼくは今人生で初めて恋が報われたという貴重な体験の真っ只中にいるんだった。
「おはよう」
「おはよう」
いつものように挨拶を交わす。そして満員電車のどさくさに紛れてハグをする。白いシャツの胸元に顔を埋めると、洗剤と爽やかな汗のまじった良い匂いがした。これがぼくの恋人の匂いだ。昨夜遅くまで悶々と考え込んでしまったあれこれは綺麗さっぱり吹き飛んだ。
だがやっぱり、教室に着けばたちまち現実に引き戻される。授業中、雑談や居眠りをせずに黙々とノートを取る同級生の背中に焦りを覚える。先日の中間テストの成績は惨憺たるものだった。得意の国語ですら三十位という結果。進学クラスでそれは下から数える方が早い成績だ。せっかく受験勉強から開放されたんだから少しは羽をのばそう、勉強以外のことにも興味を持って取り組み人生経験を積んでいこう、そんな風に思っていたら気を抜きすぎていたらしい。ここらで気を引き締めていかないと。次の期末テストでは挽回してやる。恋人と付き合い始めたらより一層成績が落ちたなんて格好悪い展開は全力で回避しなきゃ!
そう決意してからは受験勉強と同等に努力した。その甲斐あって文系科目だけでは学年一位の成績を取れた。数学と化学が苦手だから総合一位は取れなかったけど、それだっていずれは獲ってみせる。ここは難関校ではないんだから、ぼくだって努力すれば頂点に立てるはずだ。
「おめでとう、すごいじゃん」
期末の成績を報告すると、堀越くんはぼくの髪をわしわしと撫で、キスをしてくれた。好きな人から掛け値なしの称賛を受けられるなんて、ぼくは幸せ者だ。
「えへへ、それほどでも〜。堀越くんはどうだった?」
「うん、可もなく不可もないって感じかな」
えっ? って思った。一瞬で特大の嬉しさが極小にしぼんだ。進学クラス内での「可もなく不可もなし」だったらいいけど、学年全体でのそれは……ちょっと、問題があるというか。だが、堀越くんは満足そうな顔で微笑んでいる。堀越くんはいつも穏やかで優しくて、しかしその反面、向上心や野心というものを一切持っていないように見える。ぼくのクラスにはあまり居ないタイプだ。
実は、○✕高の偏差値は進学クラスである七組と八組が支えているという噂がある。七組と八組だけなら多数の東大進学者を輩出するM高にも引けを取らないと言われている。一方で一般クラスはというと、県内の公立高の中では平均以下だとされている。そんな一般クラスの「可もなく不可もない」成績で満足している堀越くんには、大学に進学する気は本当にないってことだろう。ならばもちろん、来年度にはぼくと同じ七組に入ることも希望しないってことだ。それはちょっと淋しい……。堀越くんだって文系なのに。
三組の担任の岡田先生から、堀越くんは卒業後には就職を希望していると聞いたことがある。見込みのある生徒だから進学を薦めたいと岡田先生は言った。でも、就職希望というのはやっぱり、家庭の事情もあるから、他人がとやかく言えることではないような気もする……。
でもまあ、両想いだからって敢えて同じクラスにならなくてもね!
朝から天気が良く気温が高いせいで、時間割が変更になり三時間目が体育になった。プールの授業だ。ぼくの苦手な時間。泳ぐこと自体が不得手なんだけど、その他にもまあ、色々とね。
プールは学校の敷地を出て通りを挟んだ向こうの山裾にある。何故こんな日当たりの悪い所に作ってしまったのだろうか。しかも女子更衣室はちゃんとしたコンクリート造りの建物なのに、男子更衣室は自転車置き場に壁の代わりにトタン板を張ったような粗末なものだった。その狭い空間にぎゅうぎゅう詰めになって水着に着替えなければならない。生まれつき男しか好きになれないぼくには天国どころか地獄のような状況だ。たとえて言うなら、普通の男が一人だけ女子更衣室に放り込まれてしまったようなもの。全方向どこを向いても目のやり場に困るので俯いているしかない。
バッグの中から水泳パンツを取ろうと屈んだとき、うっかり尻が誰かに当たった。
「ご、ごめん」
「いいからこっち見んな」
良樹君だ、最悪。小学校時代にぼくは良樹君が好きだった時代があり、しかも彼と雑談している最中に何故か好きという気持ちが高まってしまい、うっかり勢いで告白してしまったことがある。それからしばらく、ぼくは同級生達から「ホモ田ホモ太」という渾名で呼ばれていた。つまり、良樹君はぼくが男を好きになる男だととっくに知っているということであり、しかもそれを理由にぼくを嫌ってきた。高校に入ってからは同じ中学出身のよしみで仲良くしてくれているけれど、そうでもなければ関わりたくないと思われていることだろう。
でも、それで嫌われるのは分かるから、ぼくはしおらしく下を向いた。視界に元運動部にあるまじきポッチャリとしたお腹が入った。手足はひょろひょろ、鳩尾から上は骨が浮いて見えるほどガリガリなのに、どうしてぼくは下っ腹にばかり贅肉が着いてしまうのだろうか。堀越くんには死んでも見られたくない、情けなさ過ぎる貧相な身体だ。よかった……、堀越くんとは別のクラスで……。
着替えが終わると、皆、中学までとは違いスカートタオルなどは持たずに堂々と手ぶらで更衣室を出て行った。ぼく以外の多くの男子が筋骨逞しく、今も運動部に所属している人の中にはボディービルダー並の筋肉を有する人もいる。そんな彼らの後ろを、ぼくは情けない身体を隠す物も持てずに極力目立たないようにとぼとぼと歩く。
授業が終わるまで何度もクロールで泳がされた。制服に着替えて更衣室を出、校舎までの遠い道程を歩く。一人で行くはずが良樹君が追いついてきて、ぼくの隣に並んだ。お互いにちゃんと服を着ていればごく普通のクラスメイト同士だと思えるらしい。感性が単純に出来ていていいなと、ちょっと良樹君のことが羨ましくなる。
連れだって歩くぼくたちの横を、女子達が濡れ髪をなびかせながら駆け抜けて行った。
「プール上がりの女子って、いい感じだよな」
ぼくが女子を好きにならないのを知っていながら良樹君はそんなことを同意を求めるような口調で言う。ぼくは聞こえなかったふりをした。前方からは次にプールの授業を受けるのだろう、男子数名のグループが歩いてきた。見覚えのある顔ぶれ……三組の人達だ。彼らの後に少し遅れて、堀越くんものんびりと歩いてきた。
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