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夏は合宿⑫

「増田っちお疲れ〜」  三組の人達が友達にするように手を振ってくれたのでぼくも手を振り返し、そして後からやってきた堀越くんに向き合った。堀越くんはぼくまであと三メートルくらいの所からぴょんぴょんぴょんのぴょんで間合いを詰めてぼくの顔を覗き込んだ。濡れてぺしゃんこになったぼくの前髪を、堀越くんの指が左右に別ける。 「おっ、いいね。水も滴る……かわいい男」  そう言って目を細める堀越くんの顔が鼻と鼻の触れ合いそうなほど間近にきたからちょっとドキッとしてしまったけど、堀越くんはそこで初めて良樹君の存在に気付いたようにぼくから彼の方へ視線をチラッと向けると、屈めていた背中を伸ばし、 「じゃ、昼休みに」  ぼくの肩をぽんと叩いて駆けて行ってしまった。堀越くんの背中が見えなくなるまで見送っていたぼくの後ろで、良樹君がフンと鼻を鳴らした。振り返ると良樹君はぼくを冷ややかな目つきで見ていた。 「前々から気になってたんだけど、お前さ、堀越とは何繋がりなの」 「そんなのどうでもよくない?」  ぼくの答えに良樹君は一層眉間の皺を深くした。大柄で目付きの鋭い良樹君がそんな表情をするととても恐ろしげで、以前のぼくだったらそれだけで震え上がって速攻でご機嫌取りに走っただろうけど、堀越くんと顔を合わせた直後だからだろうか、不思議と勇気が湧いてきてぼくは良樹君を睨み返した。 「なんだよ」 「良樹君こそ、ぼくに何か文句でも?」 「最近、昼休みも抜けるし、それに放課後だって。お前、部活はどうした? 美術部入ったんだろ。堀越なんかと遊んでていいのかよ」 「美術部は水曜日が定例の批評会で唯一部員が集まる日だけど、うちらのクラスはその時間は課外授業だから、ぼくだけ一度も出れてない。他の曜日はメンバーみんなめいめいに自分の作品に向き合ってるし来たり来なかったりだし、わざわざ顔を出さなくても良いって顧問の先生が言うからぼくは家でやって時々先生に見てもらうだけだ。否応なしに幽霊部員状態になってて部員の知り合いもほぼいない状態だけどやることはちゃんとやってる。良樹君みたいな団体行動の運動部の人には分からないかもしれないけど、美術部の場合はそれで全然オーケーなんだ」  喋っている間にムカムカと怒りのボルテージが上がってきてぼくは早口で捲し立てる自分を止められなくなった。 「ていうかぁー、良樹君ほんとうに何なの? 何でぼくのやることに口出ししてくんの? 友達でもない癖に」   友達でもない癖に。それはただの現実をそのまま言っただけの一言だったのに、抑揚のない口調で放ったにしては絶大な威力を発揮した。良樹君は顔を平手打ちでもされたかのように顔を歪めて短く呻ると、一歩後ずさった。 「だってお前、堀越だぞ。下のクラスでも他の奴ならまだしも、堀越っておま」  ドンッとぼくは一歩前に踏み出し良樹君をビシッと指差した。 「どーせ良樹君は今でもぼくが良樹君を好きだと思って馬鹿にしてるだけなんだろっ! 別にもう全然好きなんかじゃないもんっ。もうどーでもいいもんっ。お互いどーでもいい者同士、どーでもいいなりの距離取れよばーか! いつまでもごちゃごちゃごちゃごちゃうざってーな!!」  七組の、後からきた連中がぼくたちのことをちらちら見つつも大きめに回避しつつ通り過ぎていく。良樹君はまるで魔法にでもかかったかのようにあんぐり口を開けたまま硬直してしまって動かない。これ以上追い込むのは、オーバーキルというものだろう。 「フン、歯ごたえのない野郎だ」  ぼくは人生で一度は言ってみたかった台詞を吐き捨てると、校舎の方へと歩き出した。  すごくスカッとした……はずが、教室に戻って自分の席に着くと急に足がガクガクと震え出した。そこへ藤井さんがスススと寄ってきて小声で言った。 「やるじゃん」 「見てたの?」 「おもし……もとい、カッコよかったよ」 「今、面白かったって言おうとしてたでしょ」 「ふふ、言ってない言ってない」  藤井さんと軽口を言い合ったのにも拘わらず、気が紛れることはなく震えは一層増すばかりだった。あんなに言いのめしちゃって……良樹君だってこの教室に戻って来るのに……。最近席替えがあって席は遠くなったとはいえ気まず過ぎる。  「友達でもない癖に」という自分の言い放った一言が、今頃になってぼく自身をグサグサグサグサと刺してくる。良樹君とは友達でも何でもない。それは事実じゃないか。友達でないばかりか、過去に彼を慕って必死でまとわり着いていたぼくに何をした? めちゃめちゃ虐めて来たじゃないか。なのに、言っちゃった瞬間、良樹君は凄く傷ついた顔をした。でも、良樹君が悪いんだ。ぼくを下に見て侮ってばかりいるから反撃されたんだ。ぼくはもう良樹君のことなんか好きじゃない。嫌いとも思わない。ハッキリ言ってどーでもいい。今のぼくの心は堀越くんでいっぱいだから良樹君のことなんかに割くスペースなど一ミクロンもない。なのに、どうしてこんなに心が痛むのだろう。ぼく、何も悪いことしてないのに……。  ぼくは考えた。さっきの良樹君のあれはあれだ。よくドラマとかにあるやつ。ヒロインがカッコよくて優しい男と付き合い出した途端にイチャモンつけて来る、ヒロインの過去の男のムーブ。ダサい、オブ、ダサい。そんなヤツ、傷ついたって放っておけって話だ。  気まずくて遠く離れた後ろの方にある良樹君の席の方を振り返って見ることが出来なかったが、どうやら良樹君は教室に帰って来なかったようだ。午前の授業終了のチャイムが鳴った五分後、やっと授業が終わると同時にぼくは弁当袋を抱えて教室を飛び出した。  今日もお昼は体育館で堀越くんと。 「もうだいぶ乾いちゃったな。ずぶ濡れ可愛かったのに、勿体ない」  堀越くんはぼくの前髪を弄りながらそう惜しがった。堀越くんの髪もまだ少し濡れていたが、タオルでよく拭いたらしく髪型はすっかりいつもどおりだ。堀越くんの濡れそぼった髪、見てみたかったなー。それに、水泳パンツ姿とかも。同じクラスだったら見れたのに。でもでも、仮にそうだったとしたらぼくの残念なお腹を堀越くんに見られちゃうってことでもあるから、ちょっと複雑な気分だ。

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