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覚悟の川

「……おい。聞いているか。近頃諸国を抜けてきた浪士達が、家中の士に世迷いごとを吹かせて、結託を仕掛けているらしいことを」 「……ああ」 「何でも、異国と印を結んだ幕府を腰抜けと揶揄し、などというさ。 我が大殿は英明だが苛烈ゆえ、幕府に目をつけられ確かに政から退けられた。 だからと言って、御公儀に弓引くようなことなど、殿へのさらなる面汚しも良いところだ。そう思うだろう?」  幕府の信篤き我が家中の者ならば、誰もがそう思うところだった。  だが、実際どこかまだ遠い莫迦々しさを伴っていて、さほどの深刻を持たないものの、苦々しい同意を求めて結之助を見た。  結之助はただ往来を見据え、綿毛のような睫毛を瞬かせながら、どこか頓着のない様子で呟いた。 「そうだな……」  それは、生来の彼の穏やかな日和見主義によるものだと俺は信じた。  勢いを増してぱちと鳴った炭を、結之助は火箸で取り、ならすようにして倒し、灰を被せる。  結之助が首を捻ったり、ふとした動きをとると、彼の衣紋あたりから芳香が漂ってくる。着物に焚きしめてある香のためだ。  鬱屈した時や、血生臭い噂を聞いても、いつも変わらない彼の柔和さとその薫りは、母親にも似た優しさで俺を慰めた。  水を向けたことも、市中の不穏な足音ももう忘れて、痺れるような白壇の薫りの、酔うような安心に俺は浸っていた。 *  冬の川ほど、寒々しい寂しさを覚えるものはない。  暮れ六つを迎えるまでもなく、一面は鴉の眼の底のような闇に包まれる。  天から見降ろす唯一の灯りの月でさえ、凍てついた白い能面のようだった。曇天だからか、星の屑さえ見えない。  どうしてこうなった。いつから、こうなった。  莫迦みたいに甘えて、俺だけが気付いていなかったのか。  離れていても、背を合わせた朋友(とも)のように、心も通っていると信じていたのはまやかしだったのか。——背中だから、駄目だったのか。  川原一面に生気もなく立った葦の錆びた色が、余計にこころを渇かせる。  風もなく、凍てついた夜だ。空気が冴えて、彼方に氷の蹲る気配を感じる。夜半には、雪が舞ってくるかも知れない。  雪が降って、一面真白に染め上げて、全てを無に帰してしまえばいいのに。  悴みが過ぎて、吐く息も漏らさず、ただ白い能面を浮かせた黒い川の水面を凝視している。  今し方、屋敷の濡れ縁で聞いた若殿の声が、滲みるように蘇ってくる。 『のう、志狼よ』 『結之助は、 獅子であったな』

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