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第45話

「おれ、ここじゃ下っ端だから消毒薬の散布とか憶えることがたくさんあるんだってば」 「そう邪慳にせずともよいではないか。たまにはそなたとゆっくり語らいたいと願うのは、贅沢であるのか」 「贅沢ってこと、ないけど……」  ハルトは麦わら帽子を揉みしだいた。わたしをないがしろにするとは、けしからん、といった調子で頭ごなしに怒鳴りつけられたら、売り言葉に買い言葉でわめき散らす。  許婚という地位に就かされたのも無理やり小島につれてこられたのも、何もかも気に食わない──と。  ここぞとばかりに慈しむような眼差しを向けてきて気勢を()ぐのはずるい、と思う。  もともと温度差があった。(ふみ)を取り交わすなどの段階を経て、ある程度打ち解けたうえで呼び寄せてくれていれば、こっちだって愛想よくふるまっていた。  かてて加えてジリアンの〝特別講座〟は、さしずめ癌細胞だ。後孔が裂けて血まみれになるまで突きまくるだの、どぶどぶと子種をそそぎ込むだの──わざと極端な例を挙げたとは露知らず──男同士の睦み方のえげつなさといったら癌細胞が増殖して臓器を侵すかのごとく精神(こころ)を蝕む。  おかげでイスキアが半径数メートル以内に接近すると、心臓が踊り狂う。今も突っかかる気満々で、なのに()じるものがあって罵声は立ち消える。 「そなたにツンケンされるのは、こたえる」  いつになく弱々しい口調にほだされたのかもしれない。領主という鎧を脱いで()の自分をさらけ出してくれている、と感じられるからかもしれない。  ハルトは空を睨み、イスキアを()め下ろし、深いため息をついた。なかばずり落ちた頭を太腿の上に載せなおすと、鹿爪らしげに言った。 「看病してもらいっぱなしだったから、これでチャラな」 「今ひとつ温かみに欠けるが、まあ、よい。譲歩するとしよう」    努めてさらりと応じると、イスキアはくの字に立てた右足に左足を引っかけた。本音を吐けばチャラなんて堅苦しいことを言わずに甘えてほしいが、現時点ではそれこそ贅沢な望みだろう。  それ以前に膝枕をせしめたことじたい快挙で、キュウリ風呂でくつろぐ、その何倍も贅沢なひとときだ。溺愛道的な抜き打ち試験で合格点をとったといえる今日を膝枕記念日と定めて毎年祝う価値がある。

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