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第73話

「おふたりとも、よくぞご無事で……! 二艘の空船(からぶね)が水路を漂っているとの報告を受けたときは寿命が縮まるやら、頭のピーッが割れそうになるやら。とまれ、元気なお姿を拝見して安心いたしました。ささ、表に舟が待っております、(やかた)のほうへ」 「うむ、世話をかけた。参るぞ」  ハルトは身ぶりで促されて、さらにひと呼吸おいてから差し出された手を握り返した。絶対、絶対、戻るものか、と誓って飛び出してきた領主館(別館)にすんなり帰る気になったのは、嵐が吹き荒れているさなかにイスキアが自ら捜しにきてくれたことが少なからず影響しているのかもしれない。  そう思いながら、すっかり見慣れた仏頂面にちょっぴり笑いかけた。  凱旋するように、何艘もの小舟を連ねて漕ぎ進む。行く手に館の瀟洒な姿が現れはじめるころには雲の切れ間から湖面へと光の柱が伸び、水路の両側に枝垂れる柳の葉はいっそう艶々しい。  イスキアはあえてハルトと別の小舟に乗り、甘酸っぱい余韻にひたっていた。長年、仕えてきただけにメイヤーはぴんと来た。イスキアさまは聞いてほしいことがあって、うずうずしておいでだ──と。 「いつになく嬉しげなご様子から拝察するに、何かよいことがございましたか」 「まあ、な。あの子に好きかもと言われたのだ。かも、が余計ではあるが、好きと」 「なんと、めでたい! ぐんと進展があったからには婚礼の儀の準備を急がねばなりませんな」  嵐が春の残滓をぬぐい去り、季節が移ろう。早生(わせ)のキュウリがたわわに実り、港は大漁でにぎわい、吉兆つづきのなか初夏の訪れを告げる鳥が北から渡ってきた。  ある夜のこと、ハルトは舟遊びに誘い出された。夜気が馥郁と薫り、櫂がゆるゆると水を搔いて(たえ)なる調べを奏でる。星明りが水路をきららかに彩って、小舟がすべるさまは銀河を旅しているようだ。    イスキアはここ最近、本土側の領主館にカンヅメの状態に置かれていた。溺愛道において曰く、 「想い人が貴君を意識しはじめている兆候が現れたさいは押せ押せの精神でいくべし」。  さっそく実践してみようとした矢先、ニセ札作りの一味が捕らえられるやら、電気という革新的な技術の活用法について専門家たちと意見を戦わせるやらで、自分のことは二の次になっていたのだ。  恋路の邪魔をするやつの〝皿〟など一枚残らずカビるがよい、と念じてみたりなんかして。そんなこんなでハルトとふたりっきりで、なおかつ、まったりできるのは実に洞窟以来なのだ。

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