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溺愛道の教え、その4 想い人に威張る勿れ

    溺愛道の教え、その4 想い人に威張る勿れ  散水機が稼働して(うね)に虹がかかる。ハルトはキュウリを山盛りにした(ざる)を小脇に抱えると、麦わら帽子で顔を扇いだ。  領主館(別館)の西側は、キュウリの一大農園だ。  サンルームでわさわさと育つキュウリは、甘みが強いデザート用および観賞用のもの。かたや農園では露地ものの品種が栽培されていて、小島の住人が食べる分をまかなってもまだ余り、都の市場にも出荷しているのだ。  親方の指揮のもと、育苗から収穫までキュウリ組と呼ばれる男たちが作業を行う。作付面積を増やすにあたって働き手を急募、との話を小耳に挟んだ。ハルトはいそいそと応募した次第だ。  ──勘弁してくだせえ。近いうちに正式な奥方さまになられるお人に野良仕事をやらせたとあっちゃあ、イスキアさまからお叱りを受けます。  ──奥方じゃない! は、さておいて。おれ、けっこう働き者だから、役に立つから。  と、いった押し問答をしたすえに親方は根負けして折れた。かくして草刈り隊長ことヤギの世話はお任せあれ、だったり、傷んだ支柱を取り替えるくらいチョロい、だったり、きびきびと働いている。  ハルトはキュウリの株が林を成す間を縫って船着き場へ歩いていった。もぎたてのキュウリを笊から小舟に移し替えて伸びをする。市場に送るぶんを水路伝いに港へ運ぶのも仕事のうちだ。  農園じゅうで葉っぱがさわさわと歌い、黄色い小花が踊る。ふくよかな土がサンダルの通して、足の裏を優しくくすぐる。羊をつれて草原(くさはら)を歩くのはもちろん楽しいが、キュウリ畑で労働にいそしむのも悪くない、と思う。なんといってもお天道さまの下で汗を流したあとは、ご飯が美味しい。 「苗を植え替える班を手伝ってこよっと」  移植ごてを摑んで駆けだしたものの、あちらを向いてもこちらを向いてもキュウリの光景は、ちょっとした迷路でまごついてしまう。  イスキアは品種改良の第一人者とのことだが、それにしても彼のキュウリ愛は度を越していると思わないでもない。許婚の務めと言われてしぶしぶ食事を共にすると、最低一品はキュウリ料理が供されるのが常で、さすがにげんなりする。  ちなみに昨夜はキュウリのフライが、今朝はキュウリのクリーム煮がテーブルを彩った。この調子でキュウリ攻めがつづけば、産毛の代わりにイボが生える日も近い。ふと、ジリアンが謎かけめいた科白を洩らしたことを思い出した。  ──キュウリは僕ら種族の活力源。  思わせぶりな言い方の裏に隠されていたものは、結局のところなんだったのだろう。草原の(たみ)の活力源といえば羊料理だ。野蛮な食文化だと遠回しに皮肉られたのだろうか。

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