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22.キャラメル効果

  「……」 「……」 「…………」 「…………」  痛いほどの静寂が二人を包む。  ラグに座り込んでリクを抱え込んだライルは表情ひとつ動かさぬまま、まばたきすらせずに凝視する。  そしてリクは、目をそらしたら食われそうな気がしてライルの鋭い瞳から目を逸らせない。  もう誰にも助けを求められない。頼れるのは己のみ。  さぁこの窮地をどう乗り切ろうか僕は負けないぞ。と気合を入れて負けじとライルを睨んでいたら、形の良い唇がゆっくり開かれた。 「──……れ……」 「ひゃいぃっ!!?」  駄目だ負ける食われる殺されるっ!! と咄嗟に逃げ出そうとしたリクの腕を、ライルはしっかり抱きしめたまま掴む。  掴まれた事で更に近くなった距離に、リクはますますパニックとなる。  涙目になって過去の自分と神を恨むリクに、ライルはまた静かな声で語りかけた。 「……何か、喋ってくれ」 「はいっ! は……──え、喋る……?」  混乱した頭で必死にライルの言葉を理解しようとしたが、理解したら理解したでやはり混乱した。  疑問符が脳内で飛び交う中、自分は何を試されているのだろうかとライルをまじまじ見る。  しかしライルの視線がやたらと強い事以外分からない。  なんなんだよ、処刑するならさっさとしろよ、いや嘘ですごめんなさいやっぱり許してください帰りたい……  自分の中の勇敢な心と臆病な心が戦い、後者が圧倒的な差をつけて勝つ。リクはだんだんと諦める。  何だか知らないが、目の前の男は喋れと言う。  だったらご要望に応えよう。さすればお情けをもらえるかもしれないじゃないか。 「な、何を喋れば……?」 「何でも良い」 「……」  ライルの意図が分からぬまま、リクはもうどうとでもなれ、とやけくそ気味に口を開いた。 「えーっと……た、ターリクと申します……」  やけくそにしては勢いのない声だったが、ライルは黙って耳を傾けてくれた。 「僕はしがない下働きでして……」  出来ればライルも何か話してくれないだろうかとも思うが、こちらから何か要望する事など出来るはずもないので、仕方なく自己紹介を始めたリク。 「……特に秀でた所も無く、これと言った特技も無くて下人として平々凡々に過ごしております……──」  しかし、自己紹介を始めてみたは良いが、早々に話が終わってしまい、これ以上話す事がなくなってリクは困る。己のつまらない人生のせいだ。  どうしようか、家族構成でも話せばいいのだろうか。しかしそんな事を話しても面白くも何ともないだろう。いや今の話とて面白くはないだろうが。  一発ギャグでもするか? いやいやそれこそ処される。  リクは僅かな時間で頭が沸騰しそうなほど考え、何とか話題をひねり出そうとした。そんなリクに、また落ち着いた声がそっと語りかけた。 「……好きな物は」 「好きな物……?」  そんな事を聞いてどうするのだろう。  ライルの落ち着いていた声につられるように、リクの忙しなかった心も次第に落ち着いてくる。  落ち着いてくれば、今度は己の置かれた状況がかなり可笑しい事に気づき始める。  なんで自分は名だたるナジャーハ家の嫡男に抱えられて足の間に座っているのだろうか。  これは本当に現実なのかと疑わしく思えるほど現実離れしている事に気づいてしまって、目をしばたたかせる。  一度状況を整理する必要があるのでは?  やっと冷静さを取り戻しつつあるリクは、不自然にならないようゆっくり視線を巡らせた。  ゆっくり周りを見渡せば、何となく見覚えのある部屋だった。  とは言えリクがナジャーハ家の者が住まう屋敷で来たことがあるのはライルの部屋だけで、必然的に見覚えがある部屋と言えばライルの私室だけになる。  なのできっとこの部屋はライルの部屋なのだろうが、前に来た頃よりずいぶんと変わっていた。  物が増えているのもそうだが、何より部屋の形が変わっている。知らない扉が増えているのだ。  どうやら改装して新たな部屋を作ったようだ。 「……好きな物は……──」  しかしながら、リクの視線は新たな部屋では無くある一点で止まる。 「──……クッキー……」 「クッキー……?」  山盛りになった様々な形のクッキー。それに…… 「……パウンドケーキ」  見るからにふわふわな出来立てパウンドケーキ。 「飴……果物……プチフール……パイまでっ……」  視線をそこから動かせない。  なぜならば、テーブルの上の凝った模様のケーキスタンドやゴブレットに、様々な菓子や果物が盛られていたからだ。  どれもこれも高級感溢れて種類も豊富、見たこともない菓子や果物も多くある。  そう言えば、と不意にカルイの事を思い出す。  カルイはライルの部屋にたくさん菓子があるのだと。だけどあまりライルは食べないから持ってきているのだと。  そう言っていつもお裾分けをしてくれていたではないか。  しかし、カルイが持ってきてくれる菓子はいつも同じ物ばかりだった。おそらく自分の好きな物を厳選して持ってきていたのだろう。 「こんなに……たくさん」  今リクの目の前には、カルイが持ってきていた物より倍以上ある菓子の山、リクにとってはまさに宝の山だ。  そんな宝の山に釘付けになり、今の状況をすっかりさっぱり忘れたリクは、リクを抱えたままライルが立ち上がっても動じない。  むしろライルがテーブルに向かって歩いていくので、宝の山が近づいて喜んだ。  ライルは近くのソファーに座る。近くで見る菓子は益々輝いて見える。実際にゼリーや飴がランプの光に反射してキラキラと輝いていた。  そんな輝く菓子が、リクの口元にまで運ばれた。  もちろんリクは手を出していない。手を出したいのは山々だが、いくらリクとて人様の菓子を勝手に食べたりはしない。 「……」  だがしかし、目の前にさぁお食べなさいと差し出されれば話は別である。なんたってライルが菓子を摘み、リクの口元へ差し出したのだから。  むしろこれだけされておいて食べない方が不躾だろう。それにこれが最後の晩餐になるかもしれないのだから、食べてバチが当たった所で後悔は無いと考える前にリクは食べていた。 「……っ、うまっ、え、なにこれ……」 「キャラメルだ」 「キャラメル……ッ」  変わった色の飴かと思えば、口に入れた瞬間甘くとろけて舌が歓喜する。 「美味そうだな」  未知の甘味に驚くリクに、ライルのどこか嬉しそうな声が届いた。  それが何故なのか確認する前に、またキャラメルが差し出されて脊髄反射で口に含む。  甘くとろける不思議な菓子は、リクに幸せを運んできた。  もしやこの人、凄く良い人かもしれない。  キャラメルの口溶けにいとも簡単に絆されて、今の状況などどうでも良くなる。  それを良いことに次々ライルがリクの口に菓子を運ぶものだから、リクはたいそうご機嫌なまま夜が更けていったのだった。  

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