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第70話

 謂れのない偏見にさらされてきた境遇に、よっぽど鬱憤が溜まっていたようだ。ハルトとイスキアという聞き手を得て水妖──アネス・二十一歳の自分語りは相槌を打つ余裕すら与えられないまま、かれこれ三十分におよんだ。  彼自身と未来の新妻に見立てた一対の鱗をくっつけたり、離したりしながら〝夢の新婚生活〟と称する、ひとり芝居は熱を帯びる一方だった。 「『エラ呼吸ができないヒトの嫁さん、湖畔に構えた愛の巣で通い婚もオツっしょ』『ええアネスっぴ、おかえりなさい』『おう、ただいま』──うう、ヤベ、興奮して鱗がべろべろに溶けちまうっす」  ハルトは噴き出しそうになるのをどうにか堪えた。長衣にくるまるとキュウリ系の残り香がくゆりたち、むうっと口をとがらせた。  そんな事態はなんとしてでも回避したいが、もしも、万が一、正式に(めと)られてしまったあかつきには、本土側の領主館で執務をこなしてきたイスキアを小島の港において〝おかえりなさいのチュウ〟で出迎えたりする……?  「ないから、ないったら、ないから!」  乙女な考えとひとまとめに長衣を払い落とした。イスキアに向き直ると、彼はなぜだか焦り気味に目許を胴衣の袖で覆った。 「水妖もワシュリ領国の一員だろ。陳情? をきいてあげるのも領主の務めじゃないの」 「そなたの、たっての頼みであれば善処するにやぶさかでない。異種も恋愛対象という奇特な娘がいるやもしれぬ、志願者を募ろう」 「あざっす。できれば巨乳の()をよろしく」 「図に乗りおって。志願者が皆無であっても駄目でもともとと、あまり期待はせぬことだ」  冷ややかに言い捨てるイスキアに対し、アネスは「親戚」とぼそりと呟く。さらに尾びれでぴたぴたと、イスキアをはたいて返した。  さて、嵐はようやく峠を越したふうで雷鳴が間遠になりはじめた。友好の印に瓶詰のキュウリを分け合った折も折、 「イスキアさまあ、ハルトさまあ! どちらにおいでですか、不肖メイヤーめが参上つかまつりましたぞお」    洞窟の入り口が、幾層にも重なったカンテラの灯りで明るむ。老臣は自ら捜索隊を率いて荒波を越えてきた様子だ。 「ヤベ、退散しないとマジ、ヤバい的な」  どこかに湖に通じる穴があるのか、アネスはそそくさと岩壁の裂け目に這い入った。ところが、ひょいと振り返って言うことには。 「ちっこい彼、奇特な部類じゃないっしょ。〝皿〟のことがバレないうちに、にしなきゃっすね」 「ええい、利いた風なことを言いおって。やはり捨て置けぬ、成敗してくれる」  イスキアは槍を投げるように銛を構えなおした。半歩、踏み込んだとたん腰帯を後ろ向きに引っ張られて、つんのめる。アネスは、その隙に逃げ去った。

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