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2 騎士嫌いの実情
しばらく天気の良い日が続いた。
そういう時は、雪の照り返しで目が眩しい。
開店前の雪かきと清掃を手早く終わらせ(といっても雪かきで汗だくになったのだが)、さっと体を拭いたミランは、今日も店番のためカウンターに陣取った。
編み物をしている母の調子はずれな鼻歌を背景に、今日もフリューゲル騎士物語をぱらりとめくる。
フリューゲルは各地を旅する流浪の騎士で、行く先々で女性と恋に落ちては、その一冊の中で区切りをつけ、新たな旅路につく奔放な人物だ。
とはいえ不誠実というよりも定型文という感じで、ミランも特に気にせず読んでいる。
一部のコアなファンの間ではこの巻のだれだれが一番よかったとか、だれそれのモデルはどいつだとか言われているらしい。
が、ミランは恋愛ものとしてではなく、騎士道物語としてこれを楽しんでいるのでそこには興味がない。
勇気と名誉、己の信念を貫き通すフリューゲルは、見ていて気持ちが良いのだ。風の魔法を使って悪者たちをなぎ倒し、愛馬と魔法で空を駆けて各地を飛び回るその様は胸がすくようだ。
物語でくらい、騎士道に夢を見せてほしい。
現実の騎士は、ミランにとってはろくでもないからだ。
思考が暗くなりそうで、ミランは慌てて頭を振ってそれを追い出した。わざわざ自分の機嫌を損ねる必要はない。
「お父さんは大丈夫かねぇ。またお医者様と喧嘩して帰ってきたりして」
「どうだろう。じいちゃんは気にしてないけど父さんが怒るって、よくあることだからね」
「心配なのはわかるけど、お医者様にたてつくなんて恐ろしくてあたしにはできないよ。薬に変なもの入れられるって考えないのかな」
「そこまでするかな……?」
しれっと過激派な発言をする母に、ミランは知らず苦笑いになった。
一人息子として大切に育てられた父は、祖父をとても大切にしている。それが行き過ぎて、体の不調を指摘されると医者に食って掛かることがあるのだった。
医者は仕事なのだし、どうしようもないが、父は我慢ならないらしい。
一人で通院できるという祖父に付き添うのも父の心配性の現れだ。祖父は構われるのが嬉しいらしく何も言わないが、ミランは過保護だなと思う。
自分が父の年になったとき、齢を重ねた父に同じことができるかと思うと自信がない。
ミランのそういう考えを見透かしている母は、「あんたはああはならなくていいからね、うっとうしい」とからっと笑うから助かっているが。
数人の客とやりとりをしたり、間貸ししている薬問屋の応対をしたり、先日の仕入れの陳列をしていると、あっという間に午後になった。
今日は病院が混んでいるのか、寄り道でもしているのか、二人はまだ帰らない。
昼を簡単に済ませ、各々また読書と編み物に戻った。
そうしていると、「こんにちはー!」と明るい声が店の入り口から飛び込んできた。
「ミアちゃん! いらっしゃい」
「おばさん、こんにちは! ミランはあいかわらずそれなのね、あきないの?」
「飽きないよ。ミアのけん玉と一緒」
「ミアのははじめてまだちょっともたってないわ。失礼しちゃう!」
ぷんぷんと怒ってみせるミアはいつもみたいに口をとがらせては、ミランの母につつかれて遊ばれている。嫌がって怒っている割には、頬は緩んでいた。
母親という存在に安心するのだろう。ミアの母は仕事がまだ忙しいらしく、朝は早くて帰りは遅いという。
「あたしの友達がいる工房はどこも忙しそうじゃないんだよね。ミアちゃんのママのいるところだけ注文が集中してるのかな? 腕が良いんだろうねえ」
「ママすごーい! さすがミアのママだわ! ……でもこんなに忙しいと心配。早く休ませてあげたい」
「そうだよねえ。でも仕事は上がとってくるから。現場はやるしかなくて大変だわ」
ミアは例の客からもらったけん玉を飽きもせずに操りながら、数日に一度はこの道具屋で時間を潰していく。
子ども好きの母は歓迎しているようだ。ミランも、こんなに小さい子が一人でずっといるのは忍びないので、遊びにくるのは賛成である。
「そうそう、ずいぶん続けられるようになったのよ。見て見て!」
「どれどれ? ……おお! 上達が早いじゃないの!」
客が最初に見せた、交互に皿に乗せる遊びを、ミアは確かに続けられるようになっていた。熱心さもあり、呑み込みが早い。
小さな体をめいいっぱい駆使しているのが健気だ。彼女は頬を赤く染めて顔を上げ、ミランに向かって笑いかけた。
「ミラン、歌って!」
「ええ? 母さんのほうがいいだろ」
「やーだ、ミランに歌ってほしいのよ。歌って!」
「……仕方ないなあ」
ミランは本にしおりを挟むと、先日の童謡をゆっくりと口ずさむ。ところどころ歌詞があやふやになったのは勘弁してほしい。
ミアはミランとは違い、一曲ぶん、きっちり失敗することなく終え、汗もかいていないのにおでこを拭って「ふー」なんてやっていた。
天真爛漫さが愛おしい。ミランは思わず笑顔になって、ミアの頭をぐりぐりと撫でた。
「やだもう! くずれちゃうじゃない!」
「ごめんごめん。ミアは元気だな」
「何よう、からかってるでしょ!」
ミアの頭の左右で結んだ髪をちゃっと整えてやる。リボンはこの道具屋で売っていたもので、彼女のお気に入りらしかった。
生成りのレースで、長さがあるのを垂らすようにするのがおしゃれだ。父の仕入れセンスは伊達じゃない。
そのうちミランも仕入れに行くようになるだろう。今は街中での仕入れだけで、数日かかるような場所に行ったことはない。
フリューゲルのようにあちこちにとはいかないだろうが、楽しみではあった。
これからさらに歳を重ねるミアが気に入るものを、いつか見繕ってやるのだ。
「でね、これができるようになったから、あのお兄さんがやってたみたいなすごいやつもやってみたいの!」
「……あのぶんぶん振り回してたやつ? どんなのか覚えてないな」
「なんだい、それ?」
母が不思議そうに首を傾げる。
ミランも説明するが、再現することもできないので母はすっかり胡乱気な眼差しだ。
「けん玉が空を飛ぶわけないだろ。風魔法使いじゃあるまいし」
「いや、飛ぶっていうより跳ねる……? こう、球を持ったり皿を持ったり持ち手を持ったり」
「なんだって? 持ち手って言ってるぐらいなんだからそこ以外を持つなんておかしいよ。ちっとも意味がわからないね」
「言われてみれば……そうかも? でもそういうことじゃないんだよ」
「あのお兄さんがもう一回来てくれればいいのに……でもミアはちゃんと覚えてるわ。おばさん、ちょっとやってみるから見てて!」
「えっ、やってみるって、ちょっとミア――」
「たしかこうよ、えいっ!」
ミアが振り上げたけん玉が手からすっぽ抜けるのと、店のドアが開いたのはほぼ同時だった。
「おい道具屋、騎士様が――うっ!?」
ミランは文字通り血の気が引いた。ミアのけん玉が、入ってきた男の腹に直撃したからだ。剣先のところが、次いで遠心力で振り回された玉が。
男は金の縁取りが豪奢に着いた、緑色の騎士服を着ていた。
騎士だ。最悪のタイミングに、ミランは知らず知らずのうちに足を後退させていた。
「あっ……ご、ごめんなさい!」
ミアが慌てて入口へ向かう。すぐに体を二つ折りの紙みたいに曲げて、「ごめんなさい!」と叫んだ。
「手からとんでいっちゃって……あの、けがは――きゃっ!」
「このクソガキが! 痛ぇじゃねえか、何してくれてんだ!」
騎士は垂れたミアの片方の髪を引っ張った。とっさに固まったミランに対し、母は一目散に駆けてゆき、震えているミアをかばうように抱きしめた。
「騎士様、申し訳ございません。子どもが失礼いたしました」
「謝ってすむ話じゃねえだろうよ、どうしてくれるんだ、あ? 肋骨が折れたかもしれねえ」
そう凄む騎士の形相はすさまじく、まさに鬼のようだ。人を小ばかにする態度なら何度も見たが、こんなに怒っているのは初めてだ。
ミアの髪を握ったまま離さずにひっぱり続けており、ミアは恐怖のあまりぼろぼろ泣き出している。
「病院代はこちらで出させていただきますので、何卒お許しください」
「そんなもんは当たり前だろうが! ああクソ、気分悪いったらありゃしねえ。おい、そのガキ殴らせろよ!」
「っ痛っ……」
「痛いのはこっちだっつーの! こんなんでベソかいてんじゃねえよ、クソガキがよぉ!」
「うっ……うーっ……」
言うことを聞かない犬を傷めつけるためにリードを引っ張るような、虐待じみた手つきだ。
ミランはすっかり頭が真っ白になって、「殴るなら私を」と母が言い出すのを、まるで物語の出来事のように見ていた。
「こんな小さい子に責任なんて取れません。騎士様、殴るなら気のすむまであたしを殴ってくださいまし」
「おう、殊勝な心掛けじゃねえか。それじゃあよ」
騎士はミアの髪をするりと解いた。するとミアは崩れ落ちるように床にへばりつき、小さく蹲った。
直後、騎士は足元のけん玉を思い切り蹴り上げた。それは肩に当たり、母の口から苦痛の息が漏れる。
「なんだよ、腹に当てようと思ったのによ」
「……ぐぅっ」
「動くなよババア、次は腹に当ててやる。ほらこっち向けよ」
「……うっ!」
騎士は嗜虐的な目で母にけん玉を当て続けた。底意地の悪い目だ。人を人ではなく、ただの弱者として甚振る目。
彼が満足するには少し時間が必要だった。ふと顔を上げると、やっと店に来た目的を思い出したのか、カウンターのミランを見て、懐に入っていた封筒をひらひらと落とした。
「妹と母親がこんなになってるのに、男のお前は見てるだけか? 意気地なしめ」
「……っ」
「これやっとけよ。期日はしっかり守れ。ババアの勇気に免じて治療費はまけといてやる。じゃあな」
騎士は床に唾を吐きかけ、靴音で威嚇するように店の床を踏み抜き、威圧的に扉を閉めて出て行った。
しばらく動かなかったのは、騎士がひょっこり戻ってくるんじゃないかと誰もが思ったからだ。
少しして、やっと金縛りにあったみたいだったミランの身体が、動悸と共に感覚を戻す。
よろよろと老人みたいな足取りで、ミランは母に近づいた。
「――母さん!」
その悲痛な叫びにやっとミアも顔を上げ、火がついたように泣き始める。
「おば、おばさん、み、ミア、ごめんな、ごめんなさいぃ……!」
「ああよしよし、ミアちゃん、怖かったねえ」
「ああああん! ごめ、ごめん、ごめんなさいいい!」
転んでしまった幼な子のように、空を仰いでミアは悲鳴を上げる。
その泣き声が呼んだわけではないだろうが、祖父を連れた父が帰ってきて、父は今度は母を連れて病院にとんぼ帰りすることになった。
***
騎士が戻ってくる可能性がゼロではないため、ミランはミアを家まで送り、その日は店を閉めることになった。
ミランはダイニングの椅子で膝を抱え、向かいでは祖父が青い顔をして黙り込んでいる。
祖父は戦争被害者だ。
国は、戦争被害者が営んでいる家業があった場合、優先して取引をするという形で補償を行っている。
騎士団は国営組織である。その取引先の一つであるのは有利なことで、強かな業者などは騎士団相手の場合だけふっかけるなんてこともあるらしい。
だが、クラウゼ道具屋は違った。数年前に担当騎士が変わってからというものの、割を食うことがさらに多くなった。
国に切られてはこんな道具屋はひとたまりもない。それがわかっているからか、担当騎士は大きな態度で横柄なことをする。
騎士は祖父の杖をいたずらに壊したこともあった。店の商品を落として壊したこともある。
「……いろんな騎士様がいるからのう」
祖父はいつも、例の騎士に困るとそう言う。
ミランはそれが歯がゆくて仕方なかった。
下手に騎士団に報告を上げれば、報復で店が続けられなくなるかもしれない。そんな危機感から、クラウゼ家の者はだれ一人として、強く出ることができないでいた。
「……どんな騎士も最低だよ! 前の奴も酷いと思ってたけど、今度のやつなんて救いようがない!」
「ミランや、そう怒るんじゃない。今はリリーさんの無事を祈ろうて」
「怒らずにいられないよ……!」
テーブルの下、ミランは拳を握りしめた。俯いた頬を熱い涙が伝っていく。
家業を守るためには大人しくしておくのがよかったと思う一方で、母を助けられず、茫然と突っ立っていただけの自分に吐き気がした。
母とミアはどれだけ痛く、怖かっただろう。自分だけが騎士に何もされていない。
「情けない、何が国を守る騎士だよ……あんなのただの野蛮人じゃないか」
「……ミラン」
祖父の労りの声音がむしろミランの胸に突き刺さる。帰ってきた母はきっと、「ミアちゃんとあんたに何もなくてよかったよ」と笑うのだろう。
(……俺は、本当に意気地なしだ)
せめて、帰ってきた母の負担にならないようにと、ミランはぼろぼろ泣きながら、騎士から渡された封筒の処理を始めるのだった。
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