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第63話

「にっ、西の羊飼いが言うことにゃ、おら()の羊は器量よしぃ!」  デタラメな歌をがなって禍々しい歌声に対抗しても、息継ぎをするたびどうしても一瞬、空白が生じる。すると必然的に、鳴き声が思考回路を乗っ取る形になる。頭がぼうっとして、その頭をこづいて正気づくことを繰り返すにつれて、遅効性の毒を盛られたように四肢に影響が出だした。  手足が痺れてきたのにはじまって、関節という関節が(にかわ)で塗り込められたかのごとくにわかに動きがぎこちない。  もともとはハルトがうずくまるのがやっと、という広さ。がくんと姿勢が崩れて黒髪が虚空を掃くと、おいでおいでをするように鳴き声が高まった。小石がぱらぱらと落ちると生唾を呑み込むふうな、おどろおどろしい影が蠢く。 「イスキアぁ……」  の縁を摑んで丸まっても指の感覚が鈍る一方とあって、ともすればずり落ちそうになる。かと思えば(かかと)がはみ出し、あわてて岩壁に張りついた拍子に、ミミズ腫れが長々と素肌を走った。  すくみあがったままでは埒が明かない。ハルトは深呼吸ひとつ、ぎくしゃくと膝立ちになった。水妖の頭上を越える形でなるべく遠くまで飛んで、着地して、あちらが反転するのにもたついている隙に逃げよう。  ところが砂地を見下ろしたとたん、が、きゅっと縮こまった。それこそ獲物を丸吞みする蛇のそれさながら、ぱっくりと開いた口が上を向いている。  ぼりぼり、ぱくぱく、もぐもぐ──咀嚼音(そしゃくおん)が今にも聞こえてくるような光景だ。 「腹ぺこさんが『いただきます』してるよお」  領主という立場上、(たみ)を守る義務があるだとか、許婚としての責任感だとか、理由はともかくイスキアに助けにきてほしい。  助け賃と称してチュウを要求されても甘んじて払う。本音を吐くと唇を盗まれても嫌なだけじゃなかった。というより驚いたのが九割で、残りの一割はときめきという要素をたぶんに含んでいたように思う。だから、だから……、 「イスキア、許婚が丸かじりにされるかもな瀬戸際なんだぞ、駆けつけてくれってばー!」  銅鑼を連打しているような雷鳴が相も変わらず小島をどよもしていたものの、悲痛な叫びはイスキアの耳にしっかり届いた。  特定の人物に対してのみ五感が冴え渡る現象を、すなわち愛の力と呼ぶ。通信講座で勉強中の溺愛道のほうは入門編でつまずいていても、ハルトを想う気持ちは掛け値なしに本物なのだ。 「いま参る、安心するがよい、ハ……っ!」 〝ハルト〟と呼ぶのは、やはり帽子をかぶらずに街中を歩く以上にこっぱずかしくて、ここぞという場面でも口ごもってしまうあたりが片恋こじらせ童貞三十路男の哀しさだ。  ともあれイスキアは、やりたい放題に小舟をもてあそぶ波をものともしないで櫂を繰り出しつづけた。やがて水路と湖畔がもっとも近接する地点に差しかかったときだ。乗り捨てられた小舟が、船底に溜まった雨水の重みで沈みかけているではないか。

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