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第57話
「初チュウを返せ、因業じじい、変てこ帽子魔人、オタンコナスのボケナス!」
罵り疲れるまで罵りまくったすえにヤケ食いに走った。もっともキュウリ風味のビスケットはふやけて、これに較べると羊に与える貝殻の粉末は何倍もマシな味だ。
「けど、食べ物を粗末にするとバチが当たるし、イスキアのおっさんの好物だし……」
後者だからどうしたというわけでもないが、もそもそと平らげた。
むき出しの背中を丸めて、縮こまった。洞窟で隔てられているぶん間延びして聞こえる雨音は、たったひとりで孤島に流れ着いたような切なさをかき立てる。
許婚、もしくは領主としての義務感ゆえにすぎなくても、もしもイスキアが捜しにきてくれたときは、どんなふうに応えるのだろう。ご足労いただいて痛み入ります、と皮肉る? それとも、ぎゅうぎゅうと抱きつく……?
雫をまき散らしながら、もげる勢いで首を打ち振った。〝たら・れば〟をこね回すより火打石の代わりになるものを見つけるほうが、よっぽど建設的だ。ところが岩壁に掌を這わせた矢先、ぞわぞわと鳥肌が立った。いつしか腐臭めいたものが空気の底に混じっていて、それは、洞窟の入り口の方角から漂ってくる気がする。
耳をそばだてる。雷鳴が天地 を揺るがす合間に気色悪い音がこだましたような……じゃない、確実に近づいてくる。
ずるずる、ぽたり。ずるずる、ぴちゃり。
水気をたっぷり含んだ肥料の袋を引きずっているような、それ。
ハルトは、いざというときは薪 にしようと持ってきておいた櫂をかまえた。ふと思いついたことがあって、あたりを見回す。煮炊きの道具も食料の備蓄もないが、もしかすると世捨て人がこの洞窟を塒 にしていたりするのかもしれない。よし、にこやかに挨拶してみよう。
「えっと、おじゃましてます……」
ずるずる、ぺたり。ずるずる、ぐちゅり。
球体に円柱と円錐を接 ぎ合わせたような輪郭を持つ影が、ヒカリゴケが放つほの明りのなかに浮かびあがった。ややあって、暗がりの向こうから姿を現したのは。
櫂が足下にすべり落ちて、からころと転がった。ハルトはあんぐりと口をあけて棒立ちになった。
理解を超えた生き物に遭遇すると、自分が何を見ているのか、にわかには判断がつかないものらしい。いや、一種の自己防衛機能が働いて、妖異の類いがこの世に存在するわけない、と拒絶反応を示すのだ。
なぜなら、裸身をくねらせて這い寄ってくるのは、
「まさか、す、す、す、水妖……!?」
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