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42.大切な息子とは

  「カルイ、ここはもういい」 「はーい、ンじゃ俺帰るねターちゃん」  ライルから言われ今度はあっさり帰るカルイ。リクは送ってくれた事に対して「ありがとうございました」と言って見送った。  カルイの姿が見えなくなる前にライルはリクの体を引き寄せ歩き出す。 「不快な思いをさせたな」 「そんなこと……あの、それより凄いタイミングでしたね」  申し訳無さそうにするライルに気まずくなり、リクはとっさに話題を変えようとする。  するとそれが良かったのか、ライルは少し表情を明るくした。 「部屋からリクがこちらに向かって来ているのが見えた。嬉しくて目で追っていたんだが、その先に母上の姿があって慌てて駆けつけたんだ」 「そうだったんですね……お手数おかけしてすみません」 「リクが謝る事では無いだろう」 「そうですけど……じゃあ、ありがとうございました。凄くかっこよかったです」 「……」  リクが礼を言うと、なぜだかライルとの会話が途切れてしまった。  突然黙り込んでしまったライルを不思議に思い仰ぎ見れば、ライルはリクから顔をそむけて口元を手で覆っていた。  どうやら照れているらしいと知り、こちらまで照れてしまう。  そんな甘ったるい空気が流れ始めた頃、ライルの部屋についた。  ラグに座ったライルが当たり前のように膝の上に誘うので、リクも当たり前のような顔をしてライルの膝に座る。  実のところかなり恥ずかしいが、恥ずかしがっているのがバレると更に恥ずかしいので何でもない顔をするのだ。  それがバレていないのかどうかは分からないが、ライルが素直に座るリクを見て嬉しそうにするので、もうどちらでも良いかとリクも笑う。 「夕飯がまだだろう。今準備させている」  そう言うが早いか、これまたナイスタイミングでシーリンが入ってきて出来立ての湯気がたつ料理を並べ始めた。  相変わらず豪華な食事に喉を鳴らすリクに、シーリンは「ちゃんとバランスよくお食べよ」と言い残して部屋を去る。  それからはいつものように、ライルそっちのけで美味しい料理を堪能した。  ライルが食事をしながらも自分を見ているのは分かっていたが、気にしていてはせっかくの味を堪能出来ないので気づかないふりをする。  こんな時だけは恋心もなりをひそめるのである。 「ふぅ……お腹いっぱいです」 「それは良かった」  今日もどの料理も美味しくて、それになんとか全部食べ切れる量だった。  あんなに美味しい料理を残すのは心残りだったので、すべてを腹におさめられた事で更に幸福が増す。あの素晴らしい料理がすべて自分とライルの中に……良い気分である。  ただ、ライルが満足げに笑うリクの頭にキスを落とすものだから満腹の至福から急に羞恥がおそってくる。一気に現実に引き戻された気分だ。  リクがアワアワしている間にライルは立ち上がり、バルコニーへとリクを運ぶ。  いつもなら皿を片付ける使用人を呼ぶのだが、今日は邪魔されたくないようだ。 「今日も私の部屋に来てくれて感謝する」 「は、はいっ」  バルコニーに出た事で冷たい風が頬を撫で、火照った顔にはちょうど良かった。  鼓動がうるさいのも、やはり以前とは違った感覚だ。緊張や恐怖ではない、また違う感情。  なるほどルルの言う通りだ、とリクは思う。  もう、とうの前から答えなど出ていたらしい。なのにずいぶん無駄に抵抗したものだと自分に呆れる。  とにかく冷静になろう。そう思い穏やかに吹く風を感じながら中庭を見下ろした。  自分が剪定に関わっているからなのか、ここから見下ろす中庭はとても美しく見える。 「綺麗だな」 「そうですね、ライル様にもそのように思ってもらえたら僕も嬉しいです」 「あぁ、綺麗だ……」  そう言ってライルも庭を見るから、リクも再び視線を戻す。  今年もミランの花が良く咲いている。派手な花ではないが、風に揺れる花は庭を優しい色に包んでくれる。  そう言えば、ライルが目覚めたのもミランが咲き始めた頃だった。あれからもう一年なのかと、時の流れに驚いた。  思いにふけているリクだったが、不意にライルの腕が強く抱きしめてきて、小さな体は大きな胸に閉じ込められる。  リクはどうしたのだろうとライルを見て、息がつまった。  相変わらず心臓に悪い。だって、また泣きそうなほど幸せそうな顔で、自分を見ているのだから。 「ライル様?」  もう大概慣れたと思っていたのに、なぜ今更そんな顔をするのだろうか。  不躾だとか図々しいだとか考えずについライルの頭を撫でてしまうと、ライルは困ったように笑う。 「すまないな、つい感傷的になってしまった」 「どうしたんです?」  また辛かった記憶を思い出してしまったのだろうかと心配そうに見れば、ライルは頭を撫でていた手を取り頬を擦り寄せた。  まるでリクの存在を確かめているようだった。 「……今年も、ミランの花が良く咲いている」 「へ? あ、はい、そうですね」  何かと思えば突然花の話をしだしたライル。  わけは分からないがとりあえず返事をしたら、ライルはおかしそうに笑い、話を続けた。 「『いつか、一緒に見られたら良いですね』と、そう言ったのはお前なんだがな」 「え……」  身に覚えのない話をふられ、リクの思考が凄い速さで回転した。  いつ言った? どこで言った? 本当に自分なのか?  焦る様子のリクが面白いのか、ライルはまた茶化すように言う。 「『一斉に咲いたら豪華な折り菓子のようだ』とも言っていたな」 「あ……」  言った。確かにそれは覚えている。そこだけ覚えているのもどうかと思うが。  そんな考えがライルにも伝わったらしく、ついにライルが吹き出した。 「お前の言葉を信じて飛び起きたと言うのに、覚えてないなんてヒドイやつだ」 「や、だって、全部は覚えられないですよ!」 「折り菓子は覚えていたのにな」 「う……」  痛いところをつかれて言葉につまり、面白くなくてむーっとしてしまう。  そんな子供じみた様子のリクに、ライルは笑いながら謝罪した。 「すまない、ついからかってしまった」 「……べつに、覚えてなかった僕が悪いんですし」 「そうふてくされるな」  謝られてもツンと顔をそらすリク。ライルはあやすように頭を撫でて柔らかな髪にキスを落とす。  それだけで許してしまいたくなるが、チョロいやつだと思われたくなくてそっぽを向いたままにした。  けれど、 「嬉しかったんだ。あの時、私の未来を信じてくれて。たとえリクが何気なく言った事であってもな」  と言われてしまえば、ライルを見ずにはいられない。  濃い青の瞳がリクを映す。そしてライルも黄色の瞳に己を映しているのを確認すると、また幸せそうに笑った。  もう、ミランの花すら見る事も叶わないと思っていたのだ。周りも、ライル自身も。  けれどリクはいつか一緒に見ようと言ってくれた。  そんな未来もあるのだと、ライルは初めて気づいた。この者の願いならすべてを叶えたいと思うほどに嬉しくて、嬉しくて、なのに── 「──なのに、そんなお前に不快な思いをさせてしまったな」 「……そんな事ないですよ」  辛そうに謝罪するライルをリクは否定する。  それは強がっているわけでも、ライルに気を使っているわけでもない。  確かにリハームはリクに敵意を向けていた。リクも圧倒的身分差のある者から言われて怖かったし戸惑った。  けれど、リハームは「反対はしない」と言ってくれたじゃないか。  てっきり屋敷を追い出されると思っていたリクにとっては、予想外の希望の言葉だったのだ。 「ですから、僕は安心もしたんですよ」 「……リク」  だからライルも安心してくれと言うように、リクはヘラリと笑う。  けれど、ライルの表情は固いままだった。責任感が強いのだなぁ、なんて考えていたリクに、ライルが口を開く。  いつもより低くて、言いづらそうな声だった。 「だが、すまない。これだけではないんだ、母上がリクにしてきた事は……」  ライルが語るのは、リハームが己を排除しようとする話だった。  直接手はくださない代わりに、間接的にリクを苦しめるようなやり方。  ずいぶんと回りくどいやり方に、執念が垣間見えて、流石にリクも気分が滅入る。  最近ついてないなとは感じていたが、まさかこんな大物の手が加わっているなんて考えもしなかった。  リハームと顔を合わせたのは今日が初めてだったが、まさかそんなに前から目をつけられていたなんて。そう落ち込みかけていたリクだったが、 「──やはり気分の良い話では無いな。すまなかったリク」  と、ライルから抱きしめられれば、それだけで気持ちが楽になった。やはり自分はチョロいのかもしれない。  たぶんこれは、ライルだからだろう。  だって、この男はもう自分をそう簡単には離さない。それが分かってしまったから、こんなにも安心できる。  なので、リクはまた笑みを作りライルへ告げた。 「仕方ないです。大切な息子さんに僕みたいなどこの馬の骨とも知れないような男がそばにいれば不安にもなります」 「大切な息子……か」  だが、リクの言葉を聞いたライルは、不意に声色を変えた。そして、ふっと鼻で笑った後、皮肉を含んだ声で、 「大切な息子が目覚めなくなったら、途端に会おうともしなくなったがな」  と、言った。  

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