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玄英:昨夜のふたり 3

「へえ。つき合い長いってどれくらい?」 「大学がこの近くでさ。部活の帰りに友達とよく寄ってた。店自体はあまり変わってはいないんだけど、当時はこの辺にファミレスもファストフードも無くて、学生御用達の定食屋って感じの店で。ご夫婦で切り盛りしてたんだ。混んで手の回らない時間帯に配膳や片づけを手伝うと大盛りにしてくれるってサービスがあって」 「今日も感謝の特大盛りにしてやろうか?」  厨房に戻ったマスターが、タマネギを豪快に炒めながら楽しそうに聞いてきた。 「さすがにそれは勘弁だなぁ」  破顔一笑ーー食べ盛りで青春真っ只中だった頃が容易に連想できそうな、無邪気な笑顔が眩しかった。   「名前、コウセイっていうんだ。どんな字書くの?」 「惑星とか恒星の『恒星』。ひねりもなんもないだろ。君は?」  筆ですっと一捌けなぞったような形の涼やかな目元が笑った。 「クロエ。玄人の『玄』に英国の『英』」 「玄英か。かっこいいな。やっぱり作家みたいだ」   結局、彼もオムライスを食べる事になったらしい。出されたオムライスを二人仲良くたいらげながら、恒星は卒業後してからもたびたび訪れていること、数年前にマスターの奥さんが亡くなりマスターが一度は店を畳む事を考えたこと、そんなマスターを自分達卒業生や近所の常連らが励まして説得し、今はこうしてご近所サロンのような形で店が続いているーーそんなことを話した。 「僕もこの店はお気に入りなんだ。じゃあ、今この店があるのは恒星のお陰だね」 「俺なんて何も……大袈裟すぎ」  恒星はやはり照れて、それでも嬉しそうに笑った。   「これ、お礼だよ」  いつの間にか店の客が二人だけになっていた。マスターがそう言って持って来たのは、見たことのない美しい飲み物だ。  来たる季節を思い起こさせるような、深緑から薄茶のグラデーションのガラスの鉢に映える純白の飲み物。添えてある華奢なシルバーのお玉もお揃いのグラスも涼しげだ。  店のメニューというよりは、マスターの個人的なもののようだ。 「……牛乳?」「……甘酒?」 「マッコリだって。韓国人の常連さんにもらった。自家製だって」 「へえ……珍しいな」 「玄英さん、海外育ちなんだっけ。こういうの初めて?」  マスターが聞いてきた。 「はい。初めてです」 「飲み口が軽いからってぐいぐい飲んじゃだめだよ。けっこう度数が高いから」  マスターはそう言って笑った。  酒税法的にはどうなんだろうな、などとうすぼんやり思いつつ味見させてもらうと、すっきりと甘く美味しかった。  すっかりくだけた恒星はますますよく喋り、人懐っこく笑った。笑うと切長の目が笑い皺の中に埋没する。 ーーああああ、やっぱり可愛い……  デスクワークにしては灼けた肌に、流行りの型より少し短めの髪。一回り小柄でスーツに覆われてはいるが、恐らく筋肉質の身体。  何かアウトドア系のスポーツでもやっているのかと聞いたら、休日に実家の造園業の手伝いをするのだと答えた。 「ゾウエンヤ?」 「うん。日本庭園を造る仕事。実家つっても祖父(じい)ちゃん()だけどね。俺、祖父ちゃんに育てられたから」 「クールな仕事だね!恒星が継ぐの?」 「いいや、継ぐつもりはない。最近は仕事が減って雇っている職人さんたちも高齢になる一方だし」 「そうなんだ。残念だね」 「ねえ、さっきから俺の話ばっかりしてるけど、今度は玄英さんの話も聞きたい」  共に杯を重ねながら人懐こく健全に笑う。それでいて、飼い慣らされていない野生動物が敢えて自分を抑え込んで量産型のスーツに押し込めているような、どこか歪で淫靡(いんび)な気配も感じさせる。 「僕の……?」  玄英もまた、社交用の笑顔で柔らかく受け答えしながら時々沸き起こる、この無邪気な好青年の彼のタガを外させてみたくなる薄暗い衝動を懸命に抑えている。 「そっ……育った海外の話と……かっ……」  恒星はそう言いながら突然、カウンターに突っ伏して正体を無くしてしまったーーそう言えば店に来て玄英に話しかけた時から、だいぶ出来上がっていて上機嫌だったのを思い出した。  

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