18 / 85

恒星:ここから先は○○です 1

  「……思い出した」  昨夜と同じ「マドンナ」のカウンター席ーーではなく、遠山がよく座っている窓辺の一番奥の席で向き合って話を聞いていた俺は、頭を抱えた。 「思い出してくれました?じゃっ、じゃあ僕のご主人様になってくれるって約束してくれた事とかも……」  遠山の顔がぱあっと花が咲いたようにーーいや、奴はヤローなんだけど腹ただしいことにこれよりぴったりくる表現が見つからないーー明るくなった。 「ちょ、ちょっと待って……!いきなり銀河の果てまで話飛ばさないでくれます?さっきからその間を説明して欲しいって言ってるのに」 「すみませんっ、つい……」  と遠山が縮こまったーーっていうか、何でそんなこと言っちゃった?俺よ。 「もしそれ思い出せたとしても、ごしゅ……、いや、あなたとまたどうこうなること自体、ちょっと無理だと思うけど」 「で、ですよね……いえ、無理だろうとはわかってたんですけど、さっきもいい雰囲気だったし、少しは可能性あるのかなって勝手に思っちゃって……」 「どこが!いや、そっちは思い出させなくていいから!」  話の内容が内容だけに、声量を抑えようとはしているのだが、ついついヒートアップしてマスターや他の客の怪訝そうな視線を集めてしまうーーまさかこいつ、ワザと煽ってるんじゃないだろうなーー落ち着け、俺。 ーーとりあえず、元凶はマスターのマッコリだということはわかった。  昨夜の遠山は私服の上に髪のセットもゆるく、眼鏡までかけていたからーー間接光の照明も手伝って今日の会社での彼とは全然印象が違っていた。  そう言えば、たまに遠目に見かける中性的な雰囲気の彼のことを「背が高くて日本人離れしているけど女性かなあ……女性だといいなあ」と見とれていたことがあった。外国人女性っぽい名前で呼ばれるのをちらっと聞きかじったような気もするし。  ただ、見た目がなんとなく好みという以上の印象はなく、男性だと知った時も「ああ、そっちだったか」程度の感想で特にがっかりしたわけではなかった。 「……それでですね、恒星さん、すっかり酔いつぶれてしまって」  遠山は顔を赤らめたままうつむいて、申し訳なさそうに説明した。 「心配だから駅までつきそったんですが、終電を逃してしまって。タクシーも列ができていたし、乗せても自分で行き先言えるか怪しかったので、酔いが醒めるまで付き添おうと思って近くのホテルに」 「……」 「その時は本当に、そんなつもりなくて……いえ、下心が全くなかったと言えば嘘になりますが、恒星さん部屋に着くか着かないかで寝てしまったし、僕はどちらかと言うと『受け』なので……」 ーーそんなこと誰も聞いてねえよ。 「……それはご迷惑かけました」  その時点ではきっと善意からだったんだろうと信じて、仏頂面で一応礼を言った。  日が長い季節に仕事が定時で終わった日、卒業式シーズンや花の季節だったりして理由もなく感傷的になった日、あるいはふいに昔の懐かしい思い出に浸りたくなった日ーー俺は時々ふらりと「マドンナ」に立ち寄る。  別に過去にトラウマになるほどの後悔があるとか、今の生き方が辛すぎて常に過去を振り返りながら生きている、というわけではないのだが、外界のめまぐるしさを余所に昔と全然変わらない佇まいのこの店は日常ですり減った何かを優しく包んでくれる気がするのだ。  マスターを少しでも支えたいという気持ちももちろんあるのだが、足を運ぶ頻度が増えたのはもうすぐ三十という自分の歳を意識しているせいもあるのかもしれない。 「それで朝になったら、その爆睡してたはずの俺があなたの体を綾掛けと男結びで拘束して手錠やらナニの跡やらが散乱した部屋に全裸で残されてたのは何故なんですかねえ」  質問内容が内容だけに極力声を落とし、怯えさせないよう努力したのだがかえって凄んでいるみたいになってしまったのは否めない。 「すみません、置き去りにしてしまって……ガルテン松山様のとは別な打ち合わせが今朝……」 「それはさっき聞きました」 「あっ……あの、たった今閃いたことなんですが」 「何ですか」  閃き?ーーそう、天才とは1パーセントの閃きが超新星レベルで神がかっているからこそ天才なのである。忘れかけていたけどこの人は一流の経営者にして天才研究者だ。  何か斬新な解決策が? 「店に来てここでのことを思い出せたんだから、二人でまた同じホテルの部屋に行ってみればもっと……」 「フザけてんのかあんた?」  俺は苛々してテーブルを叩いた。

ともだちにシェアしよう!