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第60話

「悪天には、とかく水妖がうろつく」  運悪く食い意地が張っている連中と鉢合わせしたが最後、たちまちだ。  エメラルドグリーンの瞳に決意がみなぎり、色を濃くする。イスキアは囚われの姫君を救い出すべく敵陣に乗り込むように、銛を背中にくくりつけた。  ざぶん、ざぶんと水路からあふれた水が、稲光に照らされて油膜が張ったようにぎらつき、よちよち歩きをする前に泳げるようになる種族でさえ怯むものがある。だが、ハルトのためなら〝皿〟がひび割れるといった犠牲を払っても悔いなし。  長衣の裾をからげて石段を下り、そこにメイヤーが追いついてきた。 「急ぎ捜索隊を編成いたします。お待ちを、どうかお待ちを」 「待てぬ。かけがえのない許婚が行方知れずの事態に際して高みの見物を決め込んだとあっては、このイスキア・シジュマバートⅩⅢ世、末代までの恥」  そう、生涯を共にしたいと望むからには相応の資格を得なければ。そのためにも〝白馬に乗った騎士〟の役どころは何人(なんびと)にも譲ってなるものか。想い人に尽くすことこそが至上の喜び──それが溺愛道の教えなのだ。  イスキアは、彼の小舟に乗り込むが早いか、白く泡立つうねりのなかへ櫂を繰り出した。小島全体に張り巡らされた水路の図を思い浮かべ、南へ向かったという手がかりを(もと)にハルトの行き先を推測する。  キュウリ組がまとまって暮らす集落へ遊びにいった、というのは嵐のさなかだけに除外してもよいだろう。だいたい密かに館を後にしたということは、目的地は人目につきにくい場所である可能性が高い。  それが水路に隣接する入り江だった場合は、ひじょうにマズい。水妖の出現率がとりわけ高いのが、あの一帯だ。 「……くっ!」  水が、それ自体が意思を持ったように櫂をもぎ取りにかかる。悪魔の牙のごとく烈風が(たけ)り狂い、しかも向かい風とくれば、鉄の塊を押し分けて漕ぎ進めるようなもの。  ふと、びゅうびゅうと唸りをあげる風音が嘲笑と化して耳朶を打つ。もしやハルトは二枚舌を使う従弟のジリアンに、うまうまとおびき出されたのではあるまいな?

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