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第30話

「まさか溺れた……? ジリアンさーん!」  ハルトは、がばっと腹這いになった。湖に転げ落ちる寸前まで身を乗り出して水中を覗き込む。  透明度が高くて、うんと下のほうで水草がそよぐさまだって鮮明そのもの。ところがジリアンの姿は岩礁の陰にも、沈んだまま打ち捨てられた船の残骸の間にも、見当たらない。 「本当に、助けが必要な感じだとか……?」  カナヅチゆえ泳いで救助に向かうのは無理。だったら、なんとかして小舟を水路から湖の側へと運んできて、それを漕いで探し回る。あるいは領主館(別館)に応援を呼びに走る。 「迷ってる間に行動!」  岩場から水路へひとっ跳び、と反転した折も折、 「おーい、ハルちゃん、ヤッホー」  朗らかな声が風に乗って運ばれてきた。素潜りで、あんなに遠くまで泳いでいったというのか。ジリアンは水深が増すことを物語って青みがいちだんと濃い一帯で、揺り籠に揺られているように、のんびりと仰向けになっている。水の精霊さながら、まったくの自然体で。 「くぅ~、心配して損した」  黒い瞳が怒りに燃えた。湖底に栓があるなら今すぐ抜いて、渦に巻き込まれてくるくる回るジリアンを、羊飼いの数え歌を歌いながら見物したい気分だ。  ぷんすか、ぷんすかバケツに水を汲んだ。ジリアンが悠々と岸に泳ぎ着いたところを狙って、その頭上でバケツを引っくり返した。 「水分補給だとかを手伝ってやるよ!」 「はいはい、僕が悪かった、悪かった」  この通り、と拝む仕種にほだされたのが運のツキ。ジリアンは毛布を羽織ると、向かい合って座るよう促す。つられて膝をたたむと、ないしょ話をする雰囲気が漂った。 「ハルちゃんはさ、とんとん拍子にいくと従兄殿と初夜を迎えるのは時間の問題だよね。そこで大事な質問」    それが策謀家の常套手段とも知らず、案じ顔を向けられて前のめりになった時点で、自ら罠にかかりにいくようなもの。 「子づくりとは似て非なる、男同士ならではの睦み方について正しい知識はあるのかな」 「……ない。だいたい、おれ嫁ぐ気なんか欠けらもないの、勘弁してほしいの」    そう、吐き捨てるように答えて、湖めがけて小石を放った。十年前の段階で二十歳(はたち)だったイスキアが、子ども子どもした自分を見初めたということじたい、何かの間違いに思えて仕方がない。丸め込む形で言い交わした話を今ごろになって持ち出すのは後出しジャンケン並みにずるい、と思う。  だがイスキアを嫌い抜くにも難しい面があるのも、また確かだ。むっつり屋なのは人一倍、口下手なだけかもしれない。小舟の漕ぎ方を丁寧に教えてくれるあたり根は優しい証拠。そう考えるのは点数が甘すぎるだろうか。

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