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第43話

  「そなたの面倒を見るのは将来を約したわたしの義務である。礼にはおよばぬ」    イスキアが返事をよこすまでずいぶん間があいたのには、いたって単純な理由があった。無表情を装った陰で野良着姿に見蕩れていた。それは、もう! デレデレと見蕩れていた。  凛と背筋を伸ばし、威厳に満ちた態度とは裏腹、色ボケ全開といっても過言ではない。タオルを首に巻いてきゅっと結んでいるのが勇ましくて可愛い、ハルトに密着できるタオルが羨ましい──といった調子で。  ひとかけらなりとも真情を吐露すれば、親密度が高まること請け合いの場面で〝義務〟と(のたま)うあたり進歩がない。溺愛道の単元その二では、折に触れてべた惚れぶりをさらけ出してみせることが重要と説いている。でなければ想いは永久に届かない、と太字で。  予習・復習をゆるがせにせずとも、実生活で勉強の成果を発揮しなければ溺愛道の奥義を会得するまでの道のりは遠い。話の接ぎ穂を失うと、人はとかく天気の話題を持ち出すもの。イスキアもまた、空の一点を指さした。 「あの黒っぽい雲は嵐の卵だ。春の嵐にみまわれた昨年は、(ひょう)がこの農園に深刻な被害をもたらした。二の舞を演じぬよう、用心せねばなるまい」 「羊飼いは天気を占うのが得意だ。おれの勘ではしばらく晴れの日がつづく。なっ、ライオネルさん」    ライオネルさんとは草刈り番長のヤギのことで、立派な角が危険を察知してぴくりと動いた。メッチャ妬まれてる。超絶男前のわりに帽子の趣味は最悪な御仁が、ヤギの分際で背中を撫でてもらうとは許しがたい、と殺気を放っている。ヤギ鍋にされてはかなわない、とトコトコと駆け去った。  かたや葉叢(はむら)に怪しい動きがあった。キュウリ組の面々が花殻を摘むふり、追肥をほどこすふりで、じわじわと人の輪を狭めつつあるのだ。ついぞ女っ気がなかった我らが領主さまが、毛色の変わった許婚殿とどんなやり取りをなさっているのか興味あるよな? 愚問──というわけだ。  さて、今日こそ進展を図ってみせると意気込んでハルトに話しかけても、ツンケンされるとあっさり引き下がってしまうのがイスキアの悪い癖だ。失敗を繰り返してきた結果、学習し、反省した。わたしに足りないものは粘り強さだ。  ところで、ひと口にキュウリといっても品種によって葉の色が微妙に違う。緑色の濃淡が段だら模様を描く光景を一望する小高い場所に四阿(あずまや)が建っている。  イスキアは、その四阿に向かって顎をしゃくった。ハルトがついてくるか否か期待と不安が交錯するぶん、ことさら急ぎ足でゆるやかな傾斜をのぼる。  いやいやという響きがする足音が後を追ってくれば胸が高鳴り、だが仏頂面を堅持したまま石造りのベンチに横たわると、ぽんと枕元を叩いた。

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