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序、呉服屋の結之助

 結之助(ゆいのすけ)は、呉服屋の息子だった。  お転婆な三姉妹の許に末娘から半周り遅れて生まれた待望の跡取りで、その境遇の宿命に漏れることなく、女物の派手な衣装の着せ替え相手ばかりして育てられた。  幸か不幸か、生まれ持った瞳も澄んで人を惹き込む円やかな二重とけぶる睫毛の意匠、ともすれば真綿のように柔い貌立ちであったが、不思議と女にはない芯を損なわず、帯を結わえた立ち姿は凛と端麗、長じるにつれ、その名を違わぬ優美な男となった。  この日も、暮れの挨拶が混じり始めた城内から下った俺を、濃紺に白茶で屋号が流麗に綴られた紙子羽織はまだましだったが、その下へ大小の橙の格子があかるい群青のなかで舞うような小袖で出迎え、長火鉢についた片肘を柔和な笑みとともに上げてみせた。 「またこれは、大層な柄を着ているな。生気だけでどうにでもなる、血気盛んな町娘でも、その色は着こなせないのではないか」 「そう言ってくれるな。年内にこの反物の長さを少しでも減らすことが、俺の使命として懸けられている」 「お前みたいなくっきりした貌に、その派手な柄は、却ってどちらの足も引っ張り合いだろう。——やはりあそこにある打ち掛けこそが、お前の似合いなんじゃないのか」  火鉢の暖で(かじか)みが解れた俺が指した先には、泉のような艶を湛えた純白の綿地に、黒の鳥が濡れ羽根を広げる、打ち掛けがある。  打ち掛け、ではあるが女物ほどの袂や裾に(あで)やかな長さはなく、画かれた鳥も人を寄せつけない漆黒一点、かと言って羽織と言い捨てるには忍びない華があり、言い知れぬ妙を人に与える。  だが、この店を訪った者の目を迷いなく惹き、着る(ぬし)も峻厳に択ぶであろう、極めて高雅、まさに至高の一品なのだ。 「あれは店一番の客引き用だよ。大旦那の秘蔵品だ。軸から下ろすことも許されない」 「そこはお前、末息子の可愛いさだよ。そうだな。あれは白と黒の対比が美しいが、彩りのなさが寂しい。——腰に椿なんかを挿して、羽織ってみたらどうだよ。その辺の役者にも引けを取らない、呉服屋の優男と侮る町娘達も、間違いなく目の色を変えるぜ」 「志狼(しろう)のその手には乗らないよ。早くここへも通ってはくれまいかと、娘達が手ぐすね引いてる、俺は『光の君様』とは違う」 「、とは何だ。どこへも通う場所などない。旗本の家とはいえ四男坊に、光の君も何もないだろう。名も、四番目でどうでも良くなった父に、泣き声と毛の逆立ちから適当に付けられた。 ……そう言うお前こそ、通う女が出来たというのは本当か? ここのところ、昼も夜も捕まらない時があると、姉上様が、壮大な溜息をつかれて、この火鉢の灰を頭から被るんぢゃないかとひやひやしたんだぜ?」  いつもの『嘆願』にそれとなく水を向け加えてみたが、結之助はいつもの柔和な笑みに伏せた瞳を混ぜ、流した。  あてを外され、仕方なく俺は、暖簾の隙間から冬の曇天具合へと目をやる。  そこへ、往来を猛然と駆けていく、荒んだ目を血走らせた男達の姿があった。

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