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恒星:はじめてのワンナイト 7

「あ、あの……一応確認したいんですが、昨夜俺と一緒にあのホテルに泊まってたのは……遠山社長ってことでよろしかったんでしょうか?」  動揺しすぎてまるでマニュアル接客のような口調になる。 「覚えてないんですか……」  彼は上気した顔に失望の表情を浮かべた。というより、絶望のあまり今にも泣き出しそう。 「申し訳ありません……っ!」  反射的にこちらも45度身体を折り曲げて謝ってしまった。 「昨夜はずいぶん飲んでたらしくて、全く記憶が無くてですね……」  泣き出したいのはむしろこっちだ。 「そうだったんですか……いえ、僕の方こそまさか、取引先の会社の方だったとは……」  俺、まさか我が社の女子社員の希望の光で業界の宝のようなこの人に何か不埒な真似した?ご無体しちゃった?  コンプラ何とかって……むしろ俺の方が訴えられてしまうのでは? 「俺、もしかして社長に何かとんでもなく失礼なことを……」 「それはありません。失礼だなんてとんでもない」  彼がきっぱりと否定してくれたので俺はすっかり安心した。 ーー二人で飲んでいたら終電がなくなって一緒に泊まっただけかもしれないし…… ーーやべえ俺、先走り過ぎてとんでもない勘違いをするところだっ……  大の男が五人がかりて酒池肉林してたような床一杯のナニの痕跡はこの際、記憶から都合よく抜け落ちた。 「僕のことより……青葉さんこそ、大丈夫でしたか?」 「はいっ……?」  ここまで人の皮膚が赤くなるのかよってほど彼の顔がマックスに赤くなるのを俺は見た。 「その、メンタル面とか、体調とか……男性同士は初めてだって仰ってましたし……」  何この、さらっとメガトン級爆弾を落としてくる感じ。  今度こそ受け止めきれない。処理能力超えてる……いよいよ脳貧血だか過呼吸だかを起こしかけたその時、他の連中がトイレに入ってくる気配がした。 ーーヤバい。誰かに見られたら余計面倒なことに……  遠ざかる意識の中で遠山社長の腕を引っ張り、反射的に個室に引っ張り込んだ。 「D’s Theoryの遠山社長、見たか?」  聞き覚えのある無遠慮な声は堀田だ。 「やべえよなあ、あの人。うちの課の女子なんか用もないのに入れ替わり立ち替わり企画開発課に……」 ーーおいおい、本人聞いてっぞ……頼むから大声で悪口なんか言わないでくれよ……  この人と個室に籠もってしまったのは明らかに失策だった。  これまでの会話の流れだけでも気まずいのに、狭い場所で大の男二人が体を密着させてるからお互いの体温や必死で殺している息づかいまでダイレクトにつたわってくる。  しかも後ろ手にドアを閉めた瞬間、彼がが嗚咽しそうになったので口を慌てて塞いだ。結果、バランスがとれず、もう片方の手で「壁ドン」している形になってしまっている。 ーーな、何やってんだ俺。これじゃ完全に犯罪…… 「あの人、独身?」 「バツイチかなんかだって聞いたぞ。元奥さんは確かモデルだって」  手のひらに彼の柔らかい唇と熱い息が触れる。頼むから静かに……と目で訴えると、潤んだ瞳が微かに頷いた。透明感のある肌が首筋から額まで綺麗に染まり、生え際がうっすら汗ばんでいるのが艶めかしい。 ーー鼻高え……それにいい匂いする……  ほのかに甘酸っぱいムスク系の香りーー香水ほど強くはなく、おそらくボディソープか衣類ケア製品の類が体臭や体温と入り混じったような、きっと本人は意識してもいないほどの内向きなーー常識的な距離では感知し得ない、清潔で中性的な彼の誘引剤。 ーー意外と無駄に色気あるよな、この人。もし、この人が女性だったら…… ーーいやいやいや!こんな時に何考えて……  ちょうど視線の先にある形のよい喉仏がかろうじて俺を正気に戻してくれた。 ーー落ち着け俺。いくらフェロモンムンムンの美人でも相手は男…… ーーいや待て、既にやってしまってんのか?俺?  正体を失ったまま長身のこの人に組みしだかれる俺…… ーーやめろ!これ脳内で映像化したら絶対ダメなヤツ! ーーつか、これまで生きててそんな欲求も願望も感じた事ないし!きっと何かの間違いだ!

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