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十四、私の部屋に来ませんか

 夏休みが明けるのが待ち遠しかったのは初めてだった。久々の登校、教室に入った俺はそわそわと周囲を見回す。春日は……まだ来ていないのか。  でも、教室で見かけたら、どんな態度を取れば良いんだろう。俺は一つ前の席を見た。まだ空席だが、そこは高田の席である。あいつ、秋本と普段どうしてるっけ? 教室では二人とも普通だと思う。ということは、俺も春日と普通に……していられるかなぁ。 「おはよう」  その声に俺は飛び上がった。教室の前の扉から、春日が入ってきた。  だが、春日は俺に一瞥もくれず、自分の机に荷物を下ろすと、小学校からの付き合いがある友達──というか、取り巻き──と、ああでもないこうでもないと、中身のない話で盛り上がり始める。  いや、俺の席、教室の後ろの方だって分かってるよね? 全然見てもくれないの? 挨拶もなし?  俺は窓の外を見た。色の薄い秋の青空の下、校庭を取り囲む近隣の建物がごちゃごちゃしていて、あまり眺めの良い場所ではない。  そしてまた教室に目を戻すと、やはり春日は俺の存在になんて気づいていないかのようだ。俺の席は教室の左後ろ、対する春日は右の手前なので、そこを注視していてもそこまで変ではないと思ったのだが。 「おい、伊集院」  篠井が唐突に俺の視界を遮った。 「ちょっと聞きたいんだけどさ、この英語の問題、お前、どう思う……」  俺の返事を待たず、篠井が俺の机にノートと参考書を広げる。えぇい、くそ。俺は篠井の話を聞くしかなかった。  そうか、つまり、俺たちはただのクラスメイトってわけだ。  始業式の間も、俺はイライラしっぱなしだった。講堂から教室に戻るとスマホにメッセージが入ってた。 『今日の放課後、T駅で会おっか』 (って、一緒に行くんじゃないのかよ!) 『テニス部の用事があるから』  メッセージであれ、春日ともっと喋りたかったのだが、担任が入ってきたので一時中断。簡単な連絡事項と、宿題を提出したら、終わり。  俺はそそくさと教室を出る。わざと前方の扉に回り込んで、春日の目の前を横切ったが、春日は部活の連中と話していて、やはり俺を見なかった。  二学期初日にT駅、それも制服で男同士となると、せいぜい『友達』の体でファストフード店で駄弁るのが関の山だった。 「ああ、そうそう。志門くん、ガッコではエロ禁」  あらかた飲み終えたシェイクのストローをくわえたまま、春日はそんなことを言った。 「え、いくら俺でも学校で、そんな」  教師の目を盗んで? 保健室で? そりゃいくらなんでもファンタジーだ。  と、春日が白けきった様子で、ため息をついて。 「そうじゃなくて、全部」 「どういうこと?」 「だから、キスとかペッティングも無し」  ……それって、つまり。 「だから、学校では今まで通りにして!」 「今までって、俺にとっての今までは、もう夏休みのあの時からだよ」  春日の言わんとすることは分かったが、俺はささやかな抵抗をした。すると、春日の両頬が、飲んでいたイチゴシェイクと同じピンクに染まった。 「そうじゃなくて……あの、今まで、友達付き合いとか、あった方じゃないんだから……それに万が一見つかったら大変でしょ……」  春日がオタオタと言い訳する。ちょっと楽しい反面、やはり気の毒である。 「じゃ、デートは休みの日にしよう。学校帰りに会うと、なんか寂しくなる」  俺がそう言うと、春日はますます顔を赤くしたのだが、そこで照れる理由は分からなかった。  というわけで、俺たちは休日に会うことでしか恋人らしい時間を過ごせないのであった。しかも、学校の連中を警戒して遠出するものだから、交通費と時間を余計に消費する。  九月が終わるのを待たずして、俺の小遣いはとうとう尽きた。春日の行きたい場所への電車賃が片道分しか出せない。あまりに情けなかった……っていうか、春日が金遣い荒いの、それまで付き合ってた男が年上……いや、いいんだ、春日はもう俺のものだから。 (春日、今度の日曜は俺ん家来ない?)  で、小遣い不足を悟られないための妙案をラインで送ると。 『良いけど』  春日も俺の懐事情に勘づいているんだろう、あっさりとOKを出してくれた。 『彼氏ですとか親に紹介するのは無しね』  まだ俺も、そこまで割り切れてないんだが……。 (親いないし大丈夫だよ)  父は休日出勤、母はカルチャーセンターで描いている絵の展示会で、それぞれ出かける。帰りの時間に狂いが出ないことも確実だ。 (俺ん家の最寄りはS駅で、そこからバス使う) (待ち合わせは駅で良いよな) (中間近いし、一緒に勉強する?)  既読はつくけど、返事がない。 (どうしたんだよ) 『親がいないって、どういうこと』  なんでそこで話が止まってんだ? (父さんも母さんも夜まで帰ってこないよ) 『あのさ』  前置きの一言が流れるので、ちょっと待つが、一向に次の言葉が送られてこない。 『ちょっとそれまずくない?』  何言ってんだこいつ。 (まずいって何が) 『親がいない所に俺を連れ込むって』 『俺が女だったらそういうことできる?』  どうやら俺はまた春日の地雷を踏んでしまったらしい。というか、女だったらって、何だそれ。 (そんな恥ずかしがらなくても良いじゃん) 『恥ずかしいとかじゃなくて』 『ちょっとそういうのは』 『良くないというか』  細切れにメッセージが流れてくる。 (じゃあ親に彼氏ですって紹介すれば良いの?) 『なんでそうなるんだよ』 (親に隠れて家でえっちとか良くないって言いたいんじゃないの?)  ラブホでやるのはよくっても自宅はダメなのか。真面目なんだか何なんだか。  で、また返信止まっちゃったよ。 『セックスは無し』  そして裁定が下った。 (えー) 『中間前だし勉強しに行く』 (それはさっき言ったじゃん) 『それなら、行く。いいな?』  ということで、春日を自宅に呼ぶのに、俺はとんでもない交換条件を飲まされた。  日曜日になって、出かける両親に食事を作ってやり、満面の笑顔で見送る。昼過ぎになって、俺はバス停までスキップで行く……ことはしなかったが、気分はそんな調子だった。  何てことはないベッドタウンの駅前の光景が輝いて見える。駅ビルはけっこう規模が大きく、近隣の駅から買い物客も来るので、改札口の人の出入りは激しい。ああ、春日、早く来てくれ。  と、人混みの中に、うちの学校の夏制服が見えた。あれ、誰だろ。  濃茶のズボンに白いワイシャツ。袖口の折り返しと胸ポケットに、明るい茶のチェック柄のアクセント。それに緑のネクタイ……同じ学年ですね。ええ、同じクラスの、春日秀司くんです。 「こんにちは」  唖然と立ちすくむ俺の前に、よそ行きの微笑みを浮かべた春日が立っていた。うちの高校の制服、俺が着ると発表会でおめかししてる子供みたいになるけど、春日が着ればデザイナーの思い通りの爽やかで品のある男子高校生だ。 「なんで制服着てきたの?」 「もう一着はクリーニングから返ってきてない、だからこれを明日着ていくんだ、分かるな?」  うちに泊まっていくつもりなのかな? 「絶対に汚すな。皺にもするな。そういうことだ」 「ちょ……どういう意味、俺が春日に何かするみたいな」  サンダル履きの爪先を踵で踏まれた。ご丁寧に指定の革靴だからもう、いってぇ! 「制服を脱がせるような真似は絶対にするなと言っている」  昭和の歌にそんなのありませんでしたっけ。女の子の歌だった気がするけど。  涙目の俺をよそに、春日はロータリーの方を見ている。 「俺、昼まだなんだけど、どこかで買ってくか食べてくかしていい?」 「うちに昼飯の残りあるけど」 「あ、それで良いよ」  というので、駅にはもう用事がなくなったので、ロータリーから公共交通機関のバスに乗る。話すことが思いつかなくて、俺はただ春日の横顔を見つめていた。見知らぬ街に来た春日は、バスの外をどんな思いで見ているのか、色を抜いた髪と同じ栗色の瞳に、流れる景色が映っていた。  次は第三中学校前、と機械の音声が流れたので、俺は停車ボタンを押した。 「あ」と春日が言うので、何かと思えば。 「押したかったかも」 「春日ってあんまりバス乗らないだろ」 「ん……そうだね」  黒塗りの高級車で送迎なんだろうか、と想像してしまうが、俺は春日の生活に踏み込んだ発言をするのは控えていた。何となく、春日が自分で話すのはいいけど、俺から聞いてはいけない気がする。 「……まあ、志門くんが考えているようなことだよ」  と、俺の思考を読んだような返事があった。  第三中学校前のバス停で降りたのは俺と春日だけだった。俺は何の気なしにクリーム色の校舎を指さす。 「この中学、俺が行くはずだったんだよね」 「成績良かったから私立にしたの?」 「……っていうかまぁ、いじめられたんだよ、名前で」  俺としてはたわいもない会話のつもりだったが、春日の面が深刻にふっと翳った。 「ごめん」 「いや、良いの。なんで伊集院なのに家が豪邸じゃないんだとか、しょうもないイチャモンだよ。ただしつこく言われると嫌じゃん」 「ん、そうだね」  むしろ春日の方がそういう因縁に悩んでいるのだ、今も。環境を変えて簡単に逃げられた俺は気楽なものだ。  平凡な一軒家の建ち並ぶ住宅街を、二人でぶらぶらと歩く。手を繋ぎたかったが、ご近所さんに見られるのはやっぱりまずかろう。 「ああ、だからか」  春日が一人で何かに納得したようだった。 「中一の自己紹介の時、志門くん、すごくつらそうだった」  やっぱり、春日も覚えてるのか。 「お前、フォローが手慣れてたよなぁ」  まあね、と小さい声で相づちが打たれた。  そうこうする内に、伊集院家に到着である。春日は門扉に「お邪魔します」と頭を下げた。  同じ学校の制服を着た人間が家に入ってくるのが、変な感じだ。中学に上がってから、遠距離通学者同士、家に招くよりは定期券の範囲で遊ぶ方が楽だ。藤岡ですら、結局は家には呼ばなかった。  三和土で靴を脱いでスリッパに履き替え、靴をきちんと揃えている春日を見て、俺はため息をついた。 「え、なに、何かまずかった?」 「いや、今日はヤれないのかと思うと」  で、蹴られた。  メシがまだという春日に、昼飯の残りを簡単に温め直す。青椒肉絲作りすぎたし、ちょうどいいや、あと春雨サラダも……ああ、モヤシのナムルも傷んじまうし、食わせちまおう。  椅子に座った春日は、食卓と台所が一緒になった生活感溢れる空間を、好奇心の隠せぬ顔で見回す。春日の友達でこんな狭い家に住んでる奴いないだろうし……いや、うちは狭くない。春日の世界の住人の家が広すぎるんだ。 「春日、炒飯と白い飯どっちが良い? あ、おかずは中華」 「え……なら、炒飯」 「だよね、やっぱり。んじゃ作る」 「って……あの、何やってんの?」 「いや、すぐだよ、具材は余ってるのあるし」  くっちゃべりながら、フライパンの中ではもうだいたい炒飯が完成しているのである。  洗い物増えるの面倒だし、皿はまとめちまうか。中華はこういう不精できて良いよな。  で、炒飯と青椒肉絲、春雨サラダとモヤシのナムルの付け合わせ、ついでにウーロン茶まで用意してやったのに、春日は固まってしまっている。 「あの……全部?」 「食って良いよ」 「そうじゃなくて、全部作ったの、これ」 「ナムルは母さんだけど」 「いやほとんど全部じゃん」  春日は険しい顔をしてスプーンと箸とで食い始める。ひょっとして、料理の腕を疑われてるのか。  俺もウーロン茶を手に、春日の向かいに座るが。 「……おいしいです」  険のある顔のまま、春日は言った。 「だったらもうちょっと嬉しそうな顔をしてくれよ」 「おいしいけど、納得いかない……志門くん、何なの。料理好きなの? 趣味? お母さん働いてるっけ?」 「いんや。単に、家庭科の授業が楽しかったから、うちでもやりたいって言ったら、やらせてもらえた」 「それでこんだけうまくなるの」 「時々弁当とか作ってるし」 「えっ」と言ったきり、春日は止まってしまった。 「食べたい物がある時な。時々だよ。いつも母さんに作ってもらってる。春日にも作ってやろうか?」  手作りの弁当か。なんかベタすぎるシチュエーションだが悪くないぞ。 「そういうのって、志門くんが俺にやって欲しいとか思うんじゃないの」 「へ? 春日って料理するの?」 「……あんまり、やったことはない」 「んじゃ、良いよ。弁当のおかずとか、春日が作ってる所は想像がつかないし」  ルッコラにトマトと生ハム、粉チーズに塩胡椒、オリーブオイルでもぶっ掛けるのが関の山に見えるが、それはさすがに黙っておこう。 「志門くんってさ……いろいろと、びっくりだよ、本当に」  人の作った飯をペロリとたいらげておきながら、釈然としない顔をしているのは、どうかなぁ。 「……今までに、誰かに食べさせたことあるの」 「ん? そりゃ親には」と言いかけて、どうもそういう話ではないと気づく。春日は例によってピンクグレープフルーツみたいになってるし。 「そういえば、春日に食べてもらうのが初めてだな」  クッキー焼きすぎたとかいって学校に持っていくのも変だなとは分かるので、料理が趣味だと誰かに言ったことすらなかったのだ。 「ん……そう」と、言葉少なにうなずいた春日は、俺の言葉にきっと満足したんだろう。だったらこう、もうちょっと態度に出して欲しいんだけど。二人っきりだし。  飯も終わったので、二階の俺の部屋に案内する。茶菓用の折りたたみテーブルは二人で勉強するにはちょっと狭いが、そこで俺ひとりが学習机に向かうのも変だろう。  春日は理系、俺は文系なので、選択科目のテストは異なる。春日の使っている数学の教科書はちんぷんかんぷんだ。一方の春日は、世界史の用語集をちらっと見て「あ、その遺跡、観光で行ったことがある」とか言ってくる。勘弁して欲しい。スタート地点から完全に違うじゃん。  ……まあでも、春日が真剣に打ち込む気配をすぐ側で感じながらテスト勉強するのも悪くなかった。篠井と自習室でちんたらやるのとはまた違った空気だ。篠井はけっこう無駄話振ってくるしな。どうも口を動かして発散しないと集中力が保たないタイプらしい。  春日がトイレに行くというので位置を教えるついでに、俺は飲み物を取りに行った。春日の好きなミネラルウォーターは近所のスーパーで見つかった。高かったけどな!  例の瓶を二つ持って部屋に戻ると、春日はもう戻っていた。俺の手にある物を見ると「あ」と無表情で驚く。 「好きなんだろ、これ」 「……うん」  冷えた瓶を春日に手渡すと、春日は栓を開けた。シュウと炭酸の音が立つ。瓶を傾けて、白い喉を反らして、こくこくと天然水を飲む、そんな春日を見て──俺はもう、限界です。無理です。  俺は春日の隣に座ると、その肩を抱き寄せた。 「ちょ、志門くんってば、ダメだって」  飲みさしの瓶の中身を零しそうになった春日が怒る。 「き、キスだけ」 「ダメ、我慢できないって目してる」  我慢なんか最初から出来るわけがない。 「キスだけだってば……ホントに……」 「……ダメ」 「なんでだよ~、親に内緒がそんなにダメかよ~、ラブホが良くて俺の部屋は嫌なんてさ~、変だろそんなの~」  自室に恥も外聞もない。俺はひたすら駄々をこねた。 「……嫌なんじゃなくて」  お? 「……嫌です」  春日は白い首を伸ばして俺から逃れようとする。それならそれで、その首に唇をつけてしまえばいい。 「だ……ダメだって言ってるだろ……」  石鹸のいい匂いがする。あと焼き肉のタレみたいな匂い。あ、昼飯の青椒肉絲の……いかん、俺の作った飯の匂いさせてる春日とかちょっと、そんなのは、あの。 「春日ぁ……したい」  制服なんか着てきたから何なのだ。俺は春日のワイシャツをグシャリと掴んで、その下の胸をまさぐり始める。 「ちょ、待って、ダメって、ダメ」 「だって春日、俺のメシの匂いすんの、ドキドキする……したい」  ここまで言っても『ダメ』だったら諦めるしかない。でもキスぐらいは許して欲しい。だって俺たち、二人っきりにならないと何も出来ないじゃないか。 「……だから、志門くんの、部屋、とか」  春日の声が上ずって、かすれた。 「そんなん、絶対、理性飛ぶから、やだって、言ってるのに……」 「で、理性保つために、制服を着てきたわけ?」  俺は、春日のプレスの効いたズボンの股間を撫でた。爆発寸前とばかりに膨らんでいた。俺に汚すなと言ったくせに、自分で汚してしまいそうだな。  勝手知ったる学校指定のベルト、留め金を緩めてズボンから引き抜く。 「ちょ……も、自分で脱ぐ、から……」  ズボンの前のボタンを外して、ジッパーを下ろす。ぴっちりとしたブランド物の下着が、怒張を圧迫して奇妙な丘を作っていた。なんかもう、少し先っぽは濡れてるんじゃないのか。 「嫌なら無理しなくて良いよ」  春日のやせ我慢に振り回された俺は、意地悪く逆襲した。春日が言葉で俺を振り回している時に比べれば大したことではない。 「い……嫌じゃ、ない……」 「ん? ずっと嫌だって言ってたじゃん、なら無理にとは言わないって」  と言いながらも、俺は手の甲で、下着に出来た春日の膨らみを撫でた。 「ん……だから、部屋入った時から、ずっと志門くんの匂いするの、頭どうにかなりそうだって、なるって、分かって、だから、こんな所で、したら」  俺への愛欲と慕情とのせめぎ合いで、春日の声が裏返り引きつるのを、耳だけで楽しむ……などという、雅な趣味は俺にはない!  囀る春日の唇を奪う。俺と同じものを食った口を。  春日がそっと俺を突き飛ばすが、それは拒絶ではなく準備のためだった。ネクタイを緩める仕草一つに、腰の辺りがねっとりしてくる。くそ。明日に同じ服着て、平気な顔して学校行くつもりか、こいつは。  負けじと俺も服を脱ぐ。TシャツにGパンだからあっという間だ。パンツと黒地の靴下を残した春日の胴を後ろから掴み、ベッドに突っ込む。尻から引き剥がすようにパンツを引き抜く。靴下は、いいか、そのままで。足首丈だし。 「志門くん、ちょっと、すっ飛ばしすぎ」 「シャワー浴びる? うちの風呂場狭いけど良い?」 「あ……の、それは、良いんだけど」  背中から抱きすくめたまま、太股を開かせていく。 「ちょ、待、あの、いきなりは、無理だから」  春日が靴下を履いた足をばたつかせる。分かってるってば。  俺は枕の下からローションのボトルを取り出した。ドラッグストアでこっそりと買ったものだ。春日が持っているものとは手触りが違うが、潤滑油の役割は十分に果たすだろう。 「あ、あ、あ……なんで、そんなの、持ってるの」  そのぐらい買えるよ、俺でも。  ローションを掌に載せると、勢い余って手がぐしょ濡れになったが、多すぎて困ることはないので、そのまま肉穴をぐにぐにとほぐす。中指を軽く突き立てて、内壁にもローションを擦り込んでいく。そうすると、下品なくぐもった音が鳴った。春日の身体からこんないやらしい音が立つのかと、ぞわぞわとした背徳感に襲われる。そうした末に余った液を、玉を収めている袋の皮膚で拭き取るようにしてなすりつけてやった。黒々とした陰毛がぺったりと張り付き、艶光りした。 「志門くん、ゴムつけて、ゴム」  春日は声も表情も怯えきっていた。本当に無理矢理やってるみたいだぞ、これ。  春日の背筋を上から下へと、口づけでなぞってみる。春日はびくびくと痙攣して、一瞬硬直した。なんだよ、春日も完全にその気になってるのに。 「春日……俺、もう、したいけど、良い?」 「それは、いい、けど、ゴムして」  まあ、そっちを先にしないと忘れそうだ。それも枕の下に隠してあるんだが、封を開けていない。  箱ごと取り出して開封する俺の手際の悪さに、春日はまた呆れるのかなと思ったが、頬に軽くキスされてしまった。 「早くして」  そう言われた俺は、一も二もなくコンドームをするすると着けた。春日にしてもらう方が好きだけど、練習を重ねた。 「ね、早く」  俺を振り向き見る春日の白い背中がまぶしかった。膝を折って座っているので、足の裏がこちらを見ている。そこだけが黒い布地に覆われたまま。俺はその背にむしゃぶりつく。大きく足を開かせて俺に腰を下ろさせる。  春日が自ら俺を招き入れようとした手を手で制する。 「まだダメ」 「え……?」と、春日の吐息は青い色に染まっていた。俺に散々ダメだダメだと言ってたくせに。耳朶を優しく噛んでから、そっと告げる。 「おねだりして」  俺には恥ずかしいこと言わせるくせに、春日はイヤイヤ言いまくるの、何とかしたいんだよな。もうちょっと素直に、俺を求めて欲しい。 「ん……志門くん、の……ちんぽ、俺に、入れて……欲しい……」  じくじくと疼く俺の怒張に春日の手が添えられて、ぷっくりと充血した先端から、底無し沼へ呑まれるような感覚で、春日の中にすっぽりと埋もれていく。 「ん……これ、いぃ……あったかい……」  春日の背が俺へもたれかかる。ベッドに座る格好で、俺は春日を受け止めるのだが。 「ん……志門くん、気持ちいいことして……俺のこと、いっぱい、突いて……」  ベッタリとした人工甘味料のような甘ったるさ。俺が聞きたいのは、そういう言葉ではないのだ。  己の剛直で春日を深々と刺し貫き、春日の胴をかき寄せながらも、俺はどこかで醒めていってしまう。  春日の尻が性感を求めて上下に揺れ、二人の男の体重を想定していないベッドが悲鳴を上げる。床ですら少したわんでいるのではないか。  汗のにじむ春日の首筋を舐めた。安っぽい中華調味料の味がした。あるいは俺の舌に残ってた味か。 「志門くん、もっと……もっと激しいの、欲しぃ……」  春日は蛇が絡みつくような動きで腰を振る。そして、俺の手を前に回させようとした。ああ、そこに触って欲しいのか。  俺はわざと太股に手を回した。そこから股間に近づくと見せかけては、膝頭の方まで遠ざける。 「ん……いじわる、どうして」  そんなこと言って、春日の方がずっと意地悪なのにな。 「どこに触って欲しい?」  筋肉で締まった太股をマッサージするようにさすりながら、俺は春日に耳打ちした。 「さわ、って……俺の、ちんぽ……いつもみたいに、イかせてよ……手でゴシゴシして、イかせて……」  湿った声で春日は懇願した。黒い爪先を立てて、弾力のある尻肉を俺の腹の方までずりずりと擦りつける。その中でうねる腸に、肉茎が絡め取られて翻弄される。排泄器官同士をこすりつけ合う刺激で、全身がうっとりと熱に浮かされ、ぼうっと顔がのぼせてくる。  でも、何より俺を酔わせるのは、春日が俺の家にいて、俺の作った飯を食って、俺と交わっているという、この世界で起きた事実そのものなのだ。 「ん、んん……んッ……あぁ……くぅ」  春日は俺の肉棒を自分勝手に食い荒らし、背をピンと張って悶えている。いつの間にか、俺の手が春日の前へ添えられて、春日の手が上から重なり、動かされていた。 「志門くん、もっと、もっとしてよぉ……」  物足りないと、俺をなじってくる。俺も同じ思いだ。物足りないのだ、俺はもっと、もっと春日と、一緒に……。 「かすが」  口づけようと春日を振り向かせようとした拍子に、重心が後ろに崩れた。後頭部をしたたか壁に打ちつけ、部屋がズンと震えた。 「あっ」と、春日の快楽に蕩けていた顔が一瞬で正気に戻り、俺たちの結合はゆるい結び目のようにほどけた。  ベッドに横になった俺の枕元に、春日が腰掛けた。 「大丈夫?」 「う……少し休ませて」 「ごめん」 「しょうがない、俺のベッド小さいし……春日のぐらいデカかったら良いけど」 「俺の部屋にあるのもシングルだからね?」  春日は苦笑してから、俺にそっと口付けると、俺へ覆いかぶさった。  しばらく白い天井をぼんやり眺めた。春日の頭が左胸でじっと動かない。心臓の音を聞かれているのだろうと思うと照れくさいが、心臓止めるわけにもいかないしな。 「志門くん、何考えてたの」 「えー……天井にポスターでも貼ろうかと」 「そうじゃなくて、さっき」  ちょっと上の空だったのバレてんのか。 「あの……春日はさ……」  俺が春日の髪を手で梳くと、指の間を水のように流れる。どんな洗髪料使ってんのかね。 「どんなメシ好きなの?」 「はあ?」と、怒気をはらんだ声で春日が聞き返してくるが、俺はごり押しする。 「春日の好物が知りたい」  トリュフだキャビアだなどとは言うまい。というか、この二つは食材であって料理じゃない。 「……ハンバーグ」  単純なだけに、春日の舌を満足させるのは難しそうだな。合挽ではなくて牛肉使うか。となると、ソースはデミグラスか。 「作ってくれるわけ?」 「それなら、もっと喜んでくれるかなって」  春日がひょいと顔を上げ、俺の胸板にのしかかって、俺の顔を覗き込む。 「……おいしかったよ、さっきも」 「うん」 「だって、手作り料理ごちそうしてくれるとは思ってなかったから……びっくりさせないで」 「ん……たまたまだったし、春日が昼飯食うと分かってたら、もっと良いの作ったのにさ」 「そう? なら、今度はそうして。今日は、別のもので我慢してあげるから」  声がいっそう低く艶を増して、俺の鼓膜を甘く震わせる。  春日が俺の股の前へ回り込み、子供の世話をするように膝を開かせる。「いいよ」とか「止めろよ」とか言いたかったのに、上体を起こした俺は、春日の髪を指で整えるような振りで、その頭を撫でる。  象の鼻にたとえられる、項垂れた姿の俺が、手で持ち上げられる。健康的なピンクサーモンの唇と、軟体生物めいた淫靡な赤い舌。それらがまとめて先端を吸い取った。軽い口づけのような音と共に、舌先が裏筋を弾いていく。  少し熱の籠もってきた竿を細かく吸われ、舌がひたひたと皮膚を叩く。半ば芯が通ってくると、竿の根元をきゅっと締め付けられ、無理矢理に上向かされる。フランクフルトでも食べるかのように、春日の口が俺のものにむしゃぶりつく。  唇が窄み、竿を前後にしごく。先端が舌に乗り上げて、裏筋にざりざりとした感触。口の端から涎が漏れて、しゃぶるという行為に相応しい音が鳴る。 「ん、んあ、あぁ」  俺は躊躇いがちに快楽の吐息を漏らす。春日の首の後ろを引き寄せるように手を添えて、目を閉じて、股間に意識を集中する。ぬるぬると湿っていて、温かくて、柔らかくて。  このベッドの上で、数多くの妄想で口を犯してきた。それが今、本物の、しかもそれが、春日の口なんて、俺は。 「あぅ……ん、んぅ……気持ちいぃ、かすが……」  自分の部屋で快感に喘ぐのは小っ恥ずかしかった。でも、俺が乱れると春日は喜ぶから、頑張る。  ついに春日の口の中で、俺はびんびんに突っ張っていた。春日の手と口が、俺の所有権を奪い合うように、竿の上で衝突を繰り返す。舌は器用に亀頭を撫で回し、裏筋がくりくりとくすぐられる。 「ん、も……もっと、先っぽ、いっぱい、気持ちよく、して」  俺の懇願にあわせて、唇が上へのぼってくる。頬の筋肉を使い、口の中をすすぐような動きで、尖って敏感になっている俺に揺さぶりを掛ける。「うう」と、俺は苦痛にうめくような声を出してしまった。  春日の唾液が竿をだらだらと伝う。春日の唇がそれを啜るようにして、下へとおりていく。玉の入った袋が手で引っ張られ、縫い目のような筋を舌がなぞる。  俺は薄目を開けて、春日を見る。玉袋を口に含もうとしているところだった。目が合った。俺の玉を頬張る口元に微笑みが浮かぶ。そうしてすぐに視線が股間に落とされる。  竿がゆるく右手でしごかれながら、指で鈴口が弄ばれると、巡る血でちくんと痛んだ。絶頂の予兆がとろとろと漏れている。 「かすが、あの、イキたい……かすが、の、中で、したい……」  頭がどろどろに溶けて、言葉がうまく紡げない。が、春日は「ん」とうなずいて、俺に手を差し出してくる。枕元に投げ出してたコンドームの箱から、一つ手渡す。俺が何を言うまでもなく、春日はコンドームを唇で食んで、俺に着けてくれた。  春日の上半身を背後から抱き寄せ、腹を撫でる。肩甲骨に頬ずりして、引き締まった尻肉に昂ぶりを押し当てる。 「志門くん」と、春日が片足を曲げて、股の間のものを全てさらけ出す。膝を抱え込んで、その恥ずかしい格好を保たせる。  欲に凝り固まった肉棒にローションを擦りつけると、その冷たさに意識が冴えてくる。ゴムの光沢が増した欲望を春日の尻へ突きつけると、春日は手で俺を導いてくれた。  春日が俺のベッドに寝そべり、のみならず、尻の穴に勃起した俺の性器入れて、切なげに眉下げて、俺が腰使って奥突っ込むと「あ」とか声裏返して、上げた足は靴下履いたままで爪先伸ばして、「春日、好きだよ」って言って耳たぶ舐めてやると。 「……志門くん」  って、俺の名前呼んで。 「す……す、き……」  とろんとなって、まるでババロアかゼリーみたいで、ふにゃふにゃになった春日を、俺はぎゅってして、腹から太股までのたうたせて、春日をひたすら、愛してあげる。 「春日、好き」  キスをした唇がぴりぴり痺れた。春日の眦は濡れていた。それを啜るとしょっぱかった。ペニスに触れると、半勃ちにぷるぷる震えていた。先は濡れているが透明なままだ。 「かすが、もっと?」  股間をむにむにしながら言うと、春日は激しく首を振って、俺の頬を髪で叩いた。 「も、すごぃ、感じ、て……勃た、な……」  目を閉じ、顎を持ち上げ、春日の端正な面持ちが快楽に苦悩している。それを見た俺の昂ぶった感情が、ふっつり切れてしまう。 「う、あ」と、春日の中で吐き出す快にひたりながら、腰を蠢かした。勢いが途絶えて腰を引くと、どろりと抜け落ちて、袋の先には生クリームのようなそれが溜まっていた。 「ごめん……」  俺はじっとりと汗ばむ春日の肌に、燃え残ったものを感じ取っていた。 「ん、良いよ、気持ち良かった……」  春日はコンドームをつまみ上げ、精液溜まりの中身を噛む。それから袋の口を縛るのではなく、広げて……。 「って、何してんだよ」 「飲んであげようと思って」 「いいです、そんなの」 「ええ? なんでさ……飲ませるの、好きなんじゃないの?」  そんなこと一度しか言ってないぞ!……いや、一度でも言えば十分か。  狭いベッドの上で、俺たちはぎゅうぎゅうとくっついて、カーテンの隙間から漏れる斜陽を浴びながら、ごろごろした。暑苦しいのでクーラーを少し強めにかけた。春日は俺の本棚から漫画本を勝手に取って読み始めた。うぅん、試験勉強、どっか行っちゃったよ。 「親御さんいつ帰ってくるの」 「えーっと、母さんが六時」 「んじゃ、俺そろそろ帰った方が良いよね」  と言いながら、もうベッドを出ている。 「晩飯食ってけよ」 「そういうわけに行かないよ、お邪魔だし」  むしろ母が邪魔だと俺は思った。 「志門くん、ひょっとして晩ご飯作るの?」  春日に言われて、そのつもりはなかったが、俺が支度してもいいなと思った。 「うん、そう、だから遠慮することないのに」 「良いってば」  何だったらそのまま泊まってくれてもいいし、朝飯だって弁当だって作ってやるのに。 「志門くん、バス停まで送っていって欲しいんだけど?」  男には社長、女には王子と持て囃される春日の凜とした夏服姿を、俺は全裸で見物していた。 「ふ・く・を・き・ろ!」  家に帰したくないとは言えず、俺はちんたらと服を着て、春日と一緒に家を出た。 「日が暮れるの早くなってきたよね」  見慣れた凡庸な住宅街を背景に、オレンジ色に染まった春日が俺の隣にいる。猛烈に手を繋ぎたくってしょうがない。 「良いよ」  なんで俺の考えてることが分かるんだ? っていうか、え、良いの?  指先をちょいとつまむ程度の、すぐ振り払える持ち方で、それでも俺は春日と手を繋いで、バス停まで歩いた。二三の人とすれ違ったが、特に俺たちを気にする風ではなかった。  バスが来るまで何をしゃべっていたのかはよく覚えてない。一度、自転車が俺たちの後ろを強引にすり抜けた。  やがてバスが来て、ドアが開いて、「じゃあね」と言って、ステップを踏んだ春日に、俺は。 「うん、また明日」  そう言って別れるしかなかったのだ。

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