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38.リハーム

   リクが去った後、しばらくしてライルも部屋を出る。  先程までの緩みきった顔とはうって変わり、今は別人のように険しい。これが本来のライルでもある。  広大な屋敷を大股で歩くが、夜も更けた屋敷は使用人も少ない。  足音を響かせて辿り着いたのは、屋敷の中でも奥まった場所だった。  大きな扉の前には四六時中護衛が立ち、ライルに気づいて一礼し、また姿勢を正す。  ライルは一度呼吸を整えノックすると、間をおいて入るよう返事があった。 「失礼します」  扉を開け広がった空間は洗練された部屋だ。  ライルの部屋より広く、無駄な物は一切ない。  その中心でソファーにもたれ香り高いお茶を飲むのは中年の女性だった。  日中は波打つ黒髪を優雅にアップスタイルにしているが、今は一つに束ねゆったりと胸元に垂らしている。   「お久しぶりです母上」  リハーム・ナジャーハ、ライルの母であり、この屋敷の最高権力者でもある。  リハームは訪れた息子には顔も向けず、わずかに視線をよこしてまたティーカップに口を付けた。 「えぇほんとに久しぶりね。アナタから私を訪ねるなんて珍しい事もあるもんだわ」  ライルはリハームから座るよう顎で促される。しかしライルはその場から動かず険しい顔を向けていた。 「それで、親子の交流を深める為に来たのでは無いのでしょう。用件があるなら早目に言ってちょうだい」  ティーカップを置いたリハームがやっとライルと向き合う。  二人の視線が合わさって、ライルは重い口を開いた。 「……リクを、ターリクを私から隠したのは母上ですね」 「誰かしらそれは」 「……」  否定の言葉を出すリハーム。しかしライルは予想内であったのか、微動だにせずに続けた。 「私は何度も使用人の名簿に目を通しました。しかしターリクの名は無かった。名簿から名を消すなんて偽装が出来るのはアナタぐらいなものだ」  まだリクと出会う前、ライルは数少ない情報を頼りに囚われたかのように探し続けていた。  名簿には穴が空くほど目を通したし、リクと似た名の者とも接触した。  けれど居なかったのだ、リクはどこにも。  それだけでは無い。 「──ターリクの上司を変更して、他の仕事まで押し付け彼に負担を強いた。辞めさせるつもりだったのですか? それとも私から遠ざけたかったのか」  リクだけに過剰な負担がかかるような人員配置。そしてライルの生活リズムとリクが合わさらないようにもなっていた。 「名を偽って私に近づいてきた劇団の女も、アナタが送り込んだんだ。母上とあの女が接触しているのを見ていた劇団員が居ましたよ。わざわざターリクと声の似た者を探して嘘をつかせてまで、なぜ彼を拒絶するのです」  責めるでもなく怒るでもなく、事実確認のみをするように語るライル。  そんなライルの言葉を聞いていたリハームもまた、何事もないように言葉を返した。 「……私は何か間違った事をしたかしら?」 「本気で言っていますか……っ」  淡々と語っていたライルが、初めて顔を歪めて声を荒らげた。怒りと呆れを含んだ顔だった。  リハームは表情を変えず、ライルへ更に強い視線を送る。 「彼はアナタの世話を良くしてくれたわ。それには感謝しています。でも、それだけです。あんなパッとしない、しかも男なんて……ナジャーハ家の跡取りの相手には到底相応しくないでしょう。賢い子だと思っていたけどそれぐらいも分からないのかしら? それとも恋に浮かれて愚かになっているだけ?」 「では名を偽ってまで私を騙そうとした劇団員の女なら私に相応しいと?」 「野心があるのは悪い事ではないわ。それに、少なくともあの坊やより良い」 「どこが良いのです」 「子供が産めるでしょう」 「子供……」  ライルは絶句する。あまりにも予想外だったのだ。  これだけ大きな家なのだから跡取りは必要だろう。それは当然であるが、今更子供が必要だと言うリハームが信じられなかった。何故なら── 「アナタの血を引く子供が必要でしょう。これからナジャーハ家を引き継ぐのですから」 「……母上がそれを言いますか?」  ライルはとうとう、苛立ちをあけすけに表した。  なんせナジャーハ家は、跡取りが産まれない世代などいくらでもあったのだから。  たとえ産まれても商才が無く、跡を継ぐには不安の残る者だった場合もある。  そんな時はナジャーハ家の呆れるほどいる親族の中から、優秀かつナジャーハ家を継ぐ意志を持つ者を選び養子にして跡取りに据えていた。  かくいうリハーム自身も、そうだったのだ。  先代は子宝に恵まれず、養子を取る事を決める。そこで選ばれたのが母、リハームなのだ。  血筋にこだわらないからこそ、ナジャーハ家は栄えたのかもしれない。 「──今更血筋になどこだわって何になると言うのです。それに弟だって居るんです。私の子供にこだわる理由など無いでしょう」 「あの子は優しいけどそれだけの子ですからね。どうせ残すなら優秀な息子の血が流れた子が欲しかったのよ。母心はアナタには分からないでしょうけど」 「えぇ、分かりませんね」  ライルの拳が強く握られる。血が繋がったはずの母の気持ちが分からない。 「まったく分かりません……」  そんなくだらない理由で己をリクから遠ざけたのか。  ナジャーハ家には特に必要としない血筋、けれど母心なのだと言う勝手な思いだけで、大切な人を排除しようとしたのか。 「お望み通りナジャーハ家は継ぎましょう。ただし、ターリクには余計な手出しはしないでいただきたい。これから先アナタがどれほど小細工しようと、私は彼を手放す気はありません」  言って、お互い口を閉ざした。  リハームは強い視線を外して冷めたお茶を飲む。そのことでライルはこれ以上の話は不要と判断し、一礼して部屋を出た。  無性に小さな体の赤毛の彼に会いたくなったが、ぐっと我慢して私室へと戻った。  

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