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19.夜の庭で

   屋敷内の騒々しさとは対照に、夜の庭は静まり返っていた。心地よい風が吹き、ヤシ科の木の葉がさわさわと揺れる。  優しい風がライルの頬を撫で髪をなびかせるが、彼はそれに構うことなく宮殿のように巨大な屋敷を眺めていた。 「……ちっ」  そして、忌々しげに舌打ちをし、険しい顔を更に険しくする。  アーシャの事などどうでも良かった。わざとらしい媚がうっとおしかったが、裏で手を引く者の陰を掴めたので泳がせておいて正解だっただろう。  ただ、今のライルの機嫌を損ねるのは、目の前の広大な屋敷だ。  屋敷中を探し回った。時間を無理に作ってでも屋敷中を歩き回り、名簿には穴が空くほど目を通した。  辞めていった使用人の元にも、その家族も全て訪ね歩いた。  それでも見つからない探し人。  もうこれ以上屋敷を探しても無駄なのか。生まれ育った屋敷の広さを忌々しく思う。 「……だったら屋敷を出るまでだ」  屋敷に居ないのであれば外を探す。例え屋敷を捨てる事になろうとも、諦めるつもりなど無いのだから。  どこかに必ず居るはずなのだ。見つからないのは、きっと己の努力が足りていないからだ。  どこかに居る。必ず居る。だから探す。見つけ出すまで。 『──そんなヤツ始めっから居ないんだよ!』 「……っ」  不意に、耳障りな声が頭でこだまする。 『動きも喋りもしない、おまけに目も開けない役立たずの人間なんかに優しくするバカなんか居るわけないだろ──』  気にも留めなかった、みっともないわめき声。  無価値の人間の無価値の言葉などライルにとってどうでも良かったから。  その、はずだった。 『どうせ見つかりっこないんだ。そんな人間居ないんだからさ……さっさと諦めちまえ──』  もう思い出しもしないはずだった取るに足らない言葉が、何度も何度も鳴り響く。  それは、遅効性の毒のように、じわりとライルを侵食した。 「……っ、うるさい……」  うるさい。  うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいウルサイッ!!  頭を無茶苦茶に掻きむしりたい衝動に駆られるが、強く拳を握りしめる事で堪える。  それでも苛立ちは抑えられず、何もかもを投げ出したくなる。  取るに足らないと思っていたはずの言葉。それなのに無視が出来ない理由は、ライル自身も分かっていた。  彼を必ず探し出すと決めた。声だけを頼りに探し続けた。  どこかに必ず居るはずなのだと疑わず、己でも呆れるほどに執念深く探し続けた。  しかし、無駄な時が過ぎていくうちに、心のどこかで冷めた声が語りかける。  ──本当に居るのか? と。  夢ではないのか、現実だったのか、絶望から目を背けたくて、都合の良い幻聴を生み出しただけじゃないのか。  ライルがアーシャの言葉を無視出来ないのは、心の奥底でくすぶる思いに気づかないふりをして、必ず居ると前だけを見ていたライルに浴びせられた否定の言葉だからだ。  ──こんばんは、ライル様…… 「……」  甲高い声をかき消したのは、穏やかな声だった。忘れるはずがない、忘れてはいけない大切な声だ。  ──いつか、一緒に見られたら良いですね  ずっと、心の支えとしている物。死にゆく心を生き返らせた声。彼を見つける唯一の手がかり。  幻聴なんかじゃない。夢なんかじゃない。  いつだって穏やかに語りかけ、時に丁寧に髪を梳き、手を握られた記憶だってあるのだから。  しかし、その大切な声さえ薄れつつあり、必死に手繰り寄せた。  目の前には、共に見ようと心に決めたミランが芽吹き始めていた。 「……もうじき一年、か……」  最後の声を聞いて、間もなく一年が過ぎようとしているのだと、約束の花の芽を見て知る。  だと言うのに手がかりすら掴めていない。  必ず見つけると決意して、一年。どこの誰とも分からぬまま、花だけは咲き誇る準備を始めている。  その光景に、あの日から己だけが取り残されたような、惨めな気持ちが襲う。  その、言葉に出来ないやるせない思いを芽吹いたばかりの緑にぶつけようとして、更に惨めになって止めた。  なぁ、お前は今何をしている?   何を思っているのか。何を見ているのか。お前も、私を思い出す日はあるのか。  高慢ちきでも良い、みすぼらしくもがめつくても、何でも良い。ただ、お前を知りたい。 「……何処にいるんだ……──」  ライルの泣き声のような叫びは、誰に聞かれる事なく風に消え、再び静寂が訪れた。  ──はずだった…… 「あーっ! ちょっと何してるんですかっ!!」 「────……っ!?」  誰も居ないと思っていた夜の庭に、怒った声が天へ響く。  ライルは突然の声に驚く。とても驚く。  同時に、心が震えた。目覚めて初めての事だった。  

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