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玄英:昨夜のふたり 4

 海外のホテルだってそれこそピンキリだが、日本のように格安クラスの宿泊施設であっても周囲の治安やシャワーのお湯について、まず心配の必要がない国の方が珍しい。  が、見知らぬ男と急きょ外泊する羽目になってしまったら話は別だ。自宅のそれに比べて柔らかすぎるマットレスと堅すぎるシーツ、ケミカルな臭いや二台のベッドで満杯になってしまうゲストルームの圧迫感などがやたら気になってしまい、なかなか寝付けない。  だから仕方がない……というのを口実に最弱光のテーブルライトに照らされながら隣のベッドで眠りこけている男の顔をじっと見つめているーー自分の持ち物の中にスマホも読みかけの本もあったことも忘れて。  意志の強そうな眉と唇。黄味の強い薄茶色の肌。  そう言えばもうすぐ30になると言っていたーーある年代までのアジア系の男は総じて若く見えるが、それにしても若い。  すかし模様のようにそばかすが散らばる丸い頬にどうしても触れたくなって指を伸ばそうとした途端、彼が唐突に飛び起きた。 「ああ、喉乾いたあ……ここ、どこ?」  玄英の方も驚いて、反射的にベッドの上に起き直った。 「……あんたんち、か?」  焦点の合わない目で見つめられるとちょっと……いやかなりそそられる。  首を横に振って答えると、恒星はまたも唐突に立ち上がって歩き出した。と思ったら二歩目でつまづき、玄英の方のベッドに倒れ込んできた。 「大丈夫……?まだ酔いが回ってそうだし、無理に動かない方がいい」 「だってぇ、トイレいきたーい。ここでしていい?」 「駄目に決まってるだろ……もう、仕方ないなあ」  玄英は自分の肩を貸し、彼をトイレまで連れて行ってやった。備え付けの冷蔵庫に入っていたミネラルウォーターを取り出し、出て来た恒星に渡す。 「ここ、駅の近くのビジネスホテル。終電逃しちゃったし、タクシーを呼ぼうにも君、ずいぶん酔ってて正体無かったし……」  恒星が自分のベッドに腰掛け、喉を鳴らしながら乾きを癒す喉元を凝視(みつ)め、別な渇きを(なか)覚えながら玄英は説明した。 「すまん。迷惑かけて悪かった。初対面なのに」 「全く初対面ってこともないでしょ。あの店で僕は君を見知っていた」 「俺も……あんた目立つしさ。どんな人なのかなって思ってた」 「それで、推理した結果が小説家?」  玄英は可笑しくなってくすくす笑った。 「研究者は合ってるって言ったじゃないか……つか、何だか目が冴えちゃったな」 「OK。なら、僕の話でもしようか?君によると僕の番らしいから」 「うん」 「と言っても、面白い話はないよ。僕の家庭は両親が揃っていて姉が一人。父親の仕事の都合で小さい頃から違う国を転々と渡って暮らす生活で、大人になった今は家族のそれぞれが違う国で事業を経営している。だから『実家』ってものもなくて全員が別居生活」 「へえー……いや、十分すげぇ話だと思うけど。本格的な個人主義の国際派家族って感じするな。でも、寂しいとか思わないの?」 「それに慣れちゃってるからな……甘えたい盛りの小さな頃から自立することを求められてたし。夏休みとかクリスマス休暇にはどこかのリゾート地に集まって会うし、家庭環境が性癖に影響したとも思えないけど」 「性癖……?」 「そう。一度結婚したんだけど、そのせいで上手くいかなかった」  玄英は左手をかざした。長くすらりとした左手薬指の根元は不自然な線状に痩せ、つい最近まで「(かせ)」がはめられていた痕跡が見てとれた。

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