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第10話

 扉から見て正面の奥まったところが一段高く(しつら)えられていて、そこに緞子(どんす)張りの椅子が一脚。ゆったりと腰かけた偉丈夫が、品定めをするように全身を()め回してくる。背が高く、均整のとれた躰に錦の長衣をまとい、帽子というには変てこなものを頭に乗っけている。  領主でござい、と尊大ぶって癪にさわるあいつが、自称許婚のイスキア・シジュマバードⅩⅢ世か。  ハルトは腕組みをして、床を踏みしめた。にこやかに話しかけてくるどころか、一向にほころびる気配のない仏頂面を睨み返す。ひざまずくとかして敬意を表するのが礼儀にかなっているのだろうが、へいこらする筋合いはないのだ。  第一、と腹の中で毒づく。「見初められて」「将来を誓った」というひと幕は記憶の襞に埋もれて、作り話のように思えて仕方がない。だいたい親書ひとつで人を都まで呼びつけておきながら、むっつり押し黙ったままとは、どういう料簡なのだ。ようこそ、くらい言っても減るもんじゃないぞ。  根競べのように睨み合っている間に、巨大な振り子時計の長針が数回転した。やがてイスキアの、冷徹な光を宿したエメラルドグリーンの双眸が、ふっと明るんだ。緑がかった金髪をかきあげると、試験に合格した旨を告げるような口調で切り出した。 「命の恩人よ、久しいな。遠路はるばる大儀であった」 「これを返しにきただけ、すぐ帰る」  つけつけと応じて、つかつかと玉座に歩み寄った。そして椅子をめがけて指環の入った巾着を投げつける。逆鱗に触れついでに婚約解消の方向へと持っていけたら、好都合だ。 「無帽の、ヒトの分際でイスキアさまに楯突くとは生意気な……!」  血相を変えた臣下の頭には円筒形の、ただしマッチ箱ほどの大きさの帽子が載っかっている。他の家来も意匠こそ違え、ひとり残らず帽子が「ちょこん」。  さて、見るからに座り心地のよさそうな長椅子を勧められたものの、ハルトはあえて謁見の間のど真ん中に胡坐(あぐら)をかいた。さっさと立ち去りたいのは山々だが、強行軍が祟って、情けないことに睡魔に襲われたのだ。  ところで事、羊に関してなら仮に一万頭の群れのうちの一頭がちょっと道草を食っている程度のことでもすぐ気づく。苛ついているのは確かで、それを差し引いても観察眼に曇りが生じたのは、ひとえにイスキアの演技力がずば抜けているせいだ。  まさかデレデレ防止に頬の内側を嚙みつづけているなんて、ハルトはもとより、この場に居合わせた誰もが想像だにしなかったのはさておいて、 「おれのアンポンタン、失敗したあ!」  絶叫が迸り、さしものイスキアでさえ、ぎょっとした様子で腰を浮かせた。

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