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恒星:はじめてのワンナイト 3

 つい数時間前の俺。  ひどく飲んだくれた翌朝、記憶を無くして見知らぬ部屋で目が覚めたーーここまでは割とよくある話かもしれない。だが、あからさまに18禁系の不道徳なパーティでもやらかした後のようなひどい部屋で、全裸で目覚めたとしたら話は別だ。  俺はこの目前の、現実逃避したくなるような前代未聞の状況を自分の中で消化するので精一杯だ。  昨夜何があったのか二日酔いの痛む頭で必死に思い出そうとしたーーが、記憶がまったく抜け落ちていてさらに愕然とした。  酷く寝乱れた跡のあるツインのベッドとユニットバスのみというシンプルな構成のその空間は、個人の居住スペースではなくどこかのビジホのツインルームのようだ。状況からすると部屋には俺の他に少なくとも一人以上がいたはずだが、今その人物の気配はない。 ーーええと……ついにお天道様に顔負けできないようなことをやらかしてしまったのか、俺?  飲んでいい気分になって女の子と意気投合したこともあるにはあるが、いわゆるワンナイトラブってのはしたことがない。  純愛至上主義者ではないし、人並みに異性に対する欲もある。ただ昭和ど真ん中世代の古風な祖父に育てられたせいか、恋愛もそれに付随する行為も過程も、それなりに重く考える。  年齢を重ねるにつれてただ好きだ、くっついた、別れた、では済まされず「結婚」というゴールをそれなりに考えられなければならない域に入ってきた。  それとともに恋愛に対してもだんだん腰が重くなってきて、現在彼女はいない。とりあえず浮気を隠したりバレて責めらたりする心配はないのだけが救いか。 ーーいや。相手の記憶も行為の記憶も全くないってことの方が問題じゃないか?まさか……昏睡強盗か?  慌てて部屋の片隅にあった鞄と財布を確認するーー中身は無事だ。スマホも社員証もある。位置情報を確認してみると自宅の最寄駅からふた駅手前にあるホテルのようだ。  あちらこちらに散乱する自分の衣類を回収しながら相手の手がかりとなる残滓を血眼で探した。口紅のついた缶とか片方だけのピアスとか、長い抜け毛とか香水の残り香とかーー何か残っていてもいいはずなのに見事に何もない。  あるのは床に転がる空き缶空き瓶と山のような……  とりあえずシャワーを浴びるためにバスルームに入ったが、なぜか片方の輪が配管に掛けられたままの手錠と赤と白に汚れたタイルを見て発狂しそうになった。  事件性のないことを信じて床は洗い流したが、手錠を外すには鍵が必要そうだ。  たぶんこのホテルを利用することは二度ないだろうが、それでも従業員にどう思われるかが気になってチェックアウト前に一通り部屋を片づけることにした。作業に没頭することで現実から逃避したかった。  一通り片づけが終わり、どこをどう見ても18禁系の酒池肉林騒ぎの痕跡だったのを、ややぞんざいな通常宿泊後の散らかりレベルまでカモフラージュすることができた。  手錠の鍵はついに見つからなかった。 ーーって、しまった。今何時だよ?   今日は取引先と大事な打ち合わせがある。とりあえずプライベートで起きてしまったことは後回しだーー昨日と同じ服を見苦しくない程度に整えてチェックアウトすることにした。  支払いは済んでいる、とフロントで言われて二度驚いた。安心するより先に背筋が薄ら寒くなった。  相手がどんな人物かーーそもそもあの部屋にいたのは二人だけだったのか、それともまさかーーだが同泊した相手についてわざわざ質問したら間違いなく変に思われるし、答えを得て受認不可能な現実と向き合うのも怖かった。  従業員の記憶に残ることなく、一刻も早くその場を離れて無関係な人になりたかった。 ーーどういうことだ?いったい俺、何に巻き込まれちゃった? ーー警察に相談するべきなんじゃないか? ーーいや、もしも未成年に節操なく声かけちゃってたりしたら、逮捕されるのはこっちだ!  会社までの電車で揺られているうちにだんだん現実感が増し、不安に襲われる。今まで自分が被害者だとばかり思っていたが、逆に自分が加害者側になってしまった可能性もある。どうしたらいいんだ? ーーいやまて。未成年がホテル代を精算していくのはおかしい。  そこで少し冷静になれなかったら、あやうく最寄りで降り損ねるところだった。 「我こそは正義と常識の権化」と言わんばかりの国家権力を可視化したような制服姿の警察官に、世間の善悪の極北を見尽くして来たはずの彼らにまで怪訝な表情をされながら、わざわざ自分の醜態とまぬけぶりを披露するためだけに出頭する勇気は無い。 ーーそれにしても記憶無くなるまで飲むなんて何年ぶりだろうな。しかも、誰かに何かをやらかしといて忘れてるなんて…… ーー酒、やめよう……

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