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夏は合宿⑯
タマジロウは堀越くんのTシャツの匂いをくんくん嗅いだ。
「犬の臭いするだろ。嫌じゃない?」
下顎を指でくすぐられたタマジロウは嬉しそうに目を細めた。
「堀越くんって犬飼ってるの?」
「いんや。バイト先のマスターがシーズー飼ってて、たまに散歩押し付けられるんだよ。今朝もここ来る前にしてきた」
ぼくの問いにちょっと顔を上げた堀越くんはそう答えるとまた視線をタマジロウに戻した。
「ふーん。堀越くんは動物が好きなんだね」
「うん、まあまあ好き」
仰向けになってじゃれつくタマジロウに堀越くんは手で応戦している。そんな堀越くんをぼくは今日初めてじっくりと見た。そういえば、堀越くんの私服姿を見るのは春休み以来だ。シンプルなTシャツとジーンズ姿。あれが最近流行っているというヴィンテージのジーンズなのかな。適度に色が抜けて膝が擦り切れているところがなんだかオシャレで大人っぽい。黒地のTシャツはアディダスかと思ったらよく見たら「アジです」だった。それ絶対修学旅行で買ったやつ! だがたとえTシャツの柄がネタであっても堀越くんはかっこいい。そんな堀越くんがうちにいるって。しかもぼくの部屋の窓際に腰掛けているって。長めの前髪の間からのぞく伏せられた睫毛とかきりりと通った鼻筋とかに見惚れていたらふと堀越くんが顔を上げこっちを見たのでドキッとした。堀越くんはいつもの優しげな微笑みを浮かべて言った。
「どうしたの、カチカチに固まって」
「え、あ、いや……」
「自分の部屋じゃん。足崩したらいいのに」
そう言われるまで全然自覚がなかったがぼくは無意識にきっちりと膝を揃えて正座をしていた。意識した途端に足がぴりぴりと痺れてきたので体育座りに座り直した。堀越くんは腰を上げ、網戸を開けてタマジロウを簀の子の上に逃がすとこっちに来てぼくの隣に座った。肩にのしっと堀越くんの重みがかかる。
「な、なに?」
「さっき、増田くん、猫にやきもち焼いてた」
「えー、焼いてないよ」
「だってすげー顔でこっち睨んでたもん」
「睨んでないよ」
「マジ恐かったな」
「うそ」
「うっそー」
堀越くんが顔を近づけてくるので、ぼくはギュッと目を閉じた。唇の先に堀越くんの唇がつんつんと数回触れ、そして肩に腕が回されてごろりと畳の上に横倒しにされる。堀越くんも一緒に寝そべって、両手でぼくの頬を挟んだ。
「今日も安定の『くちぱっち』……背、伸びて、ほっぺたもすっきりしたのに、かわらないな。なー、進学合宿、楽しかった?」
「進学合宿ぅ? うーん、あんまり。っていうかやっぱ修行みたいなもんだったよ。朝から晩までずーっと勉強。帰り際までひたすら勉強しまくりだしそれに、」
「それに?」
それに、何故だか男子部屋の中ではパンツ一丁で過ごすという謎のルールを誰かが決めて本当にみんな自由時間と夜はパンツ暮らしをしていたし、お風呂は林間学校や修学旅行みたいに皆一緒に大浴場に入るからぼくは身の置き所がなくて隅っこの方で縮こまっていたよ!
「あー、まぁ……ぼくには裸の付き合いみたいなのはつくづく合わないっていうか……ね……」
「柳瀬とは同じ部屋だったの?」
堀越くんは目を眇め片頬を歪めて酷薄な笑みをうかべた。堀越くんがこういう顔をするのは良樹君の話が出た時くらいだ。ぼくが進学合宿があるってことを話した時も今までに見たことがないほどぶすっとむくれ顔をして「あー」とか「うん」とか不機嫌全開の応答しかしてくれなかった。でも、でもでもぼくはその時、こんなことは思っちゃいけないのかもしれないけどちょっと嬉しいなと思ってしまった。ぼくが嫌いだと思っている相手を堀越くんも嫌ってるだなんて最高だなって。それでぼくは堀越くんにうちで「合宿」しない? って提案をしたんだ。なんというか、埋め合わせみたいなものかな?
「大部屋にクラス全員同じ部屋だったよ」
「柳瀬 になんかされなかった?」
「なんかって、なに?」
すると堀越くんは指を猫の手みたいに丸めてた手でぼくの頬をちょいちょいと触り、
「なんか、だよ」
と内緒話みたいに囁いた。
「むしろ良樹 君がぼくを警戒して逃げ回ってたよ」
ぼくもおどけた口調で言ってから堀越くんの頬を猫パンチでちょいちょいとつついた。
「なにそれ……ふふ……増田くん、こっちおいで」
両手をぼくに向かって伸ばす堀越くんの手はまだ猫の手のまんまで、そうしているとさっき堀越くんの膝でじゃれていた時のタマジロウみたいなポーズだ。ぼくも畳の上でうねうねする猫のように身をよじって堀越くんに近づいた。すると腕の中にすっぽり入ったぼくの脇の下に堀越くんは手を差し入れてそのままぐるっと仰向けになり、ベンチプレスの要領でぼくを持ち上げた。
肘がぴんと張るまで持ち上げられて、しばらくしてゆっくりと降ろされたとき、ぼくは堀越くんの胸の上に墜落しないよう両手を畳についた。堀越くんは両手を降参のポーズみたいにぼくの手の外側に置いた。恋愛ドラマとか『エヴァンゲリオン』とかで見たことあるやつ……。まるでぼくが堀越くんを押し倒したかのような姿勢だ。
堀越くんはやや無表情めで唇の両端だけ少し上げてぼくを見た。顔を近づけたらぼくの顔が堀越くんの目の表面に映り、その奥では茶色の虹彩に囲まれた瞳孔が光を取り込もうと拡大していった。その瞳孔の動きに魅入られつつ堀越くんにキスをしたので鼻と鼻が正面からぶつかってムニュッってなった。思わず顔を離したら今度は堀越くんが首を上げて顔の角度を少し傾けてキスしてきた。その時ぼくの口はさっき鼻をぶつけてしまったことへの焦りで半開きになっていたのだけれど、そこへ堀越くんも口を開けたままキスをしてきたので舌と舌がぬるっと触れ合った。唇と唇が隙間なく合わさって、その内側で堀越くんの舌がぼくの口の中をぬるりと一周舐め回した。足のつま先から頭のてっぺんまでビリビリと電流が走り抜けた感じ。……そして、ゆっくりと唇を離し見詰め合った。
「こういうキス、嫌じゃない?」
嫌じゃないと答えようとしたらヨダレを垂らしそうになってしまい慌ててすすったら「じゅるり」と雰囲気ぶち壊しな音が出ちゃったけど堀越くんはそれを聞き逃してくれて、辛うじて頷いたぼくの膝を手でさすりながら、
「じゃあ、もう一度する?」
と言ってくれた。けれどその時一階の方がざわざわして、どうやら堀越くんのお父さんが帰ろうとしているのを母と伯母さん達がわいわいと引き止めているようだった。
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