19 / 143

第19話

「離せ、鬱陶しい、馬鹿力!」  イスキアにしなだれかかるの巻、といった図にびっしりと鳥肌が立ち、ハルトはガムシャラにもがいた。すると、かえって抱きすくめられて顔が胴衣に埋もれる。腹立ちまぎれに、むこうずねを靴底でこすりあげ、 「この、じゃじゃ馬めが……」  イスキアが思わずのようによろけた隙をついて身を振りほどく。とんとんとん、と飛びのいてから、鋭い光を放つエメラルドグリーンの双眸を()め据えた。    目つきが悪いのを緊張の現れと好意的に受け取ってもらえないのが、片恋こじらせ童貞三十路男(みそじおとこ)の哀しい点だ。ともあれ基本をおろそかにして溺愛道を修めたいと(のたま)うなど、ちゃんちゃらおかしい。イスキアは決意も新たに初歩中の初歩〝名前で呼ぶ〟に挑戦したものの、 「ハ、ハ、ハ、ハ……」  肝心なときに限って度忘れする呪いをかけられたように〝ル〟と〝ト〟が喉につかえる。ハクションとごまかすのに、水鳥がけたたましい鳴き声をかぶせてきた。  たかが打ち解けた雰囲気を醸し出そうとする程度のことにもたついたあげく、鳥類ごときに小馬鹿にされるとは、つくづく自分の唐変木ぶりが情けない。頭のてっぺんのが一転して凍りつくようなのも相まって、逃げを打つ気配を感じると、ことさら高飛車に出てしまう。 「そなたのために造らせた物がある、ついてまいれ」  ハルトは、緑がかった金髪をなびかせて小径を行く後ろ姿に向かって、 「『ついてまいれ』だってさ。いばりんぼ」  アッカンベをした。と同時にイスキアが振り向いたせいで舌を嚙んだのは、さておいて。  領主館(別館)の通用門──といってもイスキア専用のそれだが──の脇に設けられた船着き場に、真新しい小舟が(もや)ってあった。優美な流線形で船べりには彫刻がほどこされている、というぐあいに贅沢な造りだ。  イスキアが小舟に顎をしゃくった。ハルトがもう少し注意深く表情の変化を観察していれば、目尻に微かに優しい皺がきざまれたさまから、 「おれが、おかあさん羊に代わって育てた仔羊のむくむくっぷりを自慢するところっぽい。さては、すごいと言ってほしがってるな」  そうと察したはず。だが実際には咳払いで急かされるまで、そっぽを向いたままでいた。

ともだちにシェアしよう!