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恒星:はじめてのワンナイト 6

「お前だって今、フリーだろう。彼女でもできたのか?」 「違うってば。うるさいな」  間違いを犯さないことより、それを犯した後どう対処するかが大事だってよく言うじゃないか。 ーー二度と一時の勢いにまかせて脱線なんかするまい。このクソみたいに平穏な日常を大切にやり過ごしながら生きてゆくのだ…… ーー酒、やめよう(2回目)  堀田があんまりしつこいのでトイレに行くふりして逃げて、ついでに用でも足そうかと思ったところ、意外な人物がやや慌て気味に入ってきたーー噂の遠山社長である。 ーーやっぱ背高え……アスリートかモデルみたい。  プレゼンの後で社長室に行っていたから、ちょうど今話が終わったところなのだろう。同行の社員は先に帰ったのか彼一人だった。  俺も身長は170センチあるから決して低い方ではないが、彼の方がさらに15センチほど高い。でも顔は小さく首は長い。  見るからに質のよさそうな細身のスーツにドゥエボットーニのドレスシャツをノータイですらりと着こなし、あんまり主張しないデザインのカフスボタンをつけている。  もし俺なんかが真似したら首が短すぎて絶対「拗らせオシャレ番長」にしか見えないやつだ。骨格もセンスも俺達とはまるで違う。 「着られている」感が出て浮いてしまいそうなハイブランドの時計や靴も、何なら2次元ルックスのスーパーモデルしか着られないようなパリコレチックな奇抜な服だって、きっとこの人なら全部様になる。   ーーそんな王子様でもオシッコ漏らしそうになったりするんだな。って、そりゃそうか。  ついつい下世話な考えが頭に浮かぶ。あまりジロジロ見ないように気をつけながら、凡庸な庶民の俺は頭を下げた。 「先ほどはどうも……」  いや、相手はイエスかノーか白黒ハッキリ、主語述語キッチリの欧米文化圏で育ってきた押しも押されもせぬ帰国子女だ。こんなゴニョゴニョモニャモニャなザ・日本式な挨拶ではナメられてメンチ切られ――じゃなくて失礼だ!  会社的にはこれから大事な仕事のパートナーとなる人でもある。 「お気をつけてお帰りください」と「またよろしくお願いします」のどちらを付け足そうかとコンマ1秒ほど考えていた時。 「企画開発課のーー青葉恒星さん?」  涼しげなアーバングレーの二つの瞳が俺を見下ろしていた。所属と名前を覚えてくれていたーーというより今、社員証の名札を読んだだけなんだろうけど、雲の上の人に改めて名前を呼ばれると震える。 ーーやべ、ガン見し過ぎたか?それともさっきのプレゼンで無自覚に何か、失礼なことでもやらかしたんだろうか……? 「あ、あの……」 「本当にすみませんでした!」  身構えた俺に、見上げるような長身を二つ折りにして先手必勝とばかりの勢いで何故か謝って来たのは、まさかの遠山社長だった。 「えっ……あっ、はい?」  世界一美しい謝罪会見?いやいや。  さっきの全世界のどこに出しても恥ずかしくない堂々とした美丈夫ぶりはどこへやら、持て余すほどの長身を居心地悪そうに屈め、耳まで赤くしながらぼそぼそと口の中で早口に呟いた。 「まさかあなたがこちらの社員とは知らず……話さなきゃと思ってずっと探してて」 「す、すみません……遠山社長。どなたかとお間違いでは?」  俺はどうしていいかわからず、面を上げてくれるようにおたおたとジェスチャーで示した。  彼は決まり悪そうに長いまつ毛を伏せたまま、意を決したように切り出した。 「……今朝……」「?」  煙水晶のような瞳が潤み、白磁のような頬に一面、血の(あか)が透けている。 「一言ご挨拶してから去りたかったのですが、あんまり青葉さんが気持ちよさそうに眠っていらしたので……」 ーーちょっと待て。この人一体何を言ってるんだ? 「さっきの打ち合わせの前にどうしても一件、外せない所用があって……朝方まで僕の我儘に何度も付き合わせてしまいましたし起こすに忍びず……」 「ちょ、ちょっと待ってください。あの、ええと……それってつまり……」  悪球打ちからの場外ホームランばりの超展開――脳機能と呼吸器系が全停止しそうになった。確かに綺麗な金持ちには違いないが、人生初のワンナイトのお相手が年増のマダムどころか女性でさえないとかーー

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