42 / 143

第42話

「っていうか、からかわれただけとか? 男同士のアレでコレだって大げさに言って、おれを怖がらせてた……干からびちゃうよ」  うっかり日向にさまよい出てきたミミズを土の中に戻してやると、にわかに農園を緊張が走る。親方をはじめ、そこここで作業中だったキュウリ組一同が、ちょこんと帽子を留めつけた頭を深々と下げた。 「勝手に見て回る。楽にするがよい」  深みのある声が鼓膜を震わせ、ハルトは移植ごてを取り落とした。みっしり繁ったキュウリの葉を透かして見ると、イスキアが(つる)を絡ませたアーチをくぐった。  緑がかった金髪をなびかせて小径をこちらへやって来るさまは、獅子の勇猛さと豹のしなやかさを併せ持つ。つい見惚れてしまった一方で、今さらながら疑問に思う。イスキアほどの偉丈夫ならば、美姫がよりどりみどりのはず。ひと回りも年下のガキんちょに、しかも男子に執着する精神構造が理解できない。  それはそれとして、礼を言いそびれていたことに気づいた。ハルトは先回りして小径をふさいだ。 「こないだは……看病してくれて、ありがと」  麦わら帽子のツバを揉みしだきながら早口でまくしたてた。主君の株をあげようと、メイヤーはイスキアの献身ぶりをいささか誇張してハルトに語り聞かせた。そのときは気のない相槌を打つにとどまったものの、いばりんぼとクサす男の意外な一面を垣間見た気がした。  いつもムスッとしていても根は優しいのかも、と見直すあたり単細胞……もとい、おおらかな性格だ。そういった素直な点がイスキアを惹きつけてやまないとは、当の本人は知る由もなかった。  ともあれ「ありがとう」が宙に浮いたままだと軽んじられたように思えて、カチンとくる。かといって先に背中を向けるのは敵前逃亡するようで癪だ。  ハルトは小径を踏みしめると、拳ふたつぶん高い位置にある顔を睨めあげた。そういえば、と思う。イスキアは灌漑工事の視察に赴くやら、重臣を招集しての会議がぶっ続けであるやらで、本土の領主館に行ったきりだった。  いきおい、まともに話をするのは五日ぶりだ。そう改めて数えてみると、口許が独りでにほころぶ。  あれ? キュウリの生り具合を確かめにきたついででも立ち寄ってくれてうれしい、と思っている? まさかイスキアが留守にしているのを心の底では淋しがっていた……?

ともだちにシェアしよう!