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第7話

 ハルトは梯子を上段にかけなおした。 「いくら相手が偉い人だからって息子をほいほい嫁がせるとか、ありえないだろ。婚約は無効、使者とやらに断り状を(ことづ)ける」 「ハルト、見てみろ、水玉模様の猫だ!」  明かり取りの小窓を指さすのにつられて仰のき、あっさり罠にかかった。暴れる羊を押さえつけて毛を刈るより簡単に、縄でぐるぐる巻きにされたうえ、樽か何かのように担ぎあげられる。 「猫が、って騙したな。クソ親父、かけることの一万回、親子の縁を切ってやる!」 「輿入れするのにうってつけの迎えの馬車が集会所の前に停まっている。とんぼ返りをする羽目になって使者の方にはご苦労なことだが、善は急げというからな」 「横暴、行かないったら行かない!」  騒ぎを聞きつけて、村人たちがわらわらと集まってきた。成人の祝いの宴でふるまわれるはずだった羊の丸焼きが、馬車の屋根にくくりつけられた。ハルト本人は芋虫さながらの姿で座席に放り込まれた。玉の輿だ、村の誉れだ、と万歳三唱で送り出されて故郷が緑の絨毯の向こうに遠ざかっていく。  ハルトは生まれてこのかた隣村──といっても馬で半日がかりの距離だが──より遠くへ行ったことがない。売り飛ばされるも同然の旅立ちにむくれどおしで、だが車窓の景色が移り変わるたび持ち前の好奇心をくすぐられて仕方がない。 「あの、でっかい(やぐら)は何のためのもの」 「石油といって、燃える液体を汲みあげる施設なのですよ」 「あっちの、屋根にタマネギが乗っかってるみたいな建物は」 「異教の礼拝所でございます」    と、いう調子で使者を質問攻めにしたあげく、辟易した様子で狸寝入りを決め込まれてしまった。  さて丸三昼夜にわたって馬車に揺られて尻の皮が剝けたころ、ようやく(みやこ)に到着した。羊村の異名をとるくらい、生まれ育った村では人より羊の数のほうが桁違いに多い。買い物をする場合でも隊商が運んできた品の中から選ぶより他ない。  馬車が目抜き通りを駈けている間中、ハルトは窓にかじりつきっぱなしだった。あっちを向いても人、人。こちらを向いても商店、商店という光景は別世界そのもので、街角で放り出されたら、きっと一瞬で迷子になる。  家並がどこまでもつづく光景に圧倒されて、もそもそと羊の干し肉を食べた。頭をひと振りして、弱気の虫を払いのける。  領主の前に引き出され次第、ガラクタ入れの中から発掘した例の指環を突っ返す。春風が吹きはじめるとともに赤ちゃん羊がつぎつぎと産まれて、そいつらの世話を焼くのに忙しい。茶番劇につき合っている暇はない、草原に帰る、あっかんべえ、だ。

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