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玄英:昨夜のふたり 2

 そうこうしているうちに、満杯だったテーブル席の客達があるタイミングで次々と帰り始めた。  レジ前に行列ができてマスターがかかりきりになると件の彼が立ち上がり、ごく自然にテーブルの上をてきぱきと片づけ始めたのにはちょっと驚いた。 「コウセイ君、いつも悪いねえ」  マスターがレジから声をかけた。 「いいよいいよ、このくらい」 ーーこの人「コウセイ」っていうのか。姓……じゃなくて下の名前だろうな。漢字は?  チップの習慣が無いにも関わらず、日本の飲食業のサービスレベルが総じて高いというのはこれまでも短期の滞在で経験してきた事だ。  が、客が率先して店の仕事を手伝う光景というのはこれまで生活してきた英語圏の国ーーイギリス、オーストラリア、そしてアメリカでは全く見たことが無い。  いつも座る窓辺の席が空いたが玄英はあえて移ることはせず、そんな事をぼんやり考えている。にわかにレジの方角が騒がしくなった。  事情はよくわからないのだが、二人組の男女の客のうちの男の方が、何やらしつこく文句を言っている。初見の客のようだが、些細な事を理由に代金をタダにしろと迫っているようだ。 ーーモンスター・コンプライナー……?あ、日本じゃモンスター・クライマーって言うんだっけ。礼節と恥の国だと教わったのに、ああいう輩だけは増えてるんだなぁ…… 「なあ、兄さんよ。話があんなら後にしてくれや。後ろの人だって待ってんだろうが」  派手な見た目の恰幅のいい男ーーどう見ても中年以上だがーー相手にそう声を掛け、割って入ったのはコウセイだ。  逆ギレしてヒステリックに恫喝する男に怯むどころか、それ以上の迫力で一喝して黙らせるとーーそれほど大きくも野太くもない声なのに、かなりの凄みがあったーー超速のブロークンな日本語で一気にまくし立てる。  男はこめかみに青筋を立てて真っ赤になったまま二言三言怒鳴り返したが、負けじと派手な連れの女に「もういいじゃない、行こう」と促されて渋々代金を払ったーー投げつけるように、それでも小銭込みできっちりとレジに置き「二度と来るかこんな店!」と言い捨てて去って行く。  玄英は母語としては英語の方に馴染んでいるため、コウセイの長ゼリフの半分どころか十分の一も聞き取れなかったし、意味も皆目わからないーーが、何となく胸がすいた。 「こちらこそお断りだっての」「マスター、災難だったね」「コウセイちゃんお手柄」  常連客に慰められたマスターが「皆さん、お騒がせしました」と頭を下げた。 「コウセイ君、ありがとうな」 「つい出しゃばっちまっただけだよ。終わったらこの人のオムライス、早く作ってやって」  コウセイは少し赤くなると、玄英の方を視線で指した。 ーー意外と照れ屋?やば。惚れる……  イラストにデフォルメしやすそうな、典型的な東アジア系の顔ーー見た目は玄英のど真ん中のタイプだ。黙って杯でも傾けていたら寡黙で精悍な男だと思ったかもしれない。  もっともこの店は安くて美味い洋食とソフトドリンクがメインの、ナンパにはあまり似つかわしくない店だが。 「コウセイ君はいいのか。飲んだ後でちょうど腹減る時間だろう」 「そうだけど、昔と違って食っただけ腹に肉がつくからなぁ」 「まだ若いんだから平気だろう」 「若くないよ。来年30になる」 「やっぱり若いじゃないか。30なんてまだまだ」  予想より歳がいっているとは思ったが、やっぱり年下だった。二人の会話を聞くに、長年の常連らしい。 「君、凄いね。あれもディベートの一種?」  カウンター席に彼が戻って来た時、玄英は聞いてみた。 「ディベートじゃない、啖呵」 「タンカ……?」  単価?……短歌? 「筋の通らない事って嫌いなんだ。マスターとはつき合い長いし、放っておけなくてつい」  座り直しながら彼は、照れているのかぶっきらぼうに答えた。

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