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10.夢見る菓子

   日が暮れ始め、三人は帰路につく。夜の街は治安が悪いからだ。 「あー、楽しかった!」 「また機会があれば遊びたいですね」 「なかなか休みは合わないけどなー」  月に一、二度しかない休みを合わせるのは至難の業だ。  それでも、いつかまた共に過ごそうと約束を交わし、名残惜しそうに手を振って別れる。 「楽しかったな……」  思ったよりお金を使ってしまったが、あまり使う機会も無いので良いだろう。  今日の思い出に、と買った物をポケットから取り出し、しげしげと眺める。  楽しかった思い出を噛みしめながら宿舎に戻る途中、リクを呼び止める声があった。 「ターちゃんっ」 「うわ……っ、カルイさん!」  背後から突然抱きつかれ、驚いて振り向けばにこにこ顔のカルイが居た。  この男の距離感は少々おかしいとリクは思っている。しかしリクとて割と人懐っこい性格なので嫌では無かった。 「こんばんは」 「おーこんばんは、なんだかご機嫌じゃん。それ自分で買ったの?」 「えぇ、今日久しぶりに街に行ったから記念に買ったんですけどね……」  それ、とカルイが視線をよこすのはリクが手に持った物。露店で見かけた腕輪だった。  ロングから飲み物を奢ってもらった後、やはり自分も何か記念になる物が欲しくなり自分で買った。  しかし、買ったのは良いが…… 「……つい衝動買いしちゃったけど、僕には似合わないよなぁって」 「そうだな」 「……」  素直すぎるカルイに「ははは……」と乾いた笑いを返した。この男は思った事をそのまま口に出す。こんな性格で良くライルの側近が出来るものだ。  しかしカルイも認める通り、この腕輪は自分には似合わない。  そもそもアクセサリーなんてものが似合わないのだ。  おまけにコバルトブルーより更に濃い青の装飾。赤茶の髪に黄色の瞳の地味な己がこんな綺麗な色を身に着けた所で、不自然極まりないだろう。 「ライル様には似合いそうですけど……」 「あ、そうだな! ライル様に渡しておこうか?」 「へ……?」  ふと思い浮かんだ似合いそうな人物。彼ならばどんな服でも装飾品でも使いこなすのだろうな。  そう思ってポロリとこぼした独り言だったのだが、カルイから予想外の返しをされて素っ頓狂な声が出る。 「やだなぁカルイさん、こんなの渡せませんよ」  驚いたが、少し考えれば冗談だと分る。なのでリクも笑いながら返事をする。  こんな安物をライルに渡したら不敬で追い出されそうだ。何より、ライルがこんな安物を使うはずが無いだろう。  リクは付けている所を少しだけ見てみたいとも思ったが、ライルにはもっと豪華で、本物の輝きを放つ宝石が似合うだろうから。 「大丈夫大丈夫、俺はなんたってライル様の側近だからさ」 「いやいやそう言う問題じゃ──」  カルイが更に冗談を言うからまた笑うが、カルイはリクの手から腕輪を取って暮れたばかりの夜空にかざす。 「これ渡して代わりにターちゃんに似合いそうな物をもらおうぜ!」 「ちょ、ちょっと待ってください……っ」  なんだか冗談じゃなくなって来たぞ?  リクはやる気満々なカルイの目を見て、ようやくそう気づく。  この男なら本当にやりかねない。もし本気でそんな不敬をしでかして、ライルは笑って許してくれる人物だろうか。  流れてくる噂は様々でどれが本当の彼なのか分からないのに。  とりあえず止めさせよう。自分だけでなくカルイまで叱咤を受けては可哀想だ。  そう思いやんわり断ろうとしたリクに、カルイが誘惑をかけてきた。 「それとも食い物の方が良い? お菓子とか」 「……お菓子……」  それは、リクにとって最有効な誘惑だった。  断らなくては、止めなくては……、そんな考えから、豪華な菓子に頭が切り替わる。 「なんかさ、ライル様あんま食べないくせにいっつも部屋にお菓子が山盛りあんだよなぁ」 「それは……なんて羨ましいっ」  パーティーでこっそり三人で食べた豪華な菓子達。どれもこれも美味しくて見た目にも楽しくて、金持ちはいつもこんな素晴らしい物を食べているのかと羨ましく思ったのを覚えている。  それが、また食べられる?  あの日食べたゼリーは美味しかった。花の形に作られた焼き菓子もサクッとしていて中はしっとりで。  飴細工も見た目は美しく様々な味を楽しめた。  不思議な食感のあの菓子は、何という名の菓子だろうか。  思い出せば思い出すほど唾液が溢れ出て、リクはゴクリと喉を鳴らす。  そして、気がつけばカルイに腕輪を預け、笑顔で手を振りを見送っていたのだった。  * * * 「──って訳でね、これとそこにある菓子を交換してください」 「……どういう訳だ」 「だからターちゃんにあげるんだよ」 「だから何故そうなった」  どーせライル様その菓子食べないじゃん、なんて言ってカルイは預かった腕輪をライルに押し付け皿に盛られた菓子を物色し始めた。  流石に文句を言おうかとしたライルだが、減っていく菓子を見て開きかけた口を閉ざす。  カルイの言うとおり、ライルは菓子にほとんど手を付けないからだ。  なので無駄に盛られた菓子が減ろうが何も困りはしない。むしろ無駄が減って料理長を悲しませなくて済む。 「こんだけ貰って良いですか?」 「……好きにしろ」  こんな時だけ準備万端に用意されたバスケットに菓子を詰め、もう返す気も無いくせに一応ライルにお伺いをたてる。  ライルはカルイの自由すぎる振る舞いに諦めたようにため息を吐いた。  減った菓子を見て、また料理長に新しい物を用意してもらおうと考える。そして、人知れず苦笑した。  つくづく己は諦めが悪いと自覚したからだ。  用意された菓子、それはライル自身が食べる為ではない。では誰に用意された物か。  そんなの、一人に決まってる。思い浮かべようにも思い浮かべられない、ただ一人菓子を食べさせてあげたい人物。名も顔も知らない彼の為に用意しているのだから。  まだ手がかりすら掴めていないのに、なんとも気が早い事だ。 「……リク……」  この名が正しいのかどうかも分からない。  しかし記憶の中では、彼は確かにリクと呼ばれていた。  記憶があやふやな部分もあるが、ライルが目を覚まさない間に色んな人物が部屋を訪れていた。  そのほとんどが、そばに置かれた宝石の使われた装飾品に興味を示す。  シャラシャラと貴金属の擦れる音はすれど、己に付けられる気配は無い。  おそらく手に取って宝石の輝きを楽しんだり、時には自分を着飾って楽しんでいたのだろう。  数は管理されていたので盗難こそ無かったが、皆人形のように眠る役立たずの部屋の主人より、宝石が気になったようだ。  ただ一人を除いては。 「それがライル様の探してる子の名前?」 「さぁな……」 「分かんないのかー」  思い出にふけっていたライルに、カルイが声をかけた。どうやら呟きが聞こえていたらしい。  カルイから無理やり渡された腕輪を眺める。見るからに安物で、ガラス玉の輝きは鈍い。  それでも、なぜだろう。無機質な腕輪から目を離せないのは…… 「リクかぁ。どっかで似た名前を聞いた気がするな……」 「お前は前にも同じ事を言っていただろう」 「そうだっけ?」  表情を変えずにライルが言えば、カルイは首を傾げて頭をかいた。  いつもの事なので気にもせず、ライルは腕輪をポケットに入れて仕事を再開した。 「まいっか、今度ターちゃんあたりにでも聞いてみるよ」 「……期待しておく」  と、まったくもって期待していない声でライルが言う。  そしてライルの予想通り、カルイの残念な頭では翌日にはすっかり忘れ去られているのだった。  

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