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31.深みにはまる
店を出れば、もうリクを蔑む目で見る者はいなかった。
それもそうだろう、ライルが選んだリクの服はどれも一級品なのだから。
着慣れない物に身を包まれて落ち着かないのか妙にそわそわしているリクだが、ライルが隣に立ち肩を抱けば立派な上流階級の一員に見えた。
「では行くか」
「ホントにこの格好変じゃないですか?」
「変な訳がないだろう。とても似合っているし可愛らしいのだが?」
「か……可愛いは余計ですっ」
リクはまだ不相応な服に違和感が拭えなかったが、ライルから惚れ惚れとした目で見られてしまえばもはやどうでも良くなる。
それどころか自分でも似合っているような気になってくるから不思議なものだ。
自惚れるなと心でたしなめても、ライルの熱のこもった瞳と惜しみない称賛に、まぁたまには調子に乗っても良いじゃないかと考えを改める。背筋を伸ばして、美しい街を楽しむ事にしたのだ。
「それで、これからどこに向かうのでしょう?」
「リクはどこに行きたい」
「朝ごはんが食べたいです」
「それはそうだな」
予想通りの答えにライルは笑う。
そして、予想していたからこそ準備も怠らなかった。
小さな肩を抱いて迷う事なく足を進め、興味津々でキョロキョロと繁華街を見るリクをゆっくりエスコートする。
その途中、リクが何に興味を示すかを確認しながら──。
* * *
「ここで食べるか」
「ここ……え、ここって食べる所なんですか?」
きょとんとするリクを可愛らしいと感じながら誘導する。
ここは屋外座席。ただしここにある席は一つだけだ。
石畳の階段を登った先にある広いテラスは、一組だけのソファーと丸テーブルが独占する。
リクの知る雑多な雰囲気の屋外席とはかけ離れていて、とても食事をする場には見えなかったのだろう。
街並みを見渡せる閑静なこの場には、ライルとリクの他に少し距離を置いて接客員らしき者しか居ない。
更に遠くに付いて来た護衛も見えるが、実質この贅沢な空間に二人っきりと言えるだろう。
ライルは未だにポカンとするリクの手を引いてソファーに座らせた。
テーブルを囲む形のL字型のソファーの為、ライルはリクと直角に座る。
真横に座るよりリクの顔が見やすいし手も届く良い位置だとライルは思う。
「さて、リクは何が食べたい?」
二人が着席すると、控えていた店員がすかさず近寄りグラスに銀のピッチャーから水を注ぐ。
そして笑顔で差し出されたメニューをライルが受け取り、リクに身を寄せて選ばせようとした。
しかし、メニューに期待で輝く視線を送ったリクだったが、一通り眺めた後に気まずそうにライルへ告げる。
「えーっと……ライル様に決めて頂いても宜しいですか?」
「気に入る料理が無かったか?」
「いいえ違います! ……たぶん」
「たぶん……?」
「あの、だから、その……──」
口ごもるリクにライルは首を傾げる。
遠慮をしているのかとも考えたが、リクが食べ物で遠慮するとは思えない。
じゃあ何を困っているのか、ライルは思考を巡らせるが一向に思いつかなくてライル自身も困ってしまう。
その様子に気づいたのだろう。リクは言いにくそうにしながらも真相をポツリとこぼした。
「──分からないんです」
「分からない? 何がだ?」
「料理の名前が……高級すぎて、僕には何の料理か分からないんです」
そう困ったように言ったリクに、ライルは驚いた。思いつきもしなかったのだ。
世界中の高級な料理を当たり前に食べてきたライルにとって、目新しい物など無かった。
しかしリクの言葉で、自分の当たり前が皆の当たり前では無いのだと知る。
「……そうか。では私がリクの好みに合わせて選ぼう」
「ライル様のお好きな物でお願いします。僕は好き嫌いはありませんから……と言うか何でも好きです!」
「そうか、そうだな」
ライルの言葉でやっと緊張で引きつっていた顔がほぐれたようで、嬉しそうに笑うリクにライルは安堵した。
あぁやっと、楽しませる事が出来る、と。
ライルは未だにリクの事を知らない。
しかし唯一、食欲旺盛で食べる事が何より好きだとは分かっている。
その切り札すら失敗してしまっては、これから先も苦戦を強いられるだろう。
リクとの食事に関してだけは、絶対に失敗出来ないのだ。
ライルはリクと食事した際の記憶を頼りに料理を注文する。
とは言え本人の言う通り、リクは何でも美味しそうに食べていた。
なので料理をまんべんなく、かつ二人で食べ切れる量を注文した。
本当は全ての料理を注文してしまえば楽なのだが、食べきれなかった料理を見るリクの目が悲しそうなのを思い出す。
そんな思いをさせてはいけない。リクを本気で喜ばせたいなら、楽をしてはいけないのだ。
「デザートもいるだろう?」
「はいもちろん!」
輝く笑顔を守りたい。
心の底からそう思ったライルは、余裕のある微笑みを崩さずに必死で注文内容を考えるのだった。
程なくしてライルが厳選に厳選を重ねた料理が運ばれてくる。
この地域の特産品である魚介料理を中心に、様々な料理がテーブルに並べられる毎にリクの目は輝く。
「ではまずは乾杯といこう」
「はい」
果実水の入った銀のカップを共に掲げ、一口飲んでからが食事の開始だ。
ライルは今回もリクの分を取り分けようとしたが、それより早くリクが動いた。
大皿に盛られた料理をまんべんなく小皿に盛り付けるリク。リクがまず何を食べるかを観察するつもりだったライルだが、その皿が目の前に差し出されてわずかに目を丸くした。
「どうぞ、ライル様」
「……あぁ、ありがとう」
目下の者が目上の物に料理を取り分ける。当たり前の光景なのだが、ライルにとっては予想外の事だった。
なんせライルにとってリクは、身分など関係なく自分が尽くすべき相手なのだから。
そんな相手に手ずから料理を渡され、人知れず感動するライル。
そうとは知らないリクは、一人で感動しているライルの隣でさっそく自分の分も取り分けて嬉しそうに食事を始めた。
リクは知らない料理に期待し、口に入れての驚きの味に感動しているのか、表情をコロコロと変える。
その様子が可愛いし、取り分けてもらった料理は嬉しいしでライルの頭の中は忙しない。
喜びで混乱して、どうやってこの感動を保管しておくかなどと考える始末で、どう考えても保管は不可能であるとやっと気づき仕方なくライルも食事を始めた。
「……美味いな」
口にした料理は予想以上に美味しかった。
何度か足を運んだ事のある店で、味も接客も申し分ないからこそ選んだのだから美味しいのは分かっていた。
だが、ここまで心震わせるほどの味だっただろうか。
じわりと体が温まるような美味しさの理由が分からず首を傾げたライルだが、料理人が腕を上げたのだろうと納得して愛しい人との食事を続けた。
リクにつられてなのか、今までにないほど食が進むライル。食事とはこんなに楽しい物だったかとまた不思議な感覚が芽生えるが、悪い気はしない。
すぐに取り分けられた料理はたいらげて、次の料理を取ろうとした所で気づく。
リクが自分を見ている事に。
リクは何故だか、少し不思議そうにライルを眺めていたのだ。そして、ライルが更に料理を食べようとする様子に、ふわりと笑った。
見惚れるほど美しく、優しく笑ったのだ。
「……っ、どうした」
「へ……? あ、いえいえお気になさらず」
「……」
不意打ちの美しさに狼狽えそうになり、咳払いで誤魔化してリクへ尋ねた。
しかし、どうやらリクは無意識だったようで、ライルを見つめていた事に気づき慌てて手を振り食事を再開させようとしてしまう。
そんなリクの手をそっと握り、ライルは真剣な目で再度リクへ話しかける。
「リク」
「へ、あの……」
「教えてくれないか」
いつだってライルはリクの事を考えている。
そばに置きたいと思うと同時に、どうやったら喜んでくれるのかと。
そんなリクが今までにないほど優しく、そして嬉しそうに笑ったのだ。
しかも、自分を見て。
ライルはどうしても知りたかった。自分の何が、愛しい人を喜ばせたいのか。
知りたい、どうしても。
強い意志を込めて見つめれば、リクは観念したのか恥ずかしそうに笑って口を開いた。
「ライル様がご自分で食事をされてるのが……なんて言うか、嬉しくなったんです」
「食事をしているのが、か?」
「はい、お元気になられたんだなぁ……って」
「……──っ」
ライルは今度こそ狼狽えた。息がつまり、心臓の音がやけに大きく感じた。
「そう、か……──」
なんとか絞り出した声は震えていたが、これ以上の声は出せなかった。
なぜなら、気を緩めると泣いてしまいそうだったからだ。
じわりと溢れる思いが広がって、ライルを切ないほどやさしく包むのだ。
「──……そうか」
リクの言葉は、本心からだろう。ずっとライルを見守って来たリクだからこそ出た、優しすぎる本心。
「ライル様? 変ですかね僕」
「……いや、食事を続けよう」
リクはライルの様子が気になっているようだったが、取り分けた料理を差し出せばまた嬉しそうに食事を始める。
そんなリクを眺めながら、きっと己はこの者の為ならば、どんな愚かな事もするのだろうと考える。
途方も無いほど深みにはまっていく自覚があったが、やはり、悪い気はしなかった。
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