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第18話

「途方に暮れた風情で、つくねんと座って。迷子になったのではあるまいな」  だしぬけに話しかけられて、危うく水路に転げ落ちるところだった。パッと振り返って、口を真一文字に結ぶ。イスキアが橋のたもとから、こちらへ向かって一歩踏み出した。  イスキアが待ち構える袋小路と、蛇がうじゃうじゃいる木の(うろ)。仮にどちらかに入るよう威された場合は、後者を選びたい気分だ。  ハルトは橋とは反対方向に駆けだした。  水路に沿って延びる小径(こみち)は石畳が敷き詰められていて、水がかかった箇所はつるりと行きやすい。また、お召し替えなるひとそろいには、なめし革を縫い合わせた靴が添えられていた。しっとりと肌に吸いつくような逸品だが、履き慣れているサンダルと違って底が厚い。  石畳の継ぎ目に蹴つまずいて、つんのめった。蹈鞴(たたら)を踏んだところにちょうど苔が生えていて、その汁で靴底がすべった。  今度こそ後ろ向きに、水路にドボンといきそう。足がつく深さでありますように、でないと溺れる自信がある……、 「そなたは、割とそそっかしいのだな」  ──溺愛道の教訓集より、その六十四。棚ぼたを逃すべからず。  謎めいた独り言が耳朶を打つとともに、ふわりと抱きとめられた。水面(みなも)に波紋が広がり、ふたりひと塊にもつれ合った倒影がゆがむ。  ハルトは舌打ちをした。裸馬を乗りこなすくらい朝飯前と、うそぶくくらい運動は得意だ。なのに醜態をさらしたばかりか、小面憎い男にしがみつく。  小間使いのパミラによると、 「イスキアさまより言伝(ことづて)がございます。『相手をしてやれなくて、すまない』」  とのことで、イスキアはてっきり今日は本土側の領主館に行きっぱなしだと思い込んでいた。まさしく油断大敵。  種明かしをすると、こうだ。イスキアは夜も明けきらないうちに快速艇を(はし)らせて本土へ急ぎ、大車輪で執務を終えるが小島に取って返したのだ。せわしなく行き来したのは、なぜかって? ハルトと語らう時間をひねり出すために決まっている。  船長に無理を強いた甲斐があった。イスキアはそう思い、そのくせ、ちらとでも笑みを浮かべるどころか、漆喰で塗り固めたように仏頂面は崩れない。するとメイヤーに(いさ)められる場面が脳裡をよぎった。  くどいと仰せでしょうが、イスキアさま。仲睦まじくなる以前の問題として、まずはハルトさまになついてほしければ何はなくともにこやかに、ですぞ──うんぬんかんぬん。  発破をかけられても如何(いかん)ともしがたい。現に笑顔をこしらえようにも口許がひきつるばかりで、その実、うっとりしていた。  黒髪が映えるものをと、わたしが自ら生地を選んで腕利きの職人に仕立てさせた衣服は、まばゆいばかりに似合っている。すばしっこいだけあって、見た目以上に躰のしなやかなことといったら!   図らずも抱きしめる形になったが、仮にも許婚である以上、しばしのあいだ幸福感に酔いしれていてもバチは当たるまい。そう自分をけしかけるのにともなって腕に力が入り、胴衣の前紐がボタンに絡まるまでに密着度が高まると、頭のてっぺんのが茹だるようだ。

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