21 / 51

21.世を儚む

   しかし男の言葉の意味は分からない。  分からないが何かが男を落ち着かせたようで、腕の震えは消えていた。  それは良かったが、いったいいつまでこうしていれば良いのか。 「おいリク! さっきから何を騒いでやがる──」 「親方さん!」  男の頭をポンポンしながらどうしたもんかと困っていたら、休憩時間を終えた庭師の親方が戻ってきた。  リクにとってはまさに救世主で、すがる思いで親方を見る。  だが威勢の良かった親方の声は途中から小さくなり、ぽかんと口を開けて突っ立っているだけだ。  何でだよ助けろよと念を送っても恰幅の良い体で仁王立ちして動こうとしない。 「おやか──……うぉわっ!?」  業を煮やしたリクが再度呼びかけようとした時だ。リクの視界が回転する。  地面が近づいたかと思えば腹部に苦しいほどの圧がかかる。  男に肩に担がれているのだと気づいた時には、 「この者借りていくぞ」 「は、はい! どうぞどうぞ!」  と、親方に言葉を残して男は歩きだしていた。  親方ー! と心で叫ぶが視界の隅に見えた親方は顔を引きつらせ男を一切止めようとはしない。  部下が拉致されようとしているんだぞ、だと言うのにその低姿勢は何なんだ。いつも威厳ある姿で大声で指導してくるくせに。  しかし、あの厳しい親方の態度の変化で確信してしまう。この男は間違いなくナジャーハ家の高貴なお方だと。  日頃からお目にかかる事もないような、そんな住む世界の違う人物に担がれてどこかに連れて行かれようとしている。  さきほどまで震えていたとは思えない力強い足取りで男はずんずんと進んでいく。  意味不明な状況は恐怖しかなくて、神に祈りたい気分になった。やはり無理矢理にでも逃げるべきだったか。 「あのっ、スミマセン……ホントに、あの、申し訳ございませんでした……っ!」  とにかく何でも良いから下ろしてほしくて、何に謝っているのか分からなくなりながらも男の肩の上で謝罪の言葉を吐き続ける。  しかしもちろん止まるはずもなく、景色は月明かりの届かなくなった屋敷内へと変わり、更に奥へと運ばれていった。  床はいやにつやつやしていて、男の足音が妙に響く。天井が高いのかもしれない。  流れる景色は視界が逆転しているからなのか、あまり見覚えのないものに見えた。  もしやどこか牢屋にでもいれられるのだろうか。  そう不安が最高潮に達した時、男がやっと立ち止まり戸の開く音が聞こえた。 「あっれー? ライル様何持ってんですか?」 「……っ! カルイさんんんっ!!」  地獄で仏、一縷の望み、旱天の慈雨、一筋の光。  兎にも角にも、この状況を何とかしてくれるかもしれない知人の登場にリクは歓喜した。  何でも良い、何でも良いから何とかしてくれ。  そう祈るようにカルイを見るが、カルイは男に担がれた友人を見ても驚くでも焦るでもなく「やっほー」と何故か手を振ってくる。これはダメかもしれない。 「……カルイ、まだ居たのか」 「うん、やっぱりライル様落ち込んでるかなーって部屋で待ってたんだけど元気そうっすね。でもなんでターちゃん持ってきたんですか?」 「……ターちゃん……」 「うんターちゃん」 「…………──カルイ、今日はもう帰れ。ただし後日話がある」 「りょーかい!」 「待ってくださいカルイさん……っ!!」  やっぱりダメだった、と絶望しながらリクは叫ぶ。 『りょーかい!』じゃないこの状況で何いい返事してんだよ! とカルイに怒りすら覚えるが、無情にもカルイは笑顔で手を振り出て行ってしまう。 「──うそだろぉ……」  静まり返ってしまった空間に耐えかねて絞り出した声は、意味をなさず虚しく響くだけだ。  そうこうしている間に男が腰を下ろした。  自然とリクの視線も地面に近づいたと思ったら、またもやグルリと回転して目の前には男の顔。どうやらラグに座った男に横抱きにされたようだ。  そして男の深い青の瞳が睨むようにリクを眺めている。  リクはその時、光のある場所で初めて男の顔をまじまじ見た。  見覚えはある、気がする。気がするが間違いであってほしい。  その顔はずいぶん前に見た顔だ。  ただ自分の知っている人物はもう少しふくよかだったし、何より印象があまりにも違う。  だからきっと違う。人違いだ。勘違いであってください。  そんな願いを込めて震える声を絞り出す。 「……あー……あの、大変不躾ながらお名前を伺ってもよろしいでしょうか……」 「……ライルだ……」 「…………──」  ──あぁ、己の人生もここまでか。  もっと美味しい物が食べたかったと、リクは世を儚んで涙をのんだ。  

ともだちにシェアしよう!