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玄英:昨夜のふたり 5

「やっぱり僕、廊下で寝るよ。おやすみ」  しばらく沈黙していた玄英が、何の脈絡もなく不意に自分の毛布を抱えて出て行こうとしたので、恒星は不満をもらした。 「ーーっは?何、急に?話まだぜんぶ聞いてねぇし」 「だって君、この続き聞いたら絶対引くから」 「引かない。絶対に」  恒星はまだ酔いの残る顔で、それでも真っ直ぐに玄英を見た。 「本当に……?」 「うん。男に二言は無……あ、でも、犯罪っぽいのはダメな」 「それは大丈夫……多分だけど」  玄英は再び恒星と向き合うように、恒星が気に留めない程度にさっきよりも近い距離で座り直した。 「多分なのかよっ」 「程度問題かな。実は僕……ないと、……なくて」 「ん?何?聞こえない」  視線を落としていた玄英は恒星の顔を再び見た。次の告白で、彼の形のいい唇から発せられる小気味よい罵倒ーー玄英はほとんどリスニング不能だったが、アリアともラップとも違う心地よいスピード感とリズムと抑揚の、まるで「日本の話芸」レベルのそれを浴びせられる自分を想像すると、それはそれで倒錯的な高揚を感じる。  玄英は腹を括ったーーどうせ欲しいものなんて全部は手に入れられない。自分の場合はそれが、恋愛関係だっただけ。 「縛られたり罵倒されたりしないと性的に興奮しない。しかも同性相手じゃないと」 「へえ……」  恒星はああ言った手前、必死で平静を装っていることは想像に難くない。無難な多数派を構成する別世界の住民であっても、見た目通りの誠実な人なのだろう。 「僕はそれまで自分のことを、ごく平均的な異性愛者だと信じていた。相手にそれほど執着しなかったり、性行為に対して淡泊なのは自覚していたけど、他人と比べる事でもないしね。  将来のどこかの時点で、そんな自分に合う女性と結婚して子どもが生まれて……そんな人生を送るんだと信じて疑わなかった。皮肉なことにその結婚生活で、本来の自分に気づいてしまったわけなんだけど」  さすがの恒星も答えに窮しているのが見て取れた。警戒されたーーいや、嫌悪されたんじゃないか。 「……ああごめん、こんな話、やっぱり不愉快だよね?」 「ええと……つまりあんたは……Mで同性愛者、って話でいいのか?」 「そうなるね」 「俺、正直そういうのよくわかんねえけど……何か大変そうだな」 ーーんん、同情された?  意外な反応ではあったが、とりあえず拒否反応を示されなかったことに安堵する。 「大変……ううん。大変、なのかなあ……確かに女性と交際しても結婚しても違和感しかなくて、相手にも『あなたは変だ』と言われ続けてたけど」 「十分辛いじゃん」  「まあね。でも、子どもの頃から自分一人だけ周りと違う、ってことが当たり前だったからね。同年代の子達が幼稚に思えて、同年代と恋愛や性の話をするよりも、先生や年上の学生たちと生物や化学や経済の話をする方が遙かに面白かった」 「玄英って……もしかして、べらぼうに馬鹿みたいに超絶頭いい人?」 「はは。何そのスーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス……みたいな修飾詞」 「それ、メアリーポピンズ?」 「そう!あんな古い映画、よく知ってるね」  玄英は楽しげに手を叩いた。

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