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8.虚言
リクは草むしりをしていた。
裏庭などめったに人は来ないが、大富豪と名だたるナジャーハ家では手を抜いて良い場所など無い。
たとえ裏庭だろうと手が行き届いてなければ恥になるのだから。
「おいお前っ、お前だお前っ!」
「へ? あ、はい……」
鎌を片手にやれやれと背中を伸ばしていると、男の大声が飛んできた。
声の方へ振り返れば、口ひげを生やした偉そうな男が偉そうに腕を組みふんぞり返っていた。
「何をちんたらしている! ここはもう良いから今すぐ厠の掃除に行け」
「え、でも厠はもうさっき──」
「下っ端の分際で口答えをするな!」
「……はい」
リクが素直に立ち上がると、男は「のろまめ」と嫌味を言い残して満足したように立ち去る。
リクはそれを聞かなかった事にして周囲を片付け屋敷内へと向かった。
屋敷といってもナジャーハ家の者が住まう屋敷ではない。主に使用人達が集まる屋敷だ。
集めた雑草の袋を肩に担いで朝に掃除したばかりの厠へと向かう途中、女性の声がリクを呼び止める。
「リクお疲れ。見てたわよさっきの」
「ルルさん」
給仕をしていた彼女はリクに親しげに話しかけてくる。肩までのオレンジ色の短い髪を外ハネにした彼女の名はルル。パーティーで共に雑用をこなして仲良くなった人物だ。
ちなみにもう一人居た男の名はロングという。彼は護衛の下っ端らしく、たまに屋敷で挨拶を交わす。
「パーティーではお世話になりました」
あの日、ルルのおかげで諦めていたパーティー料理を堪能出来た。それからリクはルルにたいそう懐いている。
「私こそね。それより新しい支配人、感じ悪いみたいね」
「そうですね……」
リクを理不尽に怒鳴った後、満足そうに去っていった男を思い浮かべる。最近では珍しくない光景だ。
前の支配人ならば頼りなくはあったが少なくとも理不尽な事は言わなかった。
しかし新しい支配人になってからはほとんど毎日誰かが怒鳴られている。
「なんかね、あの人元々はナジャーハの人の側近だったらしいの」
「そうなんですか? それが清掃係に回されたって事は……」
「降格させられたって事よね。それでリク達に八つ当たりしてるのよきっと」
「……それは何とも─」
─迷惑な。
二人で顔を合わせ、共に呆れたように笑いを浮かべた。
彼のうっぷんを晴らす為に我々は働いているわけでは無い。
とは言え男の言うとおり下っ端であるリクに逆らえるはずもなく、せめて目を付けられぬようにさっさと彼の視界から消えるに限る。
それに、最近はライルが屋敷内を歩き回っていると噂を耳にする。
まだリクは会った事は無いが、きっと眠っていた間の思い出を取り戻す為に懐かしい人達に声をかけているのだろう。
だったらあちらこちらを何度掃除してもいい気がしてくる。どこを歩いても綺麗な状態で出迎えたい。彼の思い出が、良いものになるように。
そう気合を入れたリクが去った裏庭。その裏庭に話題の嫡男が現れてちょっとした騒ぎになったのは、これから先もリクが知る由もない。
* * *
「わ……っ」
「っ!」
時は少々さかのぼる。
ライルが裏庭に差し掛かった際の事だ。木の間からバタバタとかけてきた者とライルがぶつかった。
ライルは微動だにしなかったが、ぶつかってきた人物は小柄だったからか、ライルの大きな体に跳ね返されてコロリと尻もちをついた。
「いったぁ……す、すみません……」
ぶつかってきた人物は青年というより少年に近く、厚手のエプロンに土だらけの手袋の姿から庭師の見習いだろうと想像できた。
「リク……」
「え?」
しかし、ライルにとってはそれより何より気になった事がある。
似ていたのだ。いつも記憶から手繰り寄せている声の質に、ほんの少しだけ似ていたのである。
立ち上がった少年を品定めをするようにジッと眺めたが、少年は驚いた顔のまま視線をそらさなかった。
「……」
「あの、ライル様?」
ライルから見つめられ、困惑した様子の少年は困ったように微笑んで首を傾げる。
「名は?」
「名?」
「それと私の部屋へ来た事があるか?」
「え、えーっと……」
突然の質問に、少年は手を口に当て考える素振りを見せる。そして視線を右上に流し、沈黙の後に再びライルへと微笑んだ。
「じ、実は、ライル様は覚えてないかもしれないけど、俺何度かライル様のお世話をした事があるんです」
「……名は?」
「はい……親しい者は俺を“リク”って呼びます」
リク、と強調した少年は笑みを深める。一方のライルの表情は変わらない。
ただ淡々と、少年へ語りかけるだけだ。
「……どのように私の介護をしたのだ」
「えっとですね、手を握って話しかけたり、ライル様の宝石を磨いて交換したり、たまに流行りの歌をそばで歌う事もありました。そんな時のライル様は穏やかな顔をされていましたよ」
どこか恥ずかしげにしながらもチラリとライルを上目遣いで見る少年は何かを期待するようだった。
そんな少年を、ライルはひどく冷めた目で見下ろす。
「……違うな……」
「はい?」
ライルはため息と共に呟いて、急に興味を無くしたように少年から視線を外した。
少年は意味がわからずまだライルへ縋ろうとしたが、それより早くライルが動く。
「……カルイ」
「はいよ。はいはいキミはこっちねー」
「は? な、なんですか、俺はライル様の恩人ですよ!」
「そのライル様がもうキミはいらないってさ」
「はっ!? ちょっ、ちょっと待ってください……っ、あ、あ、あのっ、申し訳ありませでしたっ!!」
「んー? 何を謝ってんの?」
「それは、だから……っ」
少年は歯ぎしりをして、媚びるような目から恨むような目に変えてライルを見る。
しかしライルは表情を変えずに、少年がカルイや護衛に連れて行かれるのを横目で見送った。
喚く耳障りな声が聞こえなくなると、ライルはひっそりため息を吐く。またか、と言うように。
なんせこれで三度目なのだ。
ここ最近、ライルが優しくなったという噂と共に、もう一つの噂が流れている。
ライル様が、伏せている間に世話になった恩人を探している、と。
その噂は尾ひれがついて、探し人には遊んで暮らせるほどの謝礼が用意されていると付け足されていた。
だからだろう、肝の据わった小賢しい者がここぞとばかりに寄ってくる。
その者は、どうせ意識がなかったのだから多少嘘を吐いたところでバレはしないと思っているようだ。
今の者も、ライルが呟いた名を聞き逃さず、これ幸いと利用したのだろう。
「愚かだな……」
こうなる事は分かっていた。分かっていたが、こうも多いと流石にうんざりする。
しかし誰を責めるわけにもいかない。なんせ、噂の情報源はライル本人なのだから。
正しくはライルがカルイに噂を広めさせた。噂を聞きつけて声をかけてくれはしないかと望みをかけて。
結果は予想外、というより予想通りというべきなのか。
寄ってくるのは望まない者達ばかりだった。せめて謝礼は高級食材だと言っておけば良かっただろうかとライルは少し後悔する。
ただ、ナジャーハ家の者を平気で欺こうとする者をあぶり出す良い機会にもなっている。
なのでライルはここぞとばかりに屋敷から追い出していた。やや腹いせもあるかもしれないが。
「……いや、私は準備をしているだけだ」
彼は必ず見つけてみせる。
そしていつか共に過す彼の為にも、屋敷内を綺麗に掃除しているのだ。
汚いものはすべて排除する。彼とのこれからの思い出が、良いものになるように。
嫌な空気が流れる中でライルが見上げた空は、嫌味なほど青かった。
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