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第47話

「すっげー、キュウリに執着してるじゃん。もぎたてのを食いにくるの目的とか?」 「違う! いくら辺鄙(へんぴ)な地で育ったとはいえ、それなりの教育は受けたであろうが。言うに事欠いてキュウリ目当てとは、洞察力に欠けるも(はなは)だしい」 「残念でした。羊の(ひづめ)の、すり減りかたの観察日記で賞状をもらったことだってあるもんねえ、だ」 「いいや、そなたは鈍い、桁外れに鈍い。よくもまあ、珍妙な答えをひねり出したものよ」  そう、悪しざまに言われてハルトは座面の(へり)を摑んだ。両足を交互に、猛烈な勢いで上下に動かして、荷馬車でデコボコ道を走っているときのような振動を頭に与えて返す。  いけ好かないったら、と思う。ベンチから転げ落ちて少しは反省するといいんだ、ふん。  参ったと言わせたい一心で、しゃかりきになって足踏みをする。頭は弾みっぱなし、緑がかった金髪は跳ね通しで、わずかにだが髪飾り風の帽子まで浮く。さすがに閉口して、 「もうよい!」  憤然と立ち去ってもおかしくないにもかかわらず、苦笑がくぐもった。 「そなたは負けず嫌いなのだな。歯ごたえがあって、一緒にいると飽きぬ」    語尾が、くすくすと乱れる。忍び笑いはだんだん磊落(らいらく)さを増していき、ついには農園全体に響き渡った。  ハルトは片足を浮かせた恰好で固まった。奇蹟が起こったように感じて、底抜けに明るい笑顔をまじまじと見つめ返す。わっはっは、とイスキアが大笑いするところに居合わせるのは、きっと羊が宙返りする場面を目撃したのと同じくらい稀有な出来事に違いない。石膏で塗り固めたような仏頂面が崩れると、がらりと印象が変わるのは、ほとんど詐欺だ。 「腹の皮がよじれるとは言いえて妙だ。わたしの腹は今まさしく、元通りになるとは到底思えぬまでによじれている」 「……荒療治で戻るかもね」  ハルトは頭を持ちあげると、毬をつくように落とした。当たりどころが悪くて首の筋を痛めても知るもんか。 「なんと乱暴な。だが、粗野なふるまいも許す」  と、居丈高な口調はふだんと同じでも華やいだ笑い声が混じる。ひとたび(たが)が外れると繰り返し笑いの発作に襲われる様子で、ひくひくと喉が震えつづける。  ハルトは呆気にとられっぱなしだった。同時に、ちょっぴり残念に思った。  領主館(別館)を舞台に再会劇が演じられたさいにイスキアが朗らかな一面を覗かせてくれていれば、是が非でもぶっ壊したい婚約の件を案外、前向きに検討する余地があったかもしれない……あれ?     だって、いがみ合うより仲よくするほうがいいに決まっている。人生という船を二人三脚で漕いでいく間柄なのだから……あれ?

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