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玄英:個室のふたり1

 「……っ」  ぱちん、ぱちんと音を立てながら、冷たく鋭利な金属の感触とともに創造主自らの手によって(いましめ)が切断されてゆく。  じわじわとやってくる開放感と甘い惜別の痛み、奇跡的に再会できた彼によって新たに刻みつけられる生々しい感触……  普段はひた隠しにしている玄英本人の性的嗜好を、商談先のトイレの個室という一歩間違えればこれまで築き上げてきた社会的評価も地位もマイナス以下に堕としかねない場所で(さら)け出す羽目になっている。  抑えなければいけないのに、次の瞬間に全てを失うかもしれない場所で辱めを受けている。羞恥心と背徳感とで、感情も感覚もどうしようもなく(たか)ぶっていく。  もっとも相手には特にそんな自覚は無さそうだ。うんざりを隠そうともしない素気ない態度と、正確に機械的に作業をこなす冷徹な手つきがまたいい。 ーーよりによってこんな大事な日に、どうしてこんな…… ーーでも、こんなの初めてだ……  戸惑い、自制しようとするほどに内奥から高揚し恍惚の方向に流されそうになる。 SDGsが叫ばれる昨今、不要になれば環境に負荷をかけずに土に還すことのできる生分解性素材の需要はどの分野でも高まっている。が、今のところは耐久性とコスト面がネックとなり、普及に関しては従来の石油製品にまだまだ及ばない。  玄英の会社で開発した素材は、それら二つの問題をクリアできるものとして現在、世界中の各業界からの問い合わせが後を絶たない。  少子高齢化や感染症蔓延防止の自宅待機政策何やかんやの影響で、日本は空前のガーデニングブームだという。ガルテン松山は玄英の製品の販路としては初めての分野だが、これまでの取引先以上に商品についての理解を示してくれた。  緑化を扱う分野でもあるし、今回の商談には個人的に熱も入っていた。 ーーなのに僕は、その大事な取引先の会社で一体何を……  わかっているのに、どうにもできない。 「思いっきし痛そうじゃねえか……あんた、鈍感なのか。それとも馬鹿か?」  空調の利かない狭苦しい個室の中、相手の男が舌打ちし、心底忌々しげに囁くたびに熱い息がかかる。肌をさする指先、くすぐる髪の毛、汗の匂いーーそれらは昨夜、確かに自分のの手の内にあって共に愉悦を分かち合いながら震えていたーーなのに肝心の彼は、愛を交わし合ったことも自分のこともまるきり覚えていないと言う。  酷いと言えば酷いが、ショックと痛みがまた不思議と甘苦い。悪態を吐きながらも触れる彼の手つきは優しい。 「もっ……だ、大丈夫、ですから……手をっ……」    赤い顔のまま震える玄英の姿に、恒星は手を離した。 「あっ、すみません。マッサージしたら残り方が少し違うかな、と思って……」   恒星の口調も優しいものに戻っている。嬉しいような物足りないような気がする自分は、やはり少しおかしいのだろう。 「必要なら自分で……やりますから……」 「そうですか。腕とか手首とか見てないけど、これで終わりですか」 「腕には……ありません」 「じゃあ早く服着てここから出てください。いつまた誰が来るかわかったもんじゃないから……」  恒星の熱が急に遠ざかる。 「あのっ……もっ……」「……も?」 「あ、いえ……」  胸元の位置から怪訝そうに睨みつける視線が心臓の奥を抉る。 「あの……実は……」「何?はっきり言って」  黒目がちな切れ長の目が責めるように剥かれ、薄い唇が不機嫌そうに曲がるーー耳の底に感じたことのない動悸を覚えながら、やっと言葉を吐き出した。 「下……も……」「下?」  視線が玄英の下半身に注がれると三白眼にまで比率が逆転する。

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