46 / 143

第46話

 などと心の中で万歳三唱を繰り返すイスキアにひきかえ、ハルトは麦わら帽子のささくれをムキになってむしった。失敗した、と小声でぼやく。借りを返すには膝枕以外の方法があったはず。  だって墓穴を掘ってしまったのだ。下穿きとズボンで隔てられているとはいえ、イスキアがおなかの側を向く形に寝返りを打った日には困るどころの騒ぎじゃない。強制的に、しかも図解を交えて事細かに説明があった、こっ、こっ、口淫をしてもらいたがっているみたいな構図のいっちょあがりなのだ。  ふたりの兄曰く「男子特有のおねしょ」。  それが正しくは夢精という名の生理現象だ、とジリアンがじっくり且つ、ねっとりと教えてくれたのが災いして、墓穴は地下一万メートルの深さに達するようだ。  直近で、夜中にっそり下穿きをつまみ洗いする必要に迫られたのは十日前のこと。周期的にいって今夜あたり、またという可能性が高い。つまり貯水率ならぬ貯精率は満杯に近いということで、下手に刺激を受けると性器がにょきっとなる恐れがあるということ……。  イスキアはキュウリを(かたど)った座面にへばりついた。やたらと太腿がもぞもぞと動くせいで、新米の馭者(ぎょしゃ)が操る馬車に揺られているように、夢心地にひたりそびれてしまう。  だが膝枕という言葉の響きの、なんと甘美なことか! この素晴らしさの前では最上級のダイヤモンドですら(すす)をまぶしたように、くすむ。甘々な雰囲気が醸し出される展開へ持っていきおおせるとは、我ながら褒めてつかわしたい。にんまりするという次元を通り越して顔面が崩壊しかねない。  運命の赤い糸がふたりを結びつけた当時、まだ八歳だったハルトにひと目惚れして以来苦節十年。そう考えると感慨もひとしおで、ぽろりと正直な想いがこぼれた。 「そなたを呼び寄せるまでは島を(おとな)うのは週に一回程度だった。ひるがえって足しげくこちらに渡るようになった理由が、わかるか」    正解は無論「そなたに会いたいがため」。  ピンときたことを物語る印を求めて、イスキアは黒い瞳を見つめた。なりゆき如何(いかん)によっては改めて求婚する、ぴとっと抱きついてくるというぐあいに、とんとん拍子に事が運ばないとも限らない。汗ばんだ手を長衣にこすりつけて、朱唇が色よい返事を紡ぎ出すのを待った。  もっとも暗に匂わせたものを察してもらえるか否かは、相手次第。ウンともスンとも、という状態がつづいてキュウリの葉がそよそよと揺れるばかり。  やがてライオネルさんが時間切れを告げるようにメエと鳴いた。それを合図にハルトはようやく口を開いたものの、風船を膨らませるそばから針でつつくように、頓珍漢な返事をよこした。

ともだちにシェアしよう!