59 / 143
第59話
皿──と。
へんちくりんな帽子野郎と面罵されようとも、ずっとずうっと! 帽子を装着してハルトの目をごまかしている理由というのが、これだ。
公然の秘密だが、濃度の差こそあれ都の住民のおよそ四分の一が血族だ。たとえば「今日は陽射しが強い」という挨拶は「皿が乾きやすいからご注意を」という意味だ。
「疎まれる、やもしれぬな……」
草原育ちのハルトが〝皿〟がある種族に接するのは、生まれて初めてのはず。それゆえ化け物に分類される可能性がないとは言い切れない。そう思うと怖じ気づいて、自分は〇〇であると打ち明ける件は先延ばしにしっぱなしという体たらく。
結果、ありのままのわたしを受け入れてくれる確率は限りなくゼロに近いかも、と悲観的な考えに囚われて勇気を奮い起こせないまま徒 に日々が過ぎていくのだ。
「イスキアさま、一大事にございます!」
すべての棺にキュウリの盛り合わせを供え終えたところにメイヤーが駆け込んできた。ちっちゃな角帽は顎紐がほどけかかり、皺深い顔は強ばっている。イスキアが振り向くか振り向かないかのうちに、がばっと平伏して注進におよぶことには、
「ハルトさまが館 のどこにもいらっしゃいません。お部屋にも食堂にもサンルームにも」
「ハ……」
ハルト。その名は太陽より輝かしく、宝石より美しくて、妄 りに呼ぶのは憚 られる──片思いという沼にどっぷりはまっている男にしてみると。
〝皿〟をひと撫でして呼吸を整えてから、改めて応じた。
「あの子は細っこくて小柄で、しかも悪戯好きの面がある。通りかかった者を『わっ!』と驚かそうと狭い場所にもぐり込んでいるのではあるまいか。隠れ場所にうってつけの、たとえば大広間の炉床は検 めたのか」
「お言葉を返すようですが、それこそ館中をしらみ潰しに。ですが、いらっしゃらないのです! 恐らく、恐らく……」
「恐らく、なんだと言うのだ」
「こっそり脱け出したご様子。灯台守の男が恐れながらと申すには、ハルトさまとおぼしき御方が操る小舟が南へ進んでいったと……」
「馬鹿な、嵐はこれからが本番だぞ」
折しも領主館(別館)のすぐ近くに雷が落ちた。すさまじい破壊音が轟き、霊廟まで焦げ臭い。
イスキアは髪飾り風の帽子を留めつけなおすのももどかしく船着き場へ急いだ。そして唸った。小舟がない。密かにハルト号と名づけ、手ずから船釘を打つなどした小舟が。
もやい綱がちぎれて押し流されたのだとしたら、それらしい痕跡が残っているはず。木切れなりと岸に打ち寄せられているなどの異常がないということは、目撃談の通り自分の意思で漕ぎだしたのか? 嵐が猛威をふるいつつあるなか、命知らずにも……?
ともだちにシェアしよう!