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第23話

「ははぁん、野に咲く花のごとき可憐なきみが、さては噂の許婚くんだね。ごきげんうるわしゅう」 「おれは男だ、可憐ってのは侮辱だ。っていうか、この気障なおっちゃんは何者?」  イスキアを振り返ると、彼は鉤を外すのももどかしげに黒塗りの小舟を押しやった。 「ジリアン・マグレーン。母方の従弟だが、天敵と言い換えてもよい」 「おっちゃんとは、ひどいな。ちなみに同い年だというのに一国を治める御仁に引きかえ、しがない絵描きさ。以後、お見知りおきを」  と、ジリアンは、頭のてっぺんにちょこんと留めつけたベレー帽、それの小型版をいくぶん持ちあげてみせた。  とたんにイスキアが血相を変えた。櫂を振りあげ、舳先を並べてたゆたう小舟めがけて振り下ろし、ぐりぐりとベレー帽を押さえつけた。  剣を交えるように、櫂で打ち返しても不思議ではない険悪な雲行きだ。ところがジリアンはひょいと肩をすくめるにとどめて、 「僕らが帽子をかぶっている理由(わけ)は内証にしておく方向で協力しろ、かなあ?」  へぇ、ふぅん、へぇ、ふぅん、と嫌味っぽく繰り返す。 「……茶の一杯もふるまってやろう。ついてこい、(やかた)に参るぞ」  密約を結んだかのような一幕ののち、サンルームに場所を移した。領主館(別館)の庭園に面したそこの主役はキュウリで、爽やかな香気を放つ鉢植えが所狭しと並ぶ。その数、ざっと千。鉛筆大の実をつけたものから、皮の色が縞模様に濃淡を成す実がぶら下がるものまで、キュウリの博覧会のようで壮観だ。  ガラスの(まる)天井から燦々と陽光が降りそそぐさまは、常夏の楽園といった(おもむき)がある。参考までにサンルームを俯瞰(ふかん)すると、フリルに縁取られた大皿のような形をしている。  ハルトは真ん丸いキュウリがたわわに実った鉢をつついて、口笛を吹いた。 「すごい、豊作だ。種類もたくさんで、なに、ここ、秘密の研究所?」 「趣味と実益を兼ねた、わたしの作業場だ。これぞと思うものを、もいで、かじってみるがよい」    イスキアは努めて淡々と答えた。ハルトが興味を示したこの機を逃さず目利きぶりを発揮して、えり抜いた一本を捧げたら、 「美味い、最高に美味しい、もっと食べる」  大輪のヒマワリを思わせる、とびきりの笑顔を拝めるかもしれない。キュウリと向き合って鍛錬を積んできた目が、美味度が高いことを示すブルームと呼ばれる粉を吹いたそれを捉えた。さっそく()りにいこうとした矢先、よりによって両足まとめてこむら返りを起こした。

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