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夏は合宿⑮

「増田くん……背、伸びた?」  お父さんの車を降りてきた堀越くんの第一声はそれだった。向かい合わせに立ってみると確かに、以前は真っ直ぐ向き合うとぼくの視界に入るのは堀越くんの胸の辺りだったのに、今は顎辺り。軽く顔を上げるだけで堀越くんと目が合ってしまう。 「すごいなぁ。最後に会ってから二週間も経ってないだろ」  堀越くんはぼくの頭の上に手を乗せた。そのままグリグリと撫でられるのがぼくは好きだったけど、身長差が詰まったせいかちょっと違和感があるような。 「あらあら、いらっしゃい。堀越君ね。いつもうちの裕太がお世話になっております」  母は知らない子なんか家に泊めたくないと言っていた割に、オープンな感じの歓迎モードだ。それはいいとして、 「あらー、まあまあまあまあ! いい男じゃないのぉ」 「本当ねぇ。ハンサムだわぁ」 「背が高くってまぁ。ノブオちゃんくらいあるんじゃない?」  伯母さん達まで温泉旅館のお出迎えの人達よろしく玄関に整列しているのは何故なんだ!? 伯母さん達に知られたら五月蝿いから黙っといてって母には言っといたのに、どうして黙っていられないんだろう! ちなみに「ノブオちゃん」というのはぼくの亡き父のことだ。 「裕ちゃんよかったじゃない。いいオトコ捕まえて」 「えっ」  ぼくは堀越くんのお父さんの車の方を見た。堀越くんのお父さんは荷台から自転車を下ろそうとしている。今の、聴こえていないといいけど……。堀越くんはといえば、伯母さんの爆弾発言に動揺した様子もなく、いつもどおり穏やかな微笑を顔に浮かべていた。 「増田くんは受け入れられているんだな」  玄関を上がる時、堀越くんはそう囁いた。 「ううん。ただ面白がられてるだけだよ。あと、堀越くんが思ったよりカッコよかったからってテンション上がってるだけだと思う」 「そう?」  肩を竦める堀越くんを茶の間に案内し、それからぼくは廊下をぐるっと回って北側の出入り口から茶の間に入った。堀越くんのお父さんに正座でお辞儀をする母の横にぼくも着座して頭を下げる。顔を上げると堀越くんは入り口の所に立ったままキョトンとしていたが、お父さんに促されて神妙な顔つきで着座すると見様見真似って感じで頭を下げた。 「仏様にお線香を上げさせていただいてもよろしいですか?」 「ええ、どうぞどうぞ」 「ありがとうございます。さ、リュウちゃんも一緒にお線香上げさせてもらおう」  お父さんのあとに続いて立った堀越くんの頭上には見えない「?」マークがいっぱい浮かんでいるようだ。うちみたいに田舎っぽい仰々しいやり取りには馴れていないらしく、お父さんから火の点いたお線香を縦に振って消す方法を教わって「おぉ!」と小さく感嘆の声を上げていた。  ぼくん家に同級生が遊びに来ることは初めてではないが、こんな風にまるで久しぶりに来た遠い親戚にするかのように出迎えたことなんか初めてだ。堀越くんもいつになく緊張して居心地悪そうにしているし、ちょっとやり過ぎなんじゃないの? いつの間にか伯母さん達が勝手に台所を使い、ナスやキュウリの漬物を切ってお茶請けに出しにきたし。これって、新手の嫌がらせだろうか……。  ちょっと挨拶だけと言っていた堀越くんのお父さんを母と伯母さん達はまんまと引き止めてよもやま話に持ち込んだ。これは数時間拘束してしまうやつだ。 「ぼく、堀越くんに家の中を案内してくるね」  いたたまれなくなったぼくはそう言って立ち上がり、堀越くんを連れて茶の間を出た。 「ここが台所」 「おー、明るいな」 「ここがお風呂」 「おー、広いな」 「そしてここがトイレ」 「おー、洋式だ」 「あっちが、お祖母ちゃんの部屋で今はお母さんが使ってて」 「うん」 「それで、二階がぼくと妹の部屋」 「うん」 「こっちが階段。どうぞ上がって」 「うん」  先に階段を上がったぼくのあとを堀越くんはおとなしく着いてくる。これは堀越くんにとって楽しいのか? プランを練る時はわくわくだったのに、今頃になって急に不安になってきた。  二階の手前が妹の部屋で、奥がぼくの部屋だ。堀越くんは廊下の北側の窓の外を見た。 「すごい、見晴らしいいな。ずーっと田んぼばっかり。山、綺麗だし」 「何もないとこでしょ」 「いや、あるって。うちとおんなじ市内とは思えない風景だよな」 「堀越くん家はM駅の近く?」 「まあ近いっちゃ近い。家が超密集してるとこ」 「へぇ。ぼくもあとで堀越くん家に遊びに行ってもいい?」 「いいけど、がっかりすると思うよ。狭いし、暗いし」 「そんなことないよ。さあ、ここがぼくの部屋。どーぞ」 「うん、おじゃまします。お、めちゃめちゃ片付いてるじゃん」  超頑張って片付けたもんね! 入り口の硝子戸と南のサッシを全開にすると風がよく通り、枯れたイグサ臭くてぬるまった空気がたちまち吹き飛ばされていく。畳と窓にはちょっと段差があって、踏み台を兼ねた小型の本棚がそこに置いてある。堀越くんはそこを上がってベランダに出た。ぼくも続いて出る。昨日ベランダに敷いた()の子を必死で雑巾がけしたので、素足で出ても大丈夫だ。 「電車だ。増田くん家って車内から見えるんじゃん?」 「ちょー目を凝らせば見えるかもね」  堀越くんは手すりに両手をついて軽く身を乗り出した。子供の頃はとても高く感じたそれはぼくたちには低すぎて、ちょっと勢い余って前のめりになったら屋根を転がり落ちてしまいそうなほどだ。昔から変わらない砂埃と鉄と鳥の糞の入り混じった臭いが鼻を突く。一階と二階、両方の屋根瓦の隙間からカサコソと忙しない音が聴こえてくる。瓦の隙間や雨樋(あまどい)にスズメがたくさん住み着いているからだ。ぼくにとっては当たり前の臭いに当たり前の音。そんなものに満ちた場所で堀越くんは観光地に来た旅行者のように目を輝かせて景色を眺めている。何でもない農村の風景。田んぼの広がる中に巨大なブロッコリーみたいな屋敷森が点在している。地平線の方は南も山、北西も山で、その他の方向は杉林が塞いでいる。空は開けているのに閉塞感しかなくつまらない風景だとぼくは思っていたけど、堀越くんは案外楽しそうだ。  右手の方、屋根の上にまで伸びている栗の木の枝がガサゴソと揺れ猫が一匹屋根瓦の上に飛び降りた。 「三毛猫だ。増田くん家の猫?」 「飼ってるっていうか住み着いてるって感じかなあ。餌にカリカリ上げてるけどすぐどこか行っちゃうんだよね。近くの家で猫にお刺身あげる家があってさ。おい、タマジロウ、こっちおいで!」 「はは、タマジロウ……」  堀越くんはタマジロウという名前になんかウケている。タマジロウはニャーンとひと鳴きすると瓦の上をトコトコ駆けてきて、ぴょんとひとっ飛びで手すりに乗り、簀の子に着地した。そしてぼくを無視して堀越くんの方へのろのろと歩いていく。  タマジロウは堀越くんを気に入ったみたいで、部屋に戻っても踏み台兼本棚に腰掛ける堀越くんの膝の上にちょこんと収まった。

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