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恒星:はじめてのワンナイト 8

「バツいくつあったって、あんだけ見た目もよくて成功してたらいい女選び放題だろ」 「人生ウハウハだろうなあ。一人でいいからこっちに寄越して欲しい」 「お前ら連れションの女子高生かっ!くだらんこと喋ってないで用足したらとっとと出てけ」  今すぐここから飛び出し、開口一番そう怒鳴りつけて怒涛の啖呵を浴びせてやりたいの堪え、滝のような冷や汗とともにどうにかやり過ごした四、五分ほどの時間がクーデター勃発下でパニックルームに潜んだ一晩にも思えた。 「も、申し訳ありません……咄嗟につい……」  人の気配がすっかりなくなると、俺は遠山社長から手を離して体をおこした。少し冷静になると新たな心配が脳内をぐるぐると迷走する。 ーーこれで契約が反故にされたり、訴えられる羽目になったりしたらどうしよう……俺、会社にもいられなくなるんしゃ……  苦戦続きの就活の末に採用されてせっかく馴染んだ会社なのに、それは困る。とりあえず場所を変えてこの人の怒りを解がなければ。昨夜のいきさつだって記憶が戻れば弁解できるかも……  開錠しようとしたその手を遠山社長に押さえられた。指がピアニストのようにしなやかで長く、プレゼンの時から色気のある手だとぼんやり思っていたのを唐突に思い出した。 「……?」 「待ってください」  真意が読めずに固まっていると、彼はきっちり着ていたジャケットとシャツのボタンを外し始めた。 「……ちょ、一体何を……」  遠山は唖然とする俺の手をはだけた胸元に持って行った。 「えっ……」  焦って手を引っ込めようとしたとき、裸の胸だけではなく何か繊維質のものに手が触れた。デザイナー一点物の変わったインナーウエア……ではなくて、 ーーな、縄っ?  俺の二万円均一量産店御用達アーマースーツ一式よりはるかに高そうな生地と丁寧な仕立てのワイシャツの下にあったのは、表装とはまるで似つかわしくない、無骨なお縄に梱包された滑らかな人体だった。 「ーーって、ええとすみません、遠山社長って同性愛だけじゃなく、SMとかそっち系の人?」  こうなったらもう不躾もクソも無い。いくらなんでもストレートに聞き過ぎたもしれない。が、彼は別に気を悪くする様子もなくこくりと頷いた。 「……青葉君にしていただいたんですよ」 「……はいっ?」  よくまあ次から次へと、俺の容量を100ギガレベルでオーバーしてぶっ込んでくれるよな、この人……  俺の方は記憶にある限りそっち系のプレイは経験がない。同性異性を問わずその手の映像作品も担当外のジャンルだが、菱形縛り、亀甲縛りいう名称くらいは知識として知っている。  遠山のほどよい感じに筋肉質な白い肌に痛々しく食い込んでいる異物の形状はそのどちらでもなくしかも見覚えがある。 「綾掛け」という竹垣やなんかを組む時の縛り方で、決してばらけないよう最後に裏側を「男結び」できっちり結ぶ。  それがそれぞれ流派ーーなんていう大げさなものではないが、結ぶ職人によって少しずつ癖ややり方の違いがある。  よく知ってる人なら他人のも見分けがつくし、もちろん自分のも。筆跡みたいなものだ。  ロープの出所は定かではないが長さが足りない物をところどころ継ぎ足して使ったらしく、いくつもある男結びのそれがどう見ても俺自身のやり方ーー学生時代、アルバイト代わりに家業の手伝いをしていた時、祖父ちゃんから教わったものだ。 ーーいくら正体が無かったからって、何やらかしてんだよ、俺! 「思い出していただけましたか?」 「いいえっ。でも、すっ、すみません……、でもこれ、俺の仕事です。今すぐほどきます!」  遠山の手を退けて、両手をこぶだらけの縄目に両手をかけ、爪を立てたがびくともしない。確かに簡単にほどけないための「男結び」なんだけど、酔っぱらいのくせにきっちり仕事しやがって。自分に腹が立った。 「これはこのままで大丈夫です。僕があなたにお願いして、好きでしていることなので……」 「いやいやいや!今、どっかの課からはさみ借りてきますから待っててください!」 「嫌です。(ほど)かないでください」  鍵を開けようとした俺の手を、遠山が今度は力を入れて押さえつけてきたのでついにキレた。 「うるせえ、放せってんだよ!てめえがいいとか悪いとかじゃねぇんだ。庭師見習い崩れの酔っ払いが、加減とかもわからず縛ったシロモンをはいそうですかってこのまんまにして、エコノミークラス症候群にでもなられたら俺が夢見悪いわボケ。黙って言うこと聞いとけよ、この野郎!」   

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