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五、渚に怪しげな人影がありました
はたと意識が切り替わる。海が橙に彩られていた。尻と背中が痛い。どうも居眠りしてしまったようだ。昨日あんまり寝てないもんな……いや、昨日の話は良い。
プライベートビーチの様子が妙だった。鉄板が整然と並べられ、わらわらと人が集まり出している。ああそうだ、今日の晩飯はバーベキューだっけ?
腹は減っているし、食うもんは食いたい。俺はのろのろとプライベートビーチへ戻っていった。
バーベキューは立食式で、調理が済んだものから思い思い取っていく形だった。安心して俺は一人で食いたい物を食い、飲みたい物も飲ませてもらうことにした。
多分、良い肉だった。噛めば肉汁が溢れて、歯ごたえは焼いても尚柔らかく、それでいて噛み砕く実感があった。
満腹を感じたところで、日も落ちた。別荘に戻る者、花火をやろうと言い出す者、めいめい散り散りになっていく。
俺はそのどちらにも混ざらず、別荘を支える岸壁の裏手へ回った。そこも一応は春日家のプライベートビーチではあるらしいが、危ないので入るなと言われた。そのお陰で誰もいない。
砂浜に腰を下ろし、暗がりで一人、胸板を上下させるほどに息を吐く。まったく、半日経たずして俺の身体はもうのぼせ上がっていた。肉のせいか。俺は肉食獣にでも先祖返りしてんのか。
すると、話し声が近づいてきた。人影が二つ。そいつらは波打ち際へ寄っていくので、俺は岸壁の方へと下がっていった。
「誰かいたらどうするわけ?」
「良いだろ、別に」
その男女の声に、俺は嘆息する。まったく、馬鹿共め。そっちがその気なら、こっちもこうしてやるとばかり、俺は水着の紐を緩めて、カップルの男よりも先に準備を済ませたそれを引きずり出す。
俺はエロ動画よりはエロ画像の方が抜ける質だが、現実にやっている光景ならまた別かもしれない。早くやることをやれよ──と。
「何してんの」
「いっ!?」
不意に耳元でした声に、俺は裏返った悲鳴を上げる。
「えっ、ちょっとやだ、誰かいるじゃん」
「先客だったりして?」
あははとカップルが波打ち際で笑う。
後ろから手が伸びてきて、俺の口を顎ごとがっつりと塞ぐ。
「出歯亀オナニーとか節操なさすぎなんじゃないの」
耳たぶにふっと息を吹きかけられる。返す言葉もない。実際に口はふさがれてるんだが。
そうこうする内に、男女の声は、人間のそれから獣のそれへと、退化していった。
「ったく、だからこっち来るなって言ってんのに、絶対やる馬鹿いると思ったんだ」
声をひそめた春日の囁きには、後を引く甘ったるさがあった。
何より、俺の太股はさっきから執拗に撫でられている。水着はとっくに足首まで突き落とされました、はい。
「ん……で、どうすんの? あの二人のセックスおかずにシコんの?」
言いながら、掌は太股の内側にきゅうと寄ってくる。が、そこへは触れない。
「ほら、さっさとしなよ……声我慢できるようにしててやるから、ほら」
って、俺が自分で触らなきゃだめなのか。
俺はダランと下ろしていた自分の右手を、そっと怒張へと持っていった。ぎゅっと掴み取って、上向かせる方向へ圧力を掛けるが、それ以上手が動かせない。
「どうしたの? 早く抜いちゃわないと、抜き所が終わっちゃうぜ」
というか、もう、カップルの声などまるで耳に届かない。俺の背後を取っている春日の声だけが、頭蓋を揺さぶるほど強烈に響く。
俺は春日に覆われた口をもごもごと動かした。言いたいことがある、と。
「ん……デカい声出すと、奴らにバレるぜ、ちんちん剥き出しで出歯亀してた変態ですって。残りの高校生活どうするつもり?」
実際、今のこの場を誰かが目撃したところで、出歯亀の変態を取り押さえている勇敢な貴公子となるのがオチだ。
春日の手がゆっくりと下ろされた。俺は春日の肩に後ろ頭をもたせかけ、できるだけ耳元で声を出すようにする。
「……か、春日」
「ん、聞こえる」
「……って、ほし……」
「何? 聞こえないよ」
「ちんちん、しゃぶって、欲し……昨日、の……」
ほとんど明かりもなく、物の形が分かる程度の夜の世界で。
「あは……何、それ。俺にまた抜いて欲しいの?」
春日が高飛車に他人を蔑む表情なんて、いったい誰が見たことがあるのだろうか。
「俺のお口でイきたい?」
「う……たのむ、すげえ、良かっ……」
岸壁に押し込まれた。背中に岩がゴツゴツと当たって痛いが、俺の前で春日がしゃがむ気配がした。
「うっ……!」と、俺は苦痛にうめいた。口のぬかるみにはまり込んだ瞬間、あまりに漲っていた俺の一物は痛みさえ感じた。
「声出すな」
春日は昨日とは裏腹の要求を突きつけてくる。俺は両手で口を押さえることにした。
唾液が泡立ち、ぷつぷつと潰れる音が、妙にはっきりと聞こえてくる。下半身の感覚がまるでない。情欲の熱に包まれて全てが溶けきって、春日の口に飲み込まれていた。
俺は背を反らし、腹を持ち上げ気味に、挿入を深くしようと──ぺっと、唾の音と共に吐き出された。
「そーゆーことしたいなら、最初に言って」
不機嫌に声が曇っていた。
「手、どっちか下ろせ」
春日に言われるがまま、右手で口を塞いだまま、左手を下ろす。春日の後ろ頭を支えるように、導かれていく。
「どう動くか手で教えて」
俺は喉を鳴らした。だめじゃないのか。
再び春日が俺を呑む。左手を軽く押しつけて、突き上げる動きを予告する。亀頭がぷりぷりした肉に突き当たる。そこは、本当は突いたりしてはいけない場所なのだが、俺の左手がガッツリと春日の髪を掴み、そこを突かせろと──すると春日の頭が深く沈んだ。
後はもう、左手の合図も何もあったものではなく、俺は春日の口の中を、自分が思うままの腰つきでひたすら擦り上げた。頬の裏側も、舌も、咽頭も、歯さえも、とにかく口の中の全てが愛おしい。
ついに両手で頭を掴み、前屈みに完全に口を犯す姿勢を取ってしまう。春日は抵抗せずに、むしろ俺の尻に手を回して、俺を引き寄せてきた。
寄せては返る人気のない波、海に向かって吹き付ける風、春日の口を犯して荒くなる俺の息、俺に口を犯されて少し苦しげな春日の息。
「あ……出す……出すぞ……」
額にちかちかと瞬くような感覚。通常の排泄とは比べものにならない疼きと切なさ。竿をしごく唇がきゅっと引き絞られた。それを合図に、俺はぷつりと糸を切った。
「あ……く……いぃ……」
どろどろと溶けていく肉棒を、それでもまだ腰を使ってしごかせながら。
「……飲、め……」
ついにそんなことを言っていた。
春日は何も言わない──というか、何も言えるわけもなく──ただ、力を失っていく俺を、まるで赤ん坊のおしゃぶりのように、まだ口でぐちゅぐちゅと言わせている。
それを嚥下する音が、喉仏の上下する気配さえ、はっきりと感じ取れた。
急速に身体が冷えていく。夏の夜が奇妙に薄ら寒い。いったいあのカップルがいつ行為を終えて帰ったのかさえ分からない。
「満足?」と、俺の精液を飲み干した口が言った。
「あ……あの、えっと……」
謝るべきか? お礼を言うべきか? いや待て、そもそも何でこんなことになった?
「あの、春日って……さ、その」
「いい加減、しまったら、それ」
視界が悪いから忘れていたが、俺は未だに春日の眼前に股間を突きつけたままだったのだ。しかも、萎えたものを。
わたわたと水着を引き上げている間に、春日は俺から少し離れた所に、座り直した。その横顔のシルエットは、広告のためにデザインされたような曲線を描いていた。
水着姿に戻った俺は、気後れを感じながらも、春日の側に腰掛ける。
「あの……それでですね」
「何さ」
すらりと足を伸ばして座る春日と、膝を抱えて背を丸める俺と。
「つまり春日は……えっと、ホモなの?」
即答はしないだろうと思ったが、返事を待つというには十分すぎるほどの沈黙が流れて。
「あの……女子大生の、婚約者がいるって……」
「親同士が知り合いだからね、幼馴染み。そういうの他にもいっぱいいる」
いかにも上流階級らしい答えではないか。
「それで、その、付き合ってる、の?」
「あのさ、俺とセックスした女が何を考えると思う?」
結婚とか? 気が早くないか? でも、社長の息子となると、意識しちゃうかもな。
「つまり、その……女だといろいろ……だから……男で、済ませるみたいな……?」
また返事がない。
「えっと……彼氏とか、いるの?」
「いたけど、別れた」
あ、そうなんだ。今フリーなんだ。っていうか、彼氏だったら「いた」とか言えるんだ、へえ。
「……で? それがどうかした?」
春日の顔が正面を向いたのは分かったが、俺の顔とどれだけの距離があるのかが分からず、俺は尻からじりと下がった。
「いや、どうって言うか……あの、なんでかなって」
「何でって?」
「だから、なんで俺にこんなこと……!」
耳たぶをつままれて、引かれた。
「ちんちんしゃぶってくださいってお願いしてきたのは? それでちんぽくわえてやった人の頭ガッツリ引き寄せて、ガンガン腰使って精子飲ませたのは誰だ?」
「……いや、あの……えぇと、だから、だって、断らなかったじゃん」
「まあね」
俺の耳たぶがゴムで出来ていたらパチンと音を立てていただろう。
「で、俺の別荘に来たくないって言ってたの、のべつまくなし勃起しまくって大変だから?」
「いや、あの、そこまでじゃないです……」
「でもシコるの我慢できないんだろ、一日も。中坊かお前」
「中学生の時はむしろ平気だったんだけどな……」
俺が思わず零すと、春日はぷっと吹き出した。
「面白。なに、それ」
「いやだから、高三になって急にムラムラ来るようになって……それまで俺、あんまりそういうの興味なかったんだよ、いや本当の話……」
「受験のストレス的な?」
「……かもなぁ、多分。昨日も、高田が変なこと言わなけりゃ、良かったんだ」
「なんだ、猥談で盛り上がりでもしたの」
「……した。ってか、もうほとんど修学旅行二度目って感じだな」
そこで流れた沈黙は、そう気まずいものでもなかった。
「春日はさ、なんでこんな、みんなを別荘に呼んだりしたの」
「ん……いや、それまでも呼んでたよ、親の付き合いがある連中。今回はそれを外してみただけ」
「学年全員が押しかけたらどうするつもりだったんだよ」
「そこまで俺は好かれちゃいないよ」
成績も優秀、容姿も端麗、家は金持ち。こんだけやっかまれそうな要素満載のくせに、春日を嫌ってる奴なんて、見たことないが。生まれついてのカリスマだろう。
「よく篠井を誘えたよな、お前」
春日は妙なことを言う。
「いや、篠井が俺を連れ出したんだよ、さっき話してたじゃん」
「違う、お前が篠井を連れ出したの。お前がいなかったら絶対来てない」
そこで春日はすっくと立ち上がった。
「俺は戻る」
それじゃあ俺も、と立ち上がりかけたところを、春日は手で制した。
「一緒に戻れるか。後から来て」
「え……なんで」
「『ホモ』って疑われるのはごめんだ」
俺の鼻先に人差し指が突きつけられたのが分かった。
ザクザクと砂浜が踏みしめられる音が遠ざかるのを聞いて、そういえば結局、春日は何で俺にこんなことをしたのか──というか、なんで俺にあんなこと言われて言うこときくのか──という理由が、全然聞き出せていないことに、気づいた。
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