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第21話

 振り向き、精一杯にこやかに皮肉った。 「領主さま、じきじきに指導してくださるとは身に余る光栄です」 「ざっくばらんに〝イスキア〟と呼ぶがよい、許す」  よし、課題をひとつ片づけた。イスキアが心の中でそう快哉を叫んだなんて、ハルトはもちろん想像もしなかった。櫂を垂直に水路に突き入れると、 「櫂は躰と平行にへその位置で構え、8の字を描くように水を搔く」    背中にくっつかれて、正しい構え方とやらに修正がほどこされる。 「暑苦しい、気安くさわるな」  できるかぎり前にずれて櫂を握りなおすと、片方のヘラ状の部分で水面を撫でてみた。ぎこちないなりに、言われた通り今度は反対側のヘラを浅く沈めて同じ動きを繰り返すと、すうっと小舟がすべりだした。 「わっ、漕げた」 「その調子だ。あとは両の手を均等に動かすよう努めることだ。でないと、くるくる回るばかりで進まない。そなたは筋がいい」 「お褒めにあずかり恐縮です」  棒読みで応じるのとは裏腹、ついつい頬がゆるむ。許婚ごっこは御免でも、本来は話しかけるのさえ恐れ多い領主に反抗しっぱなし。とっくの昔に不敬を働いた(かど)で、牢獄にぶち込まれていてもおかしくない。  ともあれハルトは一、二ぃ、一、二ぃ、とヘラで水をしゃくった。水路は、もともとは蛇行して流れる川を護岸工事を行うなどして今の形へと造り変えたものだけに、波がうねるところも静やかな箇所もある。いったん流れに乗ると弾みがついて、領主館(別館)からぐんぐん遠ざかっていく。といっても漕ぎ慣れるにはまだまだで、舳先が斜めを向いて煉瓦造りの壁にぶつかりそうになるたび、 「櫂の先で軽く壁をつく、舵を切る。どちらも原理は同じだ、やってみなさい」  手本を示してくれるのに(なら)うと、小舟はアメンボさながら軽やかに進む。  曲がりなりにもコツを摑むころには俄然、おもしろくなってきた。ハルトは思った。小島につれてこられて以来、カチンとくることばかりでも、漕ぎ方を憶えたのは収穫かも。  木箱を積んだ小舟とすれ違いざま漕ぎ手と挨拶を交わし、ふと、水音にかき消されがちな独り言を耳が拾った。命令口調は封印すること、べたべたに甘やかすこと──なんの呪文だ?  肩越しに振り向くと、イスキアはひと呼吸おいてから重々しくうなずいた。バツが悪いところを見られてごまかしたような雰囲気がほんの一瞬、漂った。 「だいぶ要領を憶えたな、では島の反対側まで足を伸ばすとしよう。漕ぐのに疲れても、わたしが加勢するゆえ安心するがよい」 「よけいなお世話ですう。村にいるときは日の出前に起きて羊の乳を搾ってたのが、ここ何日かは食っちゃ寝で元気があり余ってるの」  ツケツケと言い返して邪魔っけな靴を蹴り脱いだ。船底を踏みしめると、人間風車と化したふうに全身のバネを利かせてがむしゃらに漕ぐ。

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